ウルグアイ 前期リーグ | 04/19 18:30 | - | リベルプールFC vs ディフェンソール・スポルティング | - | View | |
ウルグアイ 前期リーグ | 04/24 18:00 | - | ランプラ・ジュニアーズ vs ディフェンソール・スポルティング | - | View | |
ウルグアイ 前期リーグ | 04/28 23:30 | - | ディフェンソール・スポルティング vs モンテビデオ・ワンダラーズ | - | View |
ウルグアイ 前期リーグ | 04/14 18:00 | - | [5] ディフェンソール・スポルティング v CAリベールプレート [6] | W | 2-1 | |
ウルグアイカップ | 04/10 22:00 | 2 | CAリベールプレート v ディフェンソール・スポルティング | W | 1-2 | |
ウルグアイ 前期リーグ | 04/05 22:00 | 7 | [3] ボストンリーベル v ディフェンソール・スポルティング [4] | D | 2-2 | |
ウルグアイ 前期リーグ | 03/30 22:00 | 6 | [7] ディフェンソール・スポルティング v ダヌービオ [10] | W | 1-0 | |
ウルグアイカップ | 03/28 23:30 | 2 | CAリベールプレート v ディフェンソール・スポルティング | - | PPT. | |
ウルグアイ 前期リーグ | 03/25 23:00 | 6 | ディフェンソール・スポルティング v ダヌービオ | - | PPT. | |
ウルグアイ 前期リーグ | 03/24 00:00 | 5 | [10] デポルティーボ・マルドナド v ディフェンソール・スポルティング [5] | L | 1-0 | |
ウルグアイ 前期リーグ | 03/19 22:00 | 5 | デポルティーボ・マルドナド v ディフェンソール・スポルティング | - | PPT. | |
ウルグアイカップ | 03/13 23:30 | 3 | ディフェンソール・スポルティング v ダヌービオ | W | 1-0 | |
ウルグアイ 前期リーグ | 03/10 22:30 | 4 | [6] ディフェンソール・スポルティング v ナシオナル・モンテビデオ [4] | D | 3-3 | |
ウルグアイ 前期リーグ | 03/02 13:00 | 3 | [3] ラシン・クラブ・デ・モンテビデオ v ディフェンソール・スポルティング [8] | W | 1-2 | |
ウルグアイカップ | 02/29 00:00 | 4 | プラサコロニア v ディフェンソール・スポルティング | W | 0-1 |
Total | Home | Away | |
---|---|---|---|
Matches played | 43 | 21 | 22 |
Wins | 19 | 12 | 7 |
Draws | 11 | 4 | 7 |
Losses | 13 | 5 | 8 |
Goals for | 59 | 31 | 28 |
Goals against | 41 | 17 | 24 |
Clean sheets | 15 | 10 | 5 |
Failed to score | 9 | 5 | 4 |
デフェンソール・スポルティング・クラブ(スペイン語: Defensor Sporting Club)はウルグアイの首都モンテビデオを本拠地とするスポーツクラブである。この記事では、主にデフェンソール・スポルティングのサッカーチームについて説明する。
1913年3月15日にデフェンソール・フットボール・クラブ(Defensor Football Club)として創設。その後、一度は解散するが、1922年にクラブ・アトレティコ・デフェンソール(Club Atlético Defensor)として再結成した。1989年、バスケットボールを主体とするスポルティング・クラブ・ウルグアイ(Sporting Club Uruguay)と合併して、現在のデフェンソール・スポルティング・クラブ(Defensor Sporting Club)となった。
1913シーズンにディビシオナル・エクストラA(3部)に参加。翌1914シーズンにセグンダ・ディビシオンに昇格、さらに翌1915シーズンにはプリメーラ・ディビシオンに昇格を果たした。1915シーズンは、10クラブ中4位というまずまずの成績を残した。しかし2年後の1917シーズンを最下位で終え、セグンダ・ディビシオンへの降格が決まると、デフェンソールFCはクラブを解散した。
1922年末、ペニャロールとセントラル(現在のセントラル・エスパニョール)がウルグアイサッカー協会(AUF)を脱退してウルグアイサッカー連盟(FUF)を設立した。これを機に、CAデフェンソールとして再結成して1923シーズンからFUF主催の国内リーグに参加した。その後、AUFとFUFの再統合を経て再開された1927シーズンから、デフェンソールとしては10年ぶりにAUF主催の国内リーグに復帰した。
1927シーズン以降、2部で過ごした1950シーズン・1965シーズン・2021シーズンを除いて、常に1部リーグに在籍している。
1976シーズンには、守備的な戦術を採用したリカルド・デ・レオン監督の下でリーグ初優勝を飾り、1932年にプロリーグ化されて以降、初めてペニャロールとナシオナル以外の優勝クラブとなった。翌1977年にはコパ・リベルタドーレスに初出場を果たした。
その後も、1987シーズン、1991シーズン、2007-08シーズンとプリメーラ・ディビシオンを制している。2007年9月には、国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)によって世界月間最優秀クラブに選出された。
2014年のコパ・リベルタドーレスでは過去最高のベスト4に進出した。5ゴールを決めて得点王になったデフェンソールのニコラス・オリベラが大会MVPも獲得した。
2022年、1回目の開催となったコパ・AUF・ウルグアイでは初代王者に輝いた。