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Ultimate Fighting Championship(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ、略称:UFC)は、アメリカ合衆国の総合格闘技団体。世界最高峰の総合格闘技団体である。

History

黎明期

柔術家のグレイシー一族が様々な格闘技の猛者や道場破りと対戦する様子を収めたビデオ"グレイシー柔術・イン・アクション"を見て触発された広告代理店役員のアート・デイビーが、"War of the Worlds"と名付けた、最強の格闘技を決めるために、空手、ボクシング、カンフー、キックボクシングなどの格闘家をノールールの試合で戦わせる8人制の格闘技トーナメントを、映画監督兼脚本家でグレイシー柔術を習っていたジョン・ミリアスとグレイシー一族の1人であるホリオン・グレイシーに企画提案したのがUFC立ち上げの発端になり、ミリアスはクリイエイティブ・ディレクターに就任、デイビーは資金を調達してWOWプロモーションズを設立し、老舗ペイ・パー・ビュー配給会社のセマフォ・エンターテイメント・グループ(SEG)と1993年5月にパートナー契約を交わした。SEGは映像アートディレクターのジェイソン・クッソンに依頼して試合場の「 オクタゴン 」を製作し、大会の名称を"アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ"と命名するなど、UFCの基礎を構築することになる。

1993年11月12日、WOWプロモーションズとSEGが第一回大会のUFC 1をコロラド州デンバーのマクニコルス・スポーツ・アリーナで共催。アート・デイビーはマッチメイカーを担当した。

1995年4月、UFC 5の大会後、アート・デイビーとホリオン・グレイシーはUFCの所有権をSEGに売却して、WOWプロモーションズを解散した。権利売却後もデイビーはマッチメイカーとコミッショナーとして1997年12月まで在籍した。

なお、黎明期の日本ではUFCではなくアルティメット大会と呼ばれることもあった。

ノー・ホールズ・バード禁止法

黎明期のUFCは、試合のルールがわずかしか規定されていなかった事に対して暴力的で危険であると批判を集めた一方で、ペイ・パー・ビュー(PPV)の契約数は数十万を獲得して興行としてはある一定の成功を収めた。しかしこの成功は、既得権益を脅かしかねないと、ボクシング業界に警戒感を抱かせることにもなる。社会的批判とボクシング業界からの圧力が高まる中、親ボクシング派のアメリカ共和党上院議員ジョン・マケインが、UFCは「人間による闘鶏」にすぎず、野蛮で危険であるとUFC禁止を訴え、テレビに出演してUFC批判を繰り広げたり、アメリカ国内全50州の知事へUFCを追放するよう要請する書簡を送るなど、バッシングキャンペーンを展開した。この結果ニューヨーク州を含む36州が総合格闘技を禁止するノー・ホールズ・バード禁止法(ノー・ホールズ・バードは当時の総合格闘技の呼び名)を制定した。また、総合格闘技を禁止しなかった州でも、ネバダ州のように、スポーツ興行を管轄するアスレチック・コミッションが、UFC自体に大会開催許可を出さない州が出始め、UFCは規制の緩い州や海外を転々とするしか無くなり追い詰められていった。さらに、1997年にマケインが上院議会の 商業委員会委員長に就任すると管轄下のペイ・パー・ビュー業界に働きかけ、それまでUFCのペイ・パー・ビューを放送していたケーブルテレビ会社を次々に撤退させた。このためUFCのペイ・パー・ビューはマイナーな存在である衛星放送テレビでの放送を余儀なくされ、ペイ・パー・ビューの販売も低迷して、経営状況はさらに悪化していった。

UFCコミッショナーのジェフ・ブラトニックとレフェリーのジョン・マッカーシーはこの状況を解決すべく、アメリカ各地のアスレチック・コミッションを回って総合格闘技を啓蒙しつつ、アスレチック・コミッションと調整・協議を重ねて協調を図り、UFC 12(1997年2月7日)で階級制の導入、UFC 14(1997年7月27日)でオープンフィンガーグローブ着用の義務化、UFC 15(1997年10月17日)で禁止行為の指定、UFC 21(1999年7月16日)でラウンド制の導入、と徐々にルールを整備して競技化を進めた。そして2000年9月に、この地道な活動が実を結び、ニュージャージー州がアメリカで初めて総合格闘技を認可するようになるまでに至った。

ユニファイド・ルール

2000年11月17日、初めてアスレチック・コミッションから認可を受けた大会となったUFC 28を開催。現代総合格闘技の礎となっているルールである、ニュージャージー州アスレチック・コミッションが制定した統一ルール(通称”ユニファイド・ルール”)に従って試合が執り行われた。

