スケジュール

J2リーグ 02/19 06:00 1 大分トリニータ vs 水戸ホーリーホック - View

結果

天皇杯 12/19 05:00 1 浦和レッズ v 大分トリニータ L 2-1
天皇杯 12/12 05:00 2 川崎フロンターレ v 大分トリニータ W 5-6
J1リーグ 12/04 05:00 38 [14] 柏レイソル v 大分トリニータ [18] W 2-3
J1リーグ 11/27 05:00 37 [18] 大分トリニータ v 横浜FC [20] W 2-0
J1リーグ 11/20 06:00 36 [4] 鹿島アントラーズ v 大分トリニータ [18] D 0-0
J1リーグ 11/07 05:00 35 [18] 大分トリニータ v ガンバ大阪 [13] L 2-3
J1リーグ 11/03 06:00 34 [8] アビスパ福岡 v 大分トリニータ [18] L 1-0
天皇杯 10/27 10:00 3 ジュビロ磐田 v 大分トリニータ W 0-2
J1リーグ 10/23 05:00 33 [16] 徳島ヴォルティス v 大分トリニータ [18] D 1-1
J1リーグ 10/17 05:00 32 [19] 大分トリニータ v ベガルタ仙台 [20] W 2-0
J1リーグ 10/03 07:00 31 [20] 大分トリニータ v セレッソ大阪 [12] W 1-0
J1リーグ 09/26 07:00 30 [4] 名古屋グランパス v 大分トリニータ [19] L 1-0

Stats

 TotalHomeAway
Matches played 50 24 26
Wins 12 8 4
Draws 14 7 7
Losses 24 9 15
Goals for 43 25 18
Goals against 66 28 38
Clean sheets 14 8 6
Failed to score 19 6 13

Wikipedia - 大分トリニータ

大分トリニータ(おおいたトリニータ、Oita Trinita)は、日本の大分市、別府市、佐伯市を中心とする大分県全県をホームタウンとする日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

History

Jリーグ加盟前

1994年4月に任意団体「大分フットボールクラブ」として発足。競技登録上のチーム名は「大分」または「大分FC」で、「大分トリニティ」という愛称が付けられた。大分県社会人サッカーリーグ(当時は1部リーグのみ)と九州サッカーリーグを連覇して1996年に全国地域サッカーリーグ決勝大会(地元大分市営陸上競技場で開催)で2位に入り、発足から2年でジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ昇格。

当初は文正植、朴景和と韓国人監督の下、外国籍選手についても元韓国代表の皇甫官、崔大植などを中心としたチームだった。

1998年、ブラジル人監督のフォルミーガ(ポルトガル語版)を招聘し、外国籍選手にウィルを補強。JFL最後のシーズンは6位であった。

1999年 - 2002年(J2)

1999年1月に運営法人となる株式会社大分フットボールクラブを設立。1999年から発足したJリーグ ディビジョン2(J2)に初年度から参加した。なお、「トリニティ」の名前が商標登録の関係で正式なチーム名として使えないため、同年より「大分トリニータ」へ改称した。

監督に前山形監督の石﨑信弘が就任。J2初年度からJ1昇格争いに加わるが、1999年・2000年とも2年連続で2位との勝ち点差1の3位で昇格を逃した。2001年はシーズン当初より不振で5月に石﨑を監督より解任し、小林伸二が後任の監督に就任。最終節まで昇格を争うところまで持ち直したが、結局6位に終わった。

小林が続投した2002年は西山哲平、浮氣哲郎、サンドロ、アンドラジーニャなどを補強し、前年作り上げた堅守速攻を武器に序盤から首位を独走。J2優勝とJ1昇格を果たした。また、最終節で史上初のJ2通算100勝を達成した。

2003年 - 2009年(J1)

2003年基本布陣

2003年
チームスローガン:ムーブ&バランス

小林体制3年目。J1昇格1年目となったシーズンは、新潟の寺川能人、前年コパ・リベルタドーレス得点王のロドリゴなどの選手を補強した。守備はある程度通用したものの、ロドリゴは期待されたような活躍は出来ずシーズン途中で退団。前年チーム得点王のアンドラジーニャも得点をあげる事ができずシーズン途中に札幌に移籍した。その結果、ストライカーが不在となり深刻な得点力不足に陥りチームも低迷。シーズン半ばに3年振りの復帰となるウィルなど多くの外国人FWを補強するも得点力不足は改善されず、2ndステージは15試合で失点数はリーグ最少の16ながら、得点は7に留まった。最終節の15位・仙台戦は、大分勝利、引き分けの場合は大分の残留、大分負けの場合は仙台が残留と両チームのJ1残留をかけた直接対決となった。試合は前半15分に梅田高志のゴールで先制。後半に入り仙台に同点にされたが、勝ち越しは許さず1-1の引き分けで試合終了。年間順位14位(1stステージ14位、2ndステージ16位)でJ1に残留した。シーズン終了後、小林が監督を退任。

