総合格闘技

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総合格闘技(そうごうかくとうぎ、英: mixed martial arts、略称:MMA)は、打撃(パンチ、キック)、投げ技、固技(抑込技、関節技、絞め技)などの様々な技術を駆使して勝敗を競う格闘技である。

History

古代

既に古代には総合格闘技の原型のような格闘技が存在したことが確認されており、古代中国では、中国武術、ボクシング、レスリングが組み合わさった「擂台」、古代ギリシアでは、ボクシングとレスリングが組み合わさった「パンクラチオン」が存在した。

近世

19世紀半ばにはフランスで「サバット」が隆盛し、1852年にサバットとイギリスのベアナックル・ボクシングとの対抗戦が開催された。このような試合は19世紀後半から20世紀半ばにかけても組まれ続け、1905年に柔道家との対戦、1957年にプロボクサーや空手家との対戦などが組まれた。

19世紀後半には、イギリスのレスリングやインド伝統レスリングのぺヘルワニーなど世界の様々なスタイルのレスリングが組み合わさった格闘技で、後世で総合格闘技に多大な影響を与える「キャッチレスリング」が登場。1880年代後半、キャッチレスリングを習得したキャッチレスラー達が、ヨーロッパ各地で開催されたトーナメント戦や、ミュージックホールなどで行われた挑戦者応募試合で戦った。アメリカ合衆国では、1887年にボクサーとキャッチレスラーが近代で初めて対戦し、当時のボクシング世界ヘビー級王者ジョン・L・サリバンとキャッチレスリング王者ウィリアム・マルドゥーンが試合を行った。1890年代後半には、後にボクシング世界ヘビー級王者になるボブ・フィッシモンズがキャッチレスリング欧州王者のアーネスト・ローバーと対戦。1901年9月には、フランク・スラビンとフランク・ゴッチが対戦した。

1899年にはロンドンで、日本で数年間武道を学んだエドワード・ウィリアム・バートン=ライトが、キャッチレスリング、柔道、ボクシング、サバット、柔術、フランス式棒術を組み合わせた「バーティツ」を開発。バーティツはアジアとヨーロッパの格闘技を融合させた最初の格闘技とされている。

1920年代初頭にソビエト連邦で、レスリング、柔道、打撃格闘技などの様々な格闘技を融合せた「サンボ」が開発された。

第一次世界大戦後、キャッチレスリングは、「シュート」と呼ばれる真剣勝負と、現在のプロレスに通じる「ショー」、2つの異なるジャンルに分かれて衰退していった。

1951年10月23日、ブラジルのマラカナン・スタジアムで柔道家の木村政彦と柔術家のエリオ・グレイシーと対戦し、木村が腕がらみで勝利した。

1963年、キャッチレスラーで柔道家のジン・ラベールとプロボクサーのミロ・サベージが対戦。北米で初めてテレビ放送された異種格闘技スタイルの試合となった。

1960年代後半から1970年代初頭にかけて、複数の武術・格闘技を融合させるという概念が、ブルース・リーの創始した「截拳道」によって西洋に広まった。2004年にUFC代表ダナ・ホワイトはブルース・リーのことを「総合格闘技の父」と称えている。

1976年、日本でボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとプロレスラーのアントニオ猪木が対戦し、15ラウンド引き分けとなった。

1988年、ムエタイのチャンプア・ゲッソンリットがキックボクサーのリック・ルーファス対戦。チャンプアは初回にパンチで2度ダウンを喫するも、ローキックを当て続け、レフェリーストップにより逆転勝利を収めたが、この試合は、西洋のファンにローキックの有効性を知らしめた最初の試合とされている。

主な出来事

2000年以上前 – 擂台
– パンクラチオン
19世紀後半 – キャッチレスリング
1880年代後半 – 初期NHB
1899年 – バーティツ
1920年代 – 初期バーリトゥード、グレイシーチャレンジ
1951年 – 木村政彦 対 エリオ・グレイシー
1960年代–1970年代 – ブルース・リー、截拳道
1976年 – アントニオ猪木対モハメド・アリ
1985年 – 修斗設立
1989年 – 修斗プロ第一戦開催
1993年 – パンクラス設立
1993年 – UFC設立
1997年–2007年 – PRIDE・ UFC時代
2000年 – ニュージャージー州アスレチック・コミッションが統一ルール(通称:ユニファイドルール)を制定
2001年 – ズッファがUFCを買収
2005年 – The Ultimate Fighter開始
2006年 – ズッファがWFAとWECを買収
2006年 – UFC 66で総合格闘技初となる PPV購買件数100万件達成
2007年 – ズッファがPRIDEを買収
2009年 – Strikeforce: Carano vs. Cyborgでメジャープロモーションで初めて女子選手の試合をメインイベントにして開催
2011年 – WECがUFCと統合
2011年 – ズッファがStrikeforceを買収
2011年 – FOXで放送されたUFC on FOX 1で視聴者数880万人到達
2012年 – 国際総合格闘技連盟(IMMAF)設立
2016年 – WMG/WME-IMGがUFCを40億ドル(約4400億円)で買収

近代総合格闘技

今日の総合格闘技に大きな影響を与える「ブラジリアン柔術」「バーリトゥード」が始まる。

バーリトゥードは1920年代に始まり、後に「グレイシーチャレンジ」によって有名になった。グレイシーチャレンジはグレイシー一族が様々な格闘技の猛者や道場破りと対戦するもので、カーロス・グレイシーとエリオ・グレイシーによって始められた。