ルールが整備され競技化が進むことにより、選手の技術が洗練されレベルが向上した。結果、格闘技のバックボーンを持たない喧嘩屋や技術レベルの低い選手は淘汰され、黎明期の喧嘩さながらの試合は見られなくなった。

ズッファによる買収

2001年1月、財政状況の悪化で破綻の危機に瀕していたSEGは、ラスベガスでカジノホテル「ステーション・カジノ」を経営するロレンゾ・フェティータとフランク・フェティータ三世、そしてロレンゾのビジネスパートナーのダナ・ホワイトにUFCを200万ドルで売却。フェティータ兄弟はUFCを管理・運営するための親組織としてズッファを設立した。

ロレンゾ・フェティータがネバダ州アスレチック・コミッションの元コミッション委員だったことで、ほどなくしてネバダ州は総合格闘技を認可、これにより総合格闘技の大会を世界の格闘技の中心地であるラスベガスで開催出来るようになった。

2001年9月28日、初めてネバダ州アスレチック・コミッションに認可を受けた大会となったUFC 33を開催。

ズッファの運営により、ケーブルテレビでのペイ・パー・ビュー放送の再開、スポンサー獲得、MGMグランド・ガーデン・アリーナなどのラスベガスのホテル会場での大会開催、2002年6月にはFOXスポーツネットとテレビ放送契約を交わすなど業績を上げていくが、ズッファの投資は3400万ドルにも膨らんでいった。

ジ・アルティメット・ファイター

投資が膨らみ運営危機に直面していたズッファはペイ・パー・ビュー以外の新たな事業を模索し始め、フェティータ自身達が以前リアリティ番組に出演した際にプロモーション効果を実感した経験があったことで、新人UFCファイターの発掘・育成をテーマとするリアリティ番組「ジ・アルティメット・ファイター」の開始を決める。しかし、ジ・アルティメット・ファイターの企画はことごとくテレビ局から却下されてしまい、最終的に番組制作費の1000万ドルをズッファが自己負担する条件でSpike TVで放送することが決定した。

2005年1月から放送を開始したジ・アルティメット・ファイターはすぐに人気を集め、後にUFCで活躍するスター選手を発掘しただけでなく、決勝戦で行われたフォレスト・グリフィン対ステファン・ボナーの試合が、ダナ・ホワイトが「UFCを救った試合」と称える激闘となるなど、社運をかけたジ・アルティメット・ファイターは大成功を収めた。人気を博したジ・アルティメット・ファイターはシリーズ化されることになり、UFCがFOXへ移籍をする2012年までの間に14回のシーズンがSpike TVで放送され、FOXでも28回までシーズンが続いた。また、ジ・アルティメット・ファイターの成功を受けて、Spike TVは、UFCの過去の大会からピックアップした試合を放送する番組「UFCアンリーシュド」とペイ・パー・ビュー大会のプロモーション番組「Countdown」の放送を開始、2005年8月6日からは試合生中継番組「UFCファイトナイト」の放送を開始した。

これらの番組が原動力となり、2006年5月27日のマット・ヒューズ対ホイス・グレイシーをメインにしたUFC 60ではペイ・パー・ビューの販売件数が62万件を記録、2006年7月8日のジ・アルティメット・ファイター・シーズン3のコーチ対決ティト・オーティズ対ケン・シャムロックを組んだUFC 61では77万5千件を記録、2006年12月30日のチャック・リデル対ティト・オーティズをメインにしたUFC 66ではUFCで初めてペイ・パー・ビューの販売件数が100万件超えを記録するなど盛り上がりを見せて、ペイ・パー・ビューの年間販売件数で初めてボクシングとWWEを超え、UFCが急躍進した年となった。

2006年3月、ネバダ州アスレチック・コミッションの元エグゼクティブ・ディレクターのマーク・ラトナーがUFCに規制担当副社長(ヴァイスプレジデント)として入社。ラトナーは過去にジョン・マケインと共にテレビ出演などをしてノー・ホールズ・バード・バッシングキャンペーンを繰り広げた人物であったが、アスレチック・コミッションで長く働いた経験と繋がりを活かし、まだ総合格闘技を禁止していた州のアスレチック・コミッションや議員に総合格闘技を認可するよう働きかける仕事を主に担当した。ラトナーが入社した当時、全米で総合格闘技を認可している州は19州ほどしかなかった。

2006年12月、活動停止した総合格闘技団体WFAを買収、クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン、リョート・マチダ、ヒース・ヒーリング、マルティン・カンプマンらWFAの主力選手を獲得した。さらに、総合格闘技団体WECを、放送していたテレビ局Versusのテレビ放送契約とまとめて買収した。WECは、UFCに吸収合併されたWFAとは異なり、UFCとは別にバンタム級とフェザー級を中心とした軽量級の大会として独自に大会を開催し、独立した運営で存続された。