2004年

2004年基本布陣

チームスローガン:Perform & Enjoy

オランダ人のハン・ベルガーを監督に迎える。寺川が新潟に復帰したものの、元ブラジル代表のマグノ・アウベス、元オランダ代表のリチャード・ビチュヘ、仙台の根本裕一などの選手を獲得。マグノ等の補強組が結果を残し1stステージは10位で終える。

しかし、2ndステージ開幕前のビチュヘの退団、1stステージで活躍した木島良輔のケガなどもあり失速。緊急補強としてDFのパトリックを獲得するも、2ndステージは2年連続の最下位。マグノが11得点、高松大樹が8得点を挙げたが、全体的な得点数は伸び悩み順位は年間13位に終わった。ベルガーはシーズン終了後に辞任した。

2005年

2005年基本布陣

チームスローガン:Together & Enjoy

皇甫官がヘッドコーチから監督に昇格。なお、前年度のゲームキャプテンを務めたサンドロが退団し、瀬戸春樹、山崎哲也などが他クラブに移籍した。補強面では元ブラジル代表のFWドド、上本大海などが加入した他、新加入選手として深谷友基らが入団。大分U-18から西川周作、梅崎司が昇格した。

しかしドドは15試合で3得点に留まり(結局ドドは前年加入したDFパトリックと共にシーズン途中で加入したエジミウソン、トゥーリオと入れ替わりで退団)、スタートダッシュに失敗し下位に低迷。その後一時は順位を8位まで上げるも、主将吉田孝行の怪我の影響もあり再び失速。神戸との最下位争いから抜け出せず、直接対決でも敗戦するなど不振が続いた為、皇甫を8月28日付で解任。後任にはペリクレス・シャムスカが就任した。

初采配となった浦和戦を勝利すると、そこから6戦負け無し(5勝1分)を記録するなど勝利を積み上げ、当初に掲げていた「残り12試合で勝ち点18」の目標を8試合(6勝1敗1分け、勝ち点19)で達成、目標を7位に修正するほどの急速的な復調を遂げた。この出来事は「シャムスカマジック」と呼ばれた。11月23日のC大阪戦に1-1で引き分けたことでJ1残留が決定。最終順位は過去3年間で最高の11位となった。

2006年

2006年基本布陣

チームスローガン:Challenge & Challenge

シャムスカ体制2年目。岡中勇人が現役を引退した他、チーム得点王のマグノ・アウベス、主将を務めていた吉田孝行など半数近くの選手が他クラブに移籍、または戦力外となった。補強面ではフォルタレーザECからオズマール、柏から元日本代表の増田忠俊らを獲得。新加入選手として高橋大輔、森重真人が入団し、大分U-18から福元洋平、梶原公が昇格。登録メンバーは25人でシーズンに臨んだ。

序盤戦は3連敗を喫するなど黒星が先行し、一時はシーズン14位に順位を落としたが、その後は調子を上げ第11節鹿島戦から第14節新潟戦にかけて4連勝を記録。第16節川崎戦から第22節福岡戦にかけては7戦負けなしで、第21節にはこの年のリーグ王者である浦和から白星をあげるなど6位に浮上。シーズン前に掲げた目標を「8位以内」から「4位以内」に修正し10月にJ1残留を決めた。ただその後は3勝2分7敗と成績を落としたことで賞金圏内の7位以内を逃したが、当時のJ1最高順位となる8位でシーズンを終えた。

