スケジュール

韓国KBO 04/24 09:30 - [6] LGツインズ vs サムスンライオンズ [5] - 0-6
韓国KBO 04/25 09:30 - サムスンライオンズ vs LGツインズ - View
韓国KBO 04/26 09:30 - LGツインズ vs 起亜タイガース - View
韓国KBO 04/27 08:00 - LGツインズ vs 起亜タイガース - View
韓国KBO 04/28 05:00 - LGツインズ vs 起亜タイガース - View
韓国KBO 04/30 09:30 - NCダイノス vs LGツインズ - View

結果

韓国KBO 04/23 09:30 - [6] LGツインズ v サムスンライオンズ [5] L 3-7
韓国KBO 04/21 08:00 - [5] LGツインズ v SSGランダース [3] D 5-5
韓国KBO 04/21 05:00 - LGツインズ - 試合1 v SSGランダース W 10-8
韓国KBO 04/19 09:30 - [6] LGツインズ v SSGランダース [3] W 4-1
韓国KBO 04/18 09:30 - [10] ロッテジャイアンツ v LGツインズ [5] L 9-2
韓国KBO 04/17 09:30 - [10] ロッテジャイアンツ v LGツインズ [6] W 5-6
韓国KBO 04/16 09:30 - [10] ロッテジャイアンツ v LGツインズ [7] W 2-7
韓国KBO 04/14 05:00 - LGツインズ v 斗山ベアーズ L 5-9
韓国KBO 04/13 08:00 - [6] LGツインズ v 斗山ベアーズ [8] L 2-5
韓国KBO 04/12 09:30 - [6] LGツインズ v 斗山ベアーズ [8] W 2-1
韓国KBO 04/11 09:30 - [6] LGツインズ v 起亜タイガース [1] L 4-8
韓国KBO 04/10 05:00 - [6] LGツインズ v 起亜タイガース [1] L 4-5

Wikipedia - LGツインズ

LGツインズ(エルジー・ツインズ、朝: 엘지 트윈스、英: LG Twins)は、KBOリーグに所属する韓国のプロ野球チームである。ホームタウンはソウル特別市であり、本拠地は同市松坡区の蚕室野球場。LGグループ傘下。KBO創設メンバー6球団の一つ。

History

MBC青龍時代(1982年 - 1989年)

1982年の韓国プロ野球発足と同時に誕生した韓国文化放送(MBC)を親会社とするMBC青龍(資料によっては「MBCブルードラゴンズ」、または「MBCドラゴンズ」とするものもある)としてソウルを本拠地として創設。1983年まではプレイングマネージャーとして、日本プロ野球でも活躍した白仁天が活躍し、1982年には史上唯一のシーズン打率4割(.412)を記録した。しかし、1980年代後半は低迷が続き、毎年のように監督が交代し親会社のMBCの経営陣も球団運営に熱意を見せなかった。結局1989年シーズン終了後、球団の売却を決定、LGグループが当時約130億ウォンで買収してLGツインズとなった。

LGツインズ時代(1990年 - )

1990年代

1990年代は4度の韓国シリーズ進出、1990年と1994年に韓国シリーズを制覇するなど、当時のヘテ・タイガースとともに90年代の人気球団としての地位を両分し、「シンパラム(新風)野球」として一世を風靡した。1990年にLG初代監督として、前身のMBCで活躍した白仁天が迎えられ、球団創設初年度に三星ライオンズをやぶって韓国シリーズ初優勝を果たした。だが翌91年は6位と低迷したため、この年限りで白仁天は退任となった。

1992年から李廣煥監督が就任し、初年度は7位と低迷したが、翌1993年は公式戦4位でプレーオフまで進出した。そして1994年、柳志炫、金宰炫などの新人選手、当時プロ2年目の李尚勲などの若手が活躍し、2度目の韓国シリーズ優勝を成し遂げた。 このころがまさにLGツインズの黄金時代であり、当時の主なスター選手としては李尚勲、柳志炫、金龍洙、徐容彬、宋九洪、金東洙などがあげられる。

しかし1995年3位、1996年7位と成績が低下すると、李廣煥も1996年シーズン途中で交代となった。このあと監督代行を務めた千普成が監督に昇格し、1997年には2位に浮上したが、韓国シリーズでヘテタイガースに敗れた。1998年も2位だったがまたもやヘテに韓国シリーズで敗れ、1999年には総合6位(ドリームリーグ4位、この年から2000年まで2リーグ制)と低迷したため、千普成監督も退任した。

2000年代

2000年から李光殷が監督に就任し、同年はドリームリーグ1位でプレーオフに進出したが、斗山ベアーズに敗れた。翌01年は6位に終わり、オフにはシーズン途中で監督代行となった金星根が正式に監督に就任した。