1980年3月20日、アメリカ合衆国で初めてルール化された総合格闘技の大会「タフガイ」が、CVプロモーションによってペンシルバニア州ニューケンジントンで開催された。その後10大会を継続開催したが、全く無関係のボクシング大会「タフマンコンテスト」で死亡事故が起こったことも重なり、1983年にペンシルバニア州上院議会で総合格闘技を事実上禁止する法案が可決された。

1993年、「UFC」が設立。The Ultimate Fighterシーズン1をきっかけに人気を博し、2006年にはPPVの年間販売件数でボクシングを上回った。

1997年、「PRIDE」が設立。

2007年、UFCがPRIDEを買収し統合。

名称

英語では「混合格闘技」を意味するMixed Martial Arts(ミクスド・マーシャル・アーツ)と呼ばれている。実際にこの名称を生み出したのは誰なのか諸説あるが、最初にこの言葉が公に用いられたのは、テレビ評論家のハワード・ローゼンバーグがUFC 1のレビュー記事をロサンゼルス・タイムズで執筆した時とされており、総合格闘技サイトnewfullcontact.comがその言葉を引用したことで広まったとされている。

プロモーションで最初に使用したのは1995年9月のBattlecade Extreme Fightingとされており、UFCではUltimate FightingおよびNo Holds Barred(NHB)と呼ばれていたが、世論からの批判が高まったことで、UFC 17のルールミーティングで、UFCコミッショナーのジェフ・ブラトニックとレフェリーのジョン・マッカーシーが、略称であるMMAの使用を提案したとされている。

ルール変遷

1996年8月23日、近代になって初めて州アスレチック・コミッションに認可された総合格闘技の大会がミシシッピ州ビロクシで開催される。ルールは既に認可されていたキックボクシングのルールに、テイクダウンと寝技を認めるルールと、ラウンド廃止が追加され、レフェリーに寝技で膠着した場合に選手を立たせてから再開させる権限が与えられて行われた。

1997年3月、アイオワ州アスレチック・コミッションが、既存のシュートファイティングルールに、3分5ラウンドのラウンド制、シュートファイティンググローブ装着の義務、階級の規定などと、禁止行為の指定(下腹部への攻撃、頭突き、噛みつき、目突き、頭髪を掴む、グランド状態の相手への肘攻撃、後頭部への拳での攻撃、ケイジやロープを掴む等)を加えたルールを策定した上で、総合格闘技を事実上認可し、1997年3月28日にExtreme Fighting 4が開催された。

2000年9月30日、ニュージャージー州アスレチック・コミッションが、総合格闘技を認可。総合格闘技の包括的なルールを策定するために、実際に大会を見て情報収集することを認可の事由とした。

2001年4月3日、ニュージャージー州アスレチック・コミッションが、総合格闘技の統一ルールを策定する会議を開催。会議に出席した、他州のアスレチック・コミッションや総合格闘技関係者により統一ルールが合意された。

ニュージャージー州アスレチック・コミッションの制定したルールが、北米において事実上の統一ルールとなっていたが、2009年7月30日にボクシング・コミッション協会によって正式に「総合格闘技の統一ルール」として承認された。

女子総合格闘技

日本では、女性による総合格闘技は女子プロレスや男子総合格闘技の中で行われてきたが、1995年に史上初となる女子限定の総合格闘技イベント「L-1」が女子プロレス団体「LLPW」主催で開かれ、同団体エースの神取忍らが出場した。

1997年3月28日、アメリカ合衆国で公式記録として残っている最初の女子総合格闘技の試合がIFC 4で行われた。これに続いて1997年9月5日にルイジアナ州アスレチック・コミッションに認可された女子選手4人参加のトーナメントが開催された。

2001年、日本で女子総合格闘技団体「SMACK GIRL」が設立された。

2009年8月15日、アメリカ合衆国でStrikeforceがメジャープロモーションで初めて女子選手の試合をメインイベントにした大会を開催。クリスチャン・サイボーグとジーナ・カラーノがメインイベントで対戦した。

2012年4月28日、アメリカ合衆国で女子総合格闘技団体「Invicta FC」が設立された。

2013年2月23日、UFCが女子部門を設立し、UFC 157でロンダ・ラウジーがメインイベントを務めた。ラウジーは女子格闘家で初のPPV販売件数100万件を達成、さらにESPY賞を2014年と2015年に2年連続で受賞するなど総合格闘技の枠を超えたスター選手となった。

ルール

黎明期の女子総合格闘技では、安全上の理由から、顔面へのパウンド禁止やグラウンドに時間制限がかけられたり、短いラウンド数や試合時間で試合が行われる事があった。

「総合格闘技」とは、略してMMA(Mixed Martial Arts)とも呼ばれる、さまざまな格闘技を組み合わせたトーナメントです。このトーナメントでは、参加者たちが様々な格闘技の技術を駆使し、相手との対戦に臨みます。総合格闘技は、打撃技、組み技、関節技、絞め技など、あらゆる攻撃や防御技術を自由に使うことができます。そのため、参加者たちは自身の得意な技術を活かしながら、相手を制するための戦略を練ります。総合格闘技は、スピード、パワー、テクニック、体力など、さまざまな要素が求められるため、参加者たちはトレーニングや体力づくりにも力を入れています。このトーナメントでは、一つのリングで複数の試合が行われ、勝ち進んでいく参加者たちが頂点を目指します。総合格闘技は、観客にとっても迫力満点のスポーツであり、その興奮と緊張感は一瞬たりとも途切れることはありません。総合格闘技のトーナメント「総合格闘技」は、格闘技ファンにとっては見逃せないイベントであり、参加者たちの技術と勇気によって、観客たちは圧倒されることでしょう。