また、チーム創設以来初めて、日本代表に西川周作と梅崎司、後に高松大樹も招集され、梅崎と高松は国際Aマッチにも出場を果たした。

2007年

2007年基本布陣

チームスローガン:「Challenge & Competition」挑戦と闘争

シャムスカ体制3年目。エジミウソン、トゥーリオが退団し、梅崎司がフランス・グルノーブルに期限付き移籍するなど7選手がチームを去った。補強面ではジュニオール・マラニョン、宮沢正史、アウグスト、金崎夢生ら8選手が新たに加入した。しかし、新加入のマラニョン・宮沢が共にスタメン出場した開幕2試合が共に未勝利に終わると、宮沢は翌第3節でスタメン落ち、マラニョンは後にシーズン半ばで退団となった。その後は藤田義明など様々な選手をボランチで起用するも大量失点で負ける試合も少なくなく、第13節には最下位の横浜FCにも1-2で敗北を喫した。シーズン途中に前田俊介(広島より期限付き移籍)、梅崎(グルノーブルより復帰)が加入した後も勝ち点を伸ばせず、前半戦(第18節)終了時点で自動降格圏内の17位と低迷した。

J1残留のために後半戦をリベンジ16と銘打ち、新潟から鈴木慎吾、元福岡のホベルト、そして半年ぶり、3度目の加入となるエジミウソンを獲得。その結果、後半戦はチーム状態が回復し、順調に白星を重ねるようになる。中でも第31節は同じく残留争いをしていた大宮との直接対決で、1-1で迎えた後半44分に前田俊介の大分移籍後初得点となるゴールで逆転勝利。第33節 磐田戦を勝利しJ1残留を確定させた。シーズン最終順位は14位であった。

2008年のJリーグカップ決勝

2008年
チームスローガン:One Heart,Big Challenge

シャムスカ体制4年目。シーズン前に梅崎司、松橋章太、三木隆司、山崎雅人が他クラブに移籍するなど9選手が退団。その穴を埋めるべくG大阪より家長昭博、前広島のウェズレイらを獲得し、大分U-18から清武弘嗣、小手川宏基ら4選手が昇格した。また、この年に大分初のクラブマスコットキャラクターとなるニータンが誕生した。

シーズン前の練習中に家長が全治6か月の大ケガを負ったが、その代役に抜擢された2年目の金崎夢生が活躍。上本大海・森重真人・深谷友基の3バックラインとエジミウソン・ホベルトのボランチコンビ、そしてGK西川周作との連携は成熟されリーグトップレベルの堅守を見せた(イタリア代表の「カテナチオ」とクラブマスコットであるカメのニータンを掛け合わせ「カメナチオ」と呼称)。その堅守を武器にナビスコ杯では、予選GLを2位でクラブ初の突破を果たすと、決勝トーナメントはそのままの勢いでFC東京、名古屋グランパスを破り、決勝・清水エスパルス戦も高松大樹とウェズレイのゴールで2-0のスコアで勝利し、優勝を果たした(クラブ初そして九州のチーム初のタイトル)。

一方、リーグ戦も終盤まで優勝争いに加わり、チーム歴代最高の4位・勝点56でシーズンを終えた。総失点数はJ1過去最少の24失点(1試合平均0.706点)となった。また、ホームゲーム6連勝やホームゲーム13試合連続不敗を記録するなどホームである九州石油ドーム(当時)で圧倒的な相性の良さをみせた。ただ、得点数は伸び悩みリーグ戦で3得点以上を記録した試合は僅か2試合に終わり、リーグワースト2位の33得点(1試合平均0.971点)となった。

2009年第18節(vs浦和戦)

2009年
チームスローガン:One Heart,Big Challenge

シャムスカ体制5年目。神戸から坪内秀介が期限付き移籍で加入し、梅田高志と、宮沢正史が期限付き移籍より復帰。一方で期限付き移籍で加入していた小林亮等が退団した。シーズン開幕前の2月にホーム・デポ・センター(アメリカ合衆国カリフォルニア州カーソン)で開催されたパンパシフィックチャンピオンシップ2009にナビスコカップ優勝チームとして出場し3位となる。

リーグ戦では、チーム始動が遅くフィジカルトレーニングが十分に行えなかったことや、九州石油ドームの芝の張り替えに失敗し芝の状態が不安定だった影響による怪我や累積警告で、多くの主力選手の欠場が相次ぎ最下位に低迷。5月23日の広島戦で敗戦を喫したことで10連敗となり、延長戦が廃止された2003年以降のJ1では、2007年の横浜FCの9連敗を抜いてワースト記録となった。その後は連敗数は14まで続き、1勝1分15敗(勝ち点4)の最下位でシーズンを折り返した。このため、7月14日に成績不振によりシャムスカを解任。後任に元広島コーチのランコ・ポポヴィッチが就任した。同月18日の第18節・浦和戦ではポポヴィッチの役員登録が完了するまでの処置として強化部の松山博明が暫定監督を務め、1-0で浦和に勝利。これで連敗を14で止め、3月21日の第3節・新潟戦以来の勝ち点、3月14日の第2節・京都戦以来の勝ち星をあげた。その後9月13日の磐田戦からシーズン終了まで10戦負けなし、またこれまでリーグ戦未勝利だった千葉にも初勝利をあげるなど復調を遂げたが、前半戦の成績が響き残留圏内まで浮上するには至らず、第30節の京都戦(勝利が残留の必要条件)に引き分けた事でリーグ戦4試合を残し8シーズンぶりのJ2降格が決定した。