2002年、金星根の指揮の下、公式戦4位ながら準プレーオフ、プレーオフを勝ち上がり、韓国シリーズに出場したが三星ライオンズに敗れた。しかしフロントとの対立で金星根がこの年限りで退任してから、チームの低迷が始まった。

2003年は1990年代韓国シリーズ優勝に導いた李廣煥監督の再登板となったが、6位に終わりこの年限りで退任した。2004年から李順喆監督が就任したがまた6位に終わり、2005年と3年連続で6位と成績不振が目に付くようになって、2000年代半ばからチーム強化に成功し、韓国シリーズに3度進出した地域ライバルの斗山ベアーズに水をあけられる状態に陥る。

2006年は投手インストラクターとして加藤初が4年ぶりに復帰、宇都博之がトレーニングコーチを務めた。同年、球団史上初の最下位の屈辱を味わい、シーズン途中で李順喆監督は成績不振で退任となり、オフには同チームのOBであり、現代ユニコーンズを4回優勝に導いた金在博を新監督として迎え、巻き返しを図かった。その初年度の2007年は5位で終わったが、夏場までポストシーズン進出枠を争い、シーズン終了間際までポストシーズン進出の可能性を残すなど健闘した。だが2年目の翌2008年は、投打ともに振るわず序盤から低迷を続け、2年ぶり2度目の最下位に沈んだ。

2009年には20年以上のコーチ経験があり、2008年まで中日ドラゴンズの投手コーチを務めていた高橋三千丈を投手コーチとして招聘した。オフにFAで鄭成勲、李晋暎の大物野手を獲得したこともあり、上位進出も期待されたが、投手陣の弱さが克服できず7位に終わり、例年と代わり映えのない成績で7年連続ポストシーズン進出に失敗し、低迷から脱出できなかった。なお金在博はこの年限りで退任し、新監督として朴鍾勲が迎えられた。

2010年代

2010年はトレードでネクセンヒーローズから李宅根をトレードで獲得し、かつての主力選手李炳圭の復帰などで戦力を補強したが、外野手が必要以上に多いなどチーム構成のバランスが悪く、6位となり8年連続でポストシーズン進出に失敗した。 2011年は前半こそ首位争いをしていたものの、夏場から勝率を下げる一方でハンファと同率6位に終わり、9年連続ポストシーズン進出失敗の不名誉な韓国プロ野球新記録を塗り替えてしまった。成績不振の責任を取る形で朴鍾勲監督も辞任し、金杞泰監督が就任した。

2012年は4月7日のレギュラーシーズン開幕を前にして、前年チーム最多勝(13勝)だった朴顯俊、金聖賢の2名の投手が金銭を受け取り競技操作事件に加担したとして有罪となり、解雇された後に球界から永久追放処分を科されてしまう(韓国プロ野球八百長事件)。投手力不足を解消できず7位でポストシーズン進出失敗記録を10年に伸ばした。2013年はレギュラーシーズン2位で11年ぶりにポストシーズン進出となり、プレーオフから出場したが斗山ベアーズに敗れた。2014年4月23日、最下位に低迷していたためシーズン中にもかかわらず金杞泰監督が辞任し、同年5月11日、楊相汶が監督に就任すると調子を取り戻し、レギュラーシーズン4位で1998年以来となる2年連続でポストシーズンへ進出した。NCダイノスとの準プレーオフに勝利し、2年連続プレーオフへ進出したがネクセン・ヒーローズに敗れた。2015年は9位で、3年ぶりにポストシーズン進出を逃した。2016年はレギュラーシーズン4位で2年ぶりにポストシーズンへ進出し、起亜とのワイルドカード決定戦、ネクセンとの準プレーオフで勝利したが、プレーオフで2位のNCダイノスに敗れた。2017年は6位でポストシーズン進出はならず楊相汶監督が退任した。

2018年より柳仲逸監督が就任するも、同年は8位で2年連続ポストシーズン進出はならなかった。2019年はレギュラーシーズン4位で3年ぶりにポストシーズンへ進出するも、準プレーオフでキウム・ヒーローズに敗れた。

2020年代

2020年はレギュラーシーズンの最終戦で斗山と同率3位に並ばれ、直接対決の成績により4位扱いとなりポストシーズンはワイルドカード決定戦から出場、準プレーオフで斗山に敗れ柳仲逸監督が退任、柳志炫が監督に就任した。

2021年はレギュラーシーズン3位で、ポストシーズンは斗山に敗れ3年連続で準プレーオフ敗退となった。

2022年はレギュラーシーズン2位で、ポストシーズンはキウムに敗れプレーオフで敗退、柳志炫監督は退任した。

2023年より 廉京燁監督が就任、1994年以来29年ぶりとなるレギュラーシーズン、韓国シリーズ優勝を果たした。