2007年5月、総合格闘技の選手として史上初めて、ロジャー・ウエルタがメジャー・スポーツ誌「スポーツ・イラストレイテッド」の表紙を飾る。同じ月に、同様にチャック・リデルがメジャー・スポーツ誌「ESPNマガジン」の表紙を飾った。

PRIDEの買収

2007年3月27日、ロレンゾ・フェティータが日本の総合格闘技団体PRIDEを6700万ドルで買収し、運営会社として新会社「PRIDE FC WORLDWIDE」を設立した。PRIDEはPRIDE FC WORLDWIDEによって活動継続される方針だったが、5月に開催予定だったライト級グランプリは延期の末中止となった。

2007年10月4日、旧DSEの日本人運営スタッフを解雇し、PRIDE FC WORLDWIDE日本事務所を解散。これにより、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、マウリシオ・ショーグン、ヴァンダレイ・シウバ、ダン・ヘンダーソン、ミルコ・クロコップ、ファブリシオ・ヴェウドゥムらPRIDEの主力選手を獲得した。

2008年6月18日、ロレンゾ・フェティータが、UFCの国際的な発展戦略に集中するため、ステーション・カジノの代表を辞任してUFCの運営に専念することを発表した。

2009年7月11日、UFC 100を開催。ブロック・レスナー対フランク・ミア、ジョルジュ・サンピエールの出場、ジ・アルティメット・ファイター・シーズン9のコーチ対決ダン・ヘンダーソン対マイケル・ビスピンなど豪華対戦カードが組まれた。

WECの合併

2010年10月28日、独立運営していたWECをUFCに合併。WEC世界フェザー級王者ジョゼ・アルドと同バンタム級王者ドミニク・クルーズを、それぞれの階級の初代UFC世界王者に認定すると同時に、ユライア・フェイバー、アンソニー・ペティス、ドナルド・セラーニ、カーロス・コンディット、ベン・ヘンダーソン、ミゲール・トーレスらWECの主力選手を獲得した。 これにより、UFCは2011年1月1日のUFC 125以降、フェザー級・バンタム級を加えた7階級の体制になった。

Strikeforceの買収

2011年3月12日、UFCに次ぐ全米第二規模の総合格闘技団体Strikeforceを買収。以前のWECと同様にUFCとは別に独自に大会を開催する独立した運営で存続されたが、ニック・ディアス、アリスター・オーフレイム、ダン・ヘンダーソン、カン・リーらStrikeforceの主力選手の一部をUFCへ移籍させた。12月にはStrikeforceのヘビー級を廃止してUFCに合併した。

FOXと契約

2011年8月18日、アメリカの4大テレビネットワークのひとつFOXと複数年の放送契約を結んだことを発表。

2011年11月12日、初めてアメリカの地上波で放送されるUFCの試合として、UFC on FOX 1のUFC世界ヘビー級タイトルマッチ、ケイン・ヴェラスケス対ジュニオール・ドス・サントスが放送され、880万人の平均視聴者数を記録。地上波で放送された総合格闘技の歴代最高視聴者数を更新し、格闘技全体としても、2003年にボクシングで行われたレノックス・ルイス対ビタリ・クリチコで記録した平均視聴者数700万人を超える成功を収めた。

女子部門の設立

2012年11月16日、UFC初の女子選手としてロンダ・ラウジーと契約して、UFC女子部門を設立。Strikeforce女子バンタム級王者のラウジーを初代UFC世界女子バンタム級王者として認定した。

2013年1月12日のStrikeforce: Marquardt vs. Saffiedineを最後にStrikeforceをUFCに合併。ダニエル・コーミエ、ロビー・ローラー、ルーク・ロックホールド、タイロン・ウッドリー、ギルバート・メレンデス、ゲガール・ムサシ、ホナウド・ジャカレイ、アマンダ・ヌネスらのStrikeforce所属選手がUFCへ移籍した。

2013年2月5日、「UFC公式ランキング」を制定した。ランキングの決定にUFCは関与しておらず、数十人の総合格闘技記者の投票によりランキングが決定するシステム。

2013年12月、ストリーミング配信サービス「UFCファイトパス」の運営を開始した。

2014年12月2日、リーボックとの6年間のスポンサー契約を発表した。これにより選手とセコンドにリーボック製のユニフォーム「UFCファイトキット」の着用が義務付けられた。