一方、連覇を懸け望んだナビスコ杯は無敗であったものの、1勝5分と勝ち点3を積み上げる事ができず予選敗退となった。また8月5日にはスルガ銀行チャンピオンシップが開催され、コパ・スダメリカーナ王者・SCインテルナシオナルと対戦し、1-2で敗れた。

2010年 - 2012年(J2)

2010年

2010年基本スタメン

チームスローガン:RESTART ~ONE HEART~

2009年シーズン中に表面化したチームの経営危機を受ける形でチーム予算を大幅に削減。強化運営費も例外ではなく、監督のポポヴィッチをはじめ西川周作、森重真人、金崎夢生、エジミウソンなど主力を中心にチームの半数近くの選手・スタッフを放出。監督には前副社長の皇甫官が2005年以来5年ぶりに就任。

補強はユース・大卒選手を3人獲得、更に現役韓国代表であったキム・ボギョン、ベテランDFのチャン・ギョンジンの二人の韓国人選手を期限付き移籍で獲得、また一度は戦力外となった選手の再契約などで選手の人数を補った。しかし、監督の皇甫の年俸が経営危機の中であるにも関わらず高額である事、本年契約する見込みだったフェルナンジーニョの契約解除に伴う高額な違約金負担(しかし、これは彼の移籍先である仙台に一部を負担させたと見られている)と、財政運営の見込みが甘かった(中期決算発表で黒字化の見込みと出していた)ことにより運営資金のショートが翌年の1月中に発生してしまう事態に陥った。県の緊急融資でなんとか乗り切るが、財政が芳しくない大分県からの融資には県民からの批判の声が挙がった。[]

開幕当初こそキムの5試合6得点という活躍もあり上位につけていたが、4月25日から8月7日の富山戦で12試合ぶりの勝利を挙げるまで約3か月間勝ち星無し。その後17試合で4勝にとどまり、J2過去最低(当時)の15位に終わった。また、この年限りで皇甫が監督を退任した。

6月1日、2010 FIFAワールドカップ韓国代表メンバー23人にキム・ボギョンが選出された。大分に在籍する選手がワールドカップの代表メンバーに選出されるのは史上初であった。

2011年

2011年基本スタメン

チームスローガン:SORYOKU戦 総力×走力

前年まで清水でヘッドコーチを務めていた田坂和昭が監督に就任。オフにキム・ボギョンがレンタル元のC大阪に復帰、更に前年から続く経営危機の影響で東慶悟、菊地直哉、そして藤田義明がJ1クラブに完全移籍し、高松がFC東京に期限付き移籍した。補強は水戸から大卒1年目の作田裕次と藤川祐司、熊本から西弘則などの若手選手を獲得した。

シーズン途中からフォーメーションを3-4-3に変更し、FWのチェ・ジョンハンや三平和司がサイドで起用されたり、DFの刀根亮輔がFW、ボランチの姜成浩がCBで起用されたりと多くの選手を様々なポジションにコンバートさせリーグを戦った。また、前田俊介や森島康仁がそれぞれ自己最高の成績を残すなど若手が台頭。なお、J2シーズン成績は12位。天皇杯は3回戦で敗退した。

2012年

2012年J1昇格PO決勝

チームスローガン:挑戦×頂戦

田坂体制2年目。昨シーズンクラブの主軸として活躍した前田、姜がJ1クラブに移籍したものの、森島、土岐田らその他の主力選手の引き止めには成功し流出を少数にとどめた。補強では、千葉から元日本代表の村井慎二を獲得し、FC東京にレンタル移籍していた高松が復帰した。後はC大阪より3人の若手選手をレンタル加入させるなど前年と同じく多くの若手選手を獲得した。また、5月、「J1昇格支援募金」を開始した(後述)。

開幕戦は2007年以来のホームスタジアムでの開催となった。リーグ戦では第21節、アウェイでギラヴァンツ北九州を破り、バトルオブ九州初勝利を挙げ同時に6年ぶりの4連勝を達成した。第23節に首位に立ったものの自動昇格となる2位以内に入ったのはその1節のみだった。とはいえ、3連敗以上の連敗をしないなどシーズンを通じて安定した戦いを見せ、第18節以降J1昇格プレーオフ圏内である6位以内を最終節までキープした(最終順位は6位)。J1ライセンス交付の条件とされていた、後述の「公式試合安定開催基金」からの融資残額3億円についても、5月下旬から一般市民や地元政財界に支援を募り、集まった寄付金・支援金計3億3,306万1,323円から返済期限とされた10月12日までに完済したため、PO進出が決まった。

11月18日のPO準決勝は京都に森島が4ゴールを決めて4-0で、11月23日のPO決勝は千葉に林丈統のゴールで1-0で勝利を収めて、2009年以来4年ぶりのJ1復帰を果たした。天皇杯は初戦(2回戦)で水戸ホーリーホックに敗退。

2013年(J1)

2013年基本スタメン

チームスローガン:氣力×機力

田坂体制3年目。リーグ戦チーム最多タイの14得点の三平和司と石神直哉が湘南からの期限付き移籍期間満了により退団し、他にも作田裕次、イ・ドンミョン等がチームを離れた。一方、補強では神戸より元日本代表の高木和道、大宮より2009年以来の復帰となる深谷友基を獲得。その他にも児玉新、小松塁、辻尾真二と30代手前~前半の年齢の選手を中心に、合わせて9選手が加入した。また、シーズン途中に今季加入の金永基、小松を他クラブに期限付き移籍で放出。北京五輪日本代表であった梶山陽平をFC東京から期限付き移籍で獲得した。

J1リーグ戦はシーズン初勝利が開幕から2ヶ月以上経過した5月18日のJ1第12節・アウェー新潟戦まで掛かるなど終始低迷。第8節で最下位となって以降は順位を浮上させることができず、10月5日の第28節C大阪戦に0-2で敗れたことで、リーグ戦6試合を残し1年でのJ2降格が決定した。最終的には勝利数がJ1リーグ最低新の2(過去の最低記録は2010年湘南の3勝)、勝点もJ1リーグ最低タイ記録の14(2012年札幌と同点)を記録した他、リーグ戦ホームゲームの戦績が4分13敗とJリーグ史上初のシーズン中ホームゲーム未勝利(ヤマザキナビスコカップでも1分2敗だったためJリーグのチーム相手の公式戦総計は5分15敗)となった。

天皇杯はクラブ史上最高成績となるベスト8の成績を残した。

2014年 - 2015年(J2)

2014年

2014年基本スタメン

チームスローガン:前進×全心

田坂体制4年目。2013年のチーム内得点王であった森島康仁が川崎に、正GKを主に努めた丹野研太が古巣・C大阪にそれぞれ完全移籍。主将・宮沢正史は契約満了に伴い岐阜に移籍。その他には梶山陽平、松原健など計16人が退団した。補強面では鳥栖から室拓哉、C大阪から武田洋平、千葉から伊藤大介をいずれも完全移籍で、鳥栖から末吉隼也とクラブ初のコロンビア人となるジョナサン、新潟から増田繁人、名古屋から田中輝希、神戸からカン・ユングをいずれも期限付き移籍で獲得。更に新人として大阪体育大学から伊佐耕平が加入した。また、前年から期限付き移籍中の松本怜の期限付き移籍期間を1年間延長し、2014年新体制発表時点での選手数は25人となった。チーム創立から20周年の節目のシーズンになる事に併せ、6月21日の愛媛戦は20周年記念試合と銘打ち開催された(詳細については20周年記念試合を参照)。

アウェーで迎えた開幕戦は水戸に1-2で敗北したが、ホーム開幕戦となる第2節で北九州に1-0で勝利し、昨シーズンから続いたリーグ戦ホームゲーム未勝利記録を17でストップさせた。その後は極端に成績を落とすことは無かったものの順位を3位以上に付けることができず、J1昇格プレーオフの枠を磐田、千葉、北九州(クラブライセンスの関係によりプレーオフ出場権無し)、山形らと争う形となった。その後シーズン途中で大宮から加入したラドンチッチ(11月に膝の手術のため退団)、FC東京(シーズン前半は岡山に期限付き移籍)から期限付き移籍で加入した林容平、ラドンチッチとほぼ入れ替わりで加入したダニエルの活躍もあって39節終了時点でプレーオフ圏内の6位につけるも、第40節の水戸戦で逆転負けを喫し7位に後退。その後順位を浮上させることはできず、2年振りのJ1昇格プレーオフ進出を果たす事はできなかった。