2014年12月、独占禁止法違反で元選手数名から提訴された。

米国アンチドーピング機関との提携

2015年6月3日、米国アンチドーピング機関(USADA)と提携し、同年7月1日からドーピング検査の全権限がUSADAに委託されることが発表された。

全米で総合格闘技認可

2016年3月22日、全米で唯一総合格闘技が禁止されていたニューヨーク州でも総合格闘技が認可される。ニューヨーク州の下院で通称"総合格闘技法案"が賛成113票、反対25票で法案可決となり、同州が1997年に禁止して以来初めて認可されたことによる。総合格闘技法案は過去7年間、毎年上院を賛成多数で通過していたものの、総合格闘技法案反対派のニューヨーク州下院議長シェルドン・シルバーの妨害により、下院では毎年採決にかけられないまま塩漬けにされていた。このため、UFCはロビー活動や訴訟を起こすなどして下院でも総合格闘技法案を採決にかけるよう促していたが、前年にシルバーが汚職で逮捕され議員を失脚したことで、この日に初めて下院でも採決にかけられ、圧倒的賛成多数で晴れて法案が可決された。

WME-IMGによる買収

2016年7月9日、「WME-IMG」率いる、シルバーレイク・パートナーズ、コールバーグ・クラビス・ロバーツ、MSDキャピタルが参加する共同グループが、スポーツ史上最高額の買収額となる40億2500万ドル(約4400億円)でUFCを買収。ダナ・ホワイトは引き続きUFC代表として留まるが、ロレンゾ・フェティータは退任となった。

2017年9月、WME-IMGが組織再編をして企業名を「Endeavor」に変更した。

ESPNと契約

2018年5月23日、ESPNと2019年1月からのテレビ放送契約を1年につき3億ドル(約330億円)の5年総額15億ドル(約1650億円)で締結したことが発表された。2019年3月18日にはESPNと2年間の契約延長で合意したことが発表された。

2019年4月13日のUFC 236から従来のケーブルテレビと衛星放送によるペイ・パー・ビュー販売が廃止され、ストリーミング配信サービスESPN+の契約者のみにESPN+を経由しての独占販売に移行した。

2021年4月29日、Endeavorがニューヨーク証券取引所で新規株式公開 (IPO) で上場し、その収益の一部を使い、シルバーレイク・パートナーズ、コールバーグ・クラビス・ロバーツ、MSDキャピタルら他の株主から、UFCの残りの株式を17億ドル(約1880億円)で全て買い取り、UFC(ズッファ)を完全子会社化した。

2022年10月、UFC契約選手及びそのチームのメンバーがUFCの試合に関しての賭博行為を行うことを禁止した。

WWEとの統合

2023年4月3日、Endeavorがプロレス団体WWEを株式交換方式で買収し、UFCとWWEを統合した新会社を設立することを発表した。

2023年9月12日、UFCとWWEの統合完了および新会社TKOグループ・ホールディングスの設立が発表され、ニューヨーク証券取引所でTKOグループ・ホールディングスの上場セレモニーが行われた。TKOグループ・ホールディングスの評価額は214億ドル(約3兆1500億円)、UFCの評価額は121億ドル(1兆7800億円)、WWEの評価額は93億ドル(1兆3700億円)と評価され、株式はEndeavorが51%、残り49%をWWEの既存株主が保有する。UFCとWWEは別々の部門として独立して運営され、ダナ・ホワイトはUFCのCEOに就任した。

「ボクシング/総合格闘技」トーナメントの説明

このトーナメントは、ボクシングと総合格闘技を組み合わせたスリリングな戦いが繰り広げられるイベントです。日本国内外から集まったトップアスリートたちが、技術と戦略を駆使して真剣勝負を繰り広げます。

ボクシングは、パンチを主体としたスタンドファイトのスポーツであり、総合格闘技は、パンチやキック、グラップリングなど、多様な技術を駆使する総合的な格闘技です。このトーナメントでは、両者の要素を組み合わせた独自のルールが採用され、選手たちは自身の得意な技術を最大限に発揮することが求められます。

会場は、迫力あるリングが設置され、観客は選手たちの熱い戦いを間近で体感することができます。試合は、一定のラウンド数で行われ、勝利を収めた選手が次のラウンドに進出します。最終的には、トーナメントの頂点を目指す選手が決定されます。

このトーナメントは、格闘技ファンやスポーツ愛好家にとって、見逃せないイベントとなっています。選手たちの技術の高さや闘志あふれる戦いは、観客を魅了し、熱狂的な声援が会場を包みます。

「ボクシング/総合格闘技」トーナメントは、格闘技の魅力を最大限に引き出す興奮とスリルに満ちたイベントです。是非、このトーナメントの興奮と感動を体験してください。