またこの年開催された2014 FIFAワールドカップでは、大分U-18に在籍し2種登録選手としてトップチームに登録されていた坂井大将が、名古屋の杉森考起と共にトレーニングパートナーとして日本代表に直前合宿から大会終了まで帯同した。

2015年

2015年基本スタメン

チームスローガン:結集×決蹴 ALL FOR J1

田坂体制5年目。伊藤が岡山に、末吉が古巣・福岡に移籍。そして林は移籍期間満了に伴いFC東京に復帰した。また、キャプテンを務めた高木が契約満了となり岐阜に移籍した。その他8人の選手が退団し合計12選手が大分を去った。一方補強面ではブラジル人のエヴァンドロ、東ティモール国籍を有するムリロ・アルメイダ、更には新潟から岡本英也、そして京都から三平和司が3年振りに復帰するなど前線の選手を多く補強した。また千葉から兵働昭弘が加入。その他にも8選手が加入し、大分に加入後即V大分に期限付き移籍となったフェリペ(3月にアルメイダと入れ替わりで復帰)を含め併せて14選手が加入した。キャプテンには2004年のサンドロ以来、11年ぶりの外国籍選手キャプテンとなるダニエルが就任した。

しかしシーズンが始まると戦術の浸透の失敗や、新加入選手が機能せず前述の末吉・伊藤・林らの穴を埋めきれなかった影響で開幕から低迷。第16節終了時点で2勝5分9敗の最下位に留まった事で、6月1日に監督・田坂を解任。当初は外部から後任監督を招聘する予定であったが交渉が不発に終わり、最終的には強化育成部長で監督代行も務めていた柳田伸明が7月2日より監督に就任することとなった。当月は東京V戦での15試合ぶりの白星を含む3勝と復調の兆しを見せたが勢いを持続させることはできず、また荒田智之、パウリーニョらの途中補強も実らず降格圏から脱出するまでには至らなかった。最後は4連敗を喫するなど不安定なチーム状況のまま21位でリーグ戦を終え、J2・J3入れ替え戦に出場する事となった。

入れ替え戦はJ3・2位の町田に2戦とも敗れ(トータルスコアは1-3)、J1経験クラブとして初のJ3リーグ降格となった。シーズン終了後に柳田が監督を退任した。

2016年(J3)

2016年基本スタメン

チームスローガン:原点回帰 RETURN TO THE ORIGIN

新監督として、G大阪でヘッドコーチを務めていた片野坂知宏が就任。クラブ初の「大分トリニータ」在籍経験者の監督就任となった。またコーチメンバーにも吉村光示、山崎哲也(U-18監督より配置転換)が新たに加入し、留任したGKコーチ・吉坂圭介を含め全員が大分トリニータOBとなった。

他クラブに期限付き移籍中の選手を含め全選手に対して契約延長のオファーを出したが、チーム得点王であった為田大貴をはじめとして、昨シーズン先発出場機会の多かった若狭大志、武田洋平、兵働昭弘、安川有、西弘則等が他J1・J2クラブに移籍。また阪田章裕、荒田智之が同ディビジョンとなるJ3・長野に移籍。他クラブに期限付き移籍中であった風間・岡本も期限付き移籍先に完全移籍する等、退団選手は計13人となった。補強面では、元日本代表・山岸智を広島から獲得。他には黄誠秀、千明聖典、染矢一樹(4月1日契約解除)、山之内優貴、更には若手選手を3人期限付き移籍で獲得。そしてユースから3選手が昇格した。また昨シーズン限りで退任した青野浩志の後任として、新社長に榎徹が就任。強化育成部長には昨シーズン途中から代理で努めていた西山哲平が就任した。

開幕3連勝を記録し、同節終了時には首位に浮上するも、第4節で琉球に敗れ首位を明け渡す。その後は勝ち星を伸ばすことができなくなり、同節から4試合未勝利(1分3敗、上記の通り第5節は延期)で、第8節終了時には一旦10位まで順位を下げた。第15節では最下位・YS横浜に敗戦を喫し、前半戦を昇格圏外となる3位で折り返した。そして第19節には9連勝中の首位・栃木に敗戦を喫し首位との勝ち点差が9に広がった。しかしその後、シーズン途中に加入した八反田康平らの活躍や、失点リスクを抑えた相手対策重視の戦法に切り替えたこと により、第28節終了時までで7勝1分1敗という追い上げを見せ栃木を追走。ホーム最終戦となった第29節・YS横浜戦にて大分が勝利し、栃木が敗北した為、栃木と勝点で並び得失点差で第3節以来の首位に立った。そして最終節の鳥取戦を4-2で勝利し、最終5節を5連勝で終えJ3リーグ優勝、1年でのJ2リーグ復帰を果たした。

また、このシーズンを以て2000年の入団以降、FC東京へ期限付き移籍した2011年を除いて大分でプレーし、長年に渡り中心選手として活躍した高松大樹が現役を引退した。現役最後の試合となったホーム・大分銀行ドームで開催されたYS横浜戦には、J3記録(当時)となる11,065人の観衆が詰めかけた。また年間の観客数が116,563人とJ3創設3年目にして初めて年間10万人を突破したクラブとなり、1試合平均も7,771人で史上最多記録を大幅に更新した。

2017年 - 2018年(J2)

2017年

2017年基本スタメン

チームスローガン:初志貫徹 Just for Victory

片野坂体制2年目。前述した高松大樹の引退をはじめ、松本昌也が磐田に移籍、J3優勝に貢献した八反田康平ら4人が期限付き移籍期間満了、2015年にキャプテンを務めたダニエル、千明聖典ら5人が契約満了で合計11名がチームを去った。また江頭一輝が東海社会人サッカーリーグの鈴鹿アンリミテッドFCに期限付き移籍となった。

補強面では、小手川宏基、林容平、岸田翔平というクラブに縁のある選手をはじめ竹内彬、黒木恭平、川西翔太、高木駿が完全移籍で加入。また鈴木惇、坂井達弥、前田凌佑が期限付き移籍で加入し、昨シーズン期限付き移籍で大分に在籍した清本拓己、大津耀誠が完全移籍に移行。そして大分U-18から野上拓哉、大分U-18出身の國分伸太郎が立命館大学より加入した。シーズン途中には坂井大将がベルギー2部のAFCテュビズに期限付き移籍した一方で、湘南からシキーニョが加入するなど、3選手が加入した。

リーグ戦に入ると、開幕戦・A福岡戦を2-1で勝利。更に第9節・A湘南戦では1-0、第13節・H名古屋戦では4-1のスコアで勝利を収め昨年のJ1在籍チーム全てから勝ち点3をあげ、前半戦終了時には9勝5分6敗の勝点32の9位につけた。後半戦に入ると、第26節終了時には6位と勝点で並ぶ7位にまで浮上。続く3試合で1分2敗とし12位まで順位が低下したが、その後再び盛り返し、第38節終了時には8位ながら6位の徳島と勝点差1まで迫った。続く2試合で1分1敗、そして第41節で徳島との直接対決に敗れたことによりJ1昇格プレーオフ進出は逃したものの、目標勝ち点45 に対し19上回る勝ち点64を記録し最終順位は9位となった。アウェーゲームではリーグ3位の成績であった反面、ホームゲームでは9月2日に開催された群馬戦から最終戦・熊本戦までの約2か月半の間未勝利の状態に陥るなど負け越しリーグ16位の成績であった。

2018年

2018年基本スタメン

チームスローガン:勇往邁進 With Trinita Spirits

片野坂体制3年目。昨季主に先発出場をした上福元直人が東京Vへ移籍し、鈴木惇が期限付き移籍期間満了に伴い福岡に復帰。また、2016-2017年にキャプテンを務めた山岸智が契約満了により退団。吉平翼が秋田、佐藤昂洋がJFL・青森に期限付き移籍するなど、計11名が退団した。

補強面では、昨シーズンと同様に刀根亮輔、丸谷拓也、山口真司(期限付き移籍)と大分に過去所属経験のある3選手の加入を始め、J3リーグで2年連続得点王となった藤本憲明や馬場賢治、星雄次、那須川将大、兼田亜季重が完全移籍で加入。また宮阪政樹、イム・スンギョムと前述の山口を含め3選手が期限付き移籍で加入。U-18からの昇格を含む高校・大学新卒選手の獲得は無く、新加入選手は計10人となった。夏の移籍期間では、イムが期限付き移籍期間を前倒しして満了し退団、今季よりキャプテンを務めていた竹内が讃岐に期限付き移籍した一方で、FCフアレスよりウイリアンを完全移籍で、千葉より岡野洵を期限付き移籍で獲得した。

開幕戦は勝利したものの、その後三戦勝ち無しとなり第3・4節は共に無得点であった。それでも戦術の浸透と星、馬場ら新戦力の活躍もあって 第5節・水戸戦から第8節・京都戦にかけて4連勝し2位に浮上。第10節・金沢戦に勝利した事で同シーズン初めて首位に浮上した。その後は第18、19節で一旦首位を明け渡すが、翌第20節で再び首位浮上、前半戦(第21節終了時点)を首位で折り返す。

しかしシーズン折り返し後は、大分の戦術スタイルに対する相手の研究が進んだこともあり 前節(第21節)から数えて3連敗を含む5試合未勝利となり5位に転落した。その対策として第26節・岐阜戦において3ボランチを採用した3-5-2のシステムに変更し、これまで途中出場中心であったり出場機会の少なかった三平和司、岩田智輝、前田凌佑、小手川宏基らを起用し同試合を勝利した。その後再び3試合未勝利で一時はJ1参入プレーオフ圏外の7位まで順位を落としたが、対戦相手によってシステム、戦術、選手起用を臨機応変に使い分けた事により復調。第32節・熊本戦から第36節・京都戦にかけては5連勝を記録し第21節以来の首位に浮上、その後は自動昇格圏内をキープした。

2位で迎えた最終節・アウェー山形戦は、星のゴールにより試合終了間際まで1-0でリードしていたが、後半アディショナルタイムに失点を喫する。そのままスコアは動かず引き分けに終わり、23勝7分12敗・勝ち点76で全日程を終了した。他会場の結果、町田と横浜FCに勝ち点で並ばれたものの得失点差により 自動昇格圏内の2位を守り、6シーズンぶりのJ1復帰が決定した。J3リーグ在籍経験のあるクラブとしては初のJ1昇格事例となる。同シーズンでの得点数76はリーグ最多を記録。また馬場、藤本、三平、後藤と4人がリーグ戦10得点以上を達成したのは2009年の湘南 以来9年振りの出来事であり、39試合目での達成はJ2最速であった。

2019年 - 2021年(J1)

2019年

2019年基本スタメン

チームスローガン:勇猛果敢 OITA TRINITA BRAVE SPIRITS

片野坂体制4年目。林容平や宮阪政樹、川西翔太、清本拓己、修行智仁ら期限付き移籍していた2選手を含め全15人が退団。補強面は期限付き移籍していた坂井大将、吉平翼の復帰を始め、高山薫、小林成豪、三竿雄斗、小塚和季、オナイウ阿道、そしてタイ代表のティティパンら全15人が加入した。

昨季の主力は残留し継続性を確保した他、J2で22得点を記録したオナイウ、12得点を記録した小林を始め、伊藤涼太郎、小塚、庄司朋乃也など「試合から遠ざかっている名前のあるベテランよりも、J2で結果を出した選手の方が力を発揮してくれる」という強化部長・西山哲平の判断から、昨季J2で活躍した選手を多く補強し前線の強化に成功。監督の片野坂も新体制発表会見にて「僕が要求した選手をある程度クラブが揃えて、J1で戦える戦力を整えてくれた」と語った。

シーズン開始前の予想では多くの記者・スポーツライターからJ2降格候補に挙げられたが、開幕戦で鹿島アントラーズにアウェーで2006年以来2度目の勝利を収めると、2月・3月度の月間MVPを受賞した藤本憲明の活躍もあって、7節から12節にかけて6試合無敗を記録するなど一時は順位を3位まで浮上させる。その後は上位陣との対戦が続いた事もあり勝ち点を伸ばせなかったが、17節の浦和レッズ戦で6試合振りに勝利を収め前半戦を8勝5分4敗の4位で折り返した。

後半戦に入ると、藤本のヴィッセル神戸への移籍や相手チームの分析が進んだ影響で4勝6分7敗と負け越したが、夏の移籍期間で加入した田中達也、小林裕紀を新たに先発メンバーに加え、前年同様GKから繋ぐサッカーを貫徹。当初の目標であった「勝点45」を3試合を残してクリアし、一度も残留争いに巻き込まれること無く12勝11分11敗・勝点47の9位でシーズンを終えた。

一方、6年振りに参加したルヴァンカップ ではプレーオフステージ進出が懸かった状況でグループステージ最終節に臨んだが、セレッソ大阪に敗れグループステージ敗退となった。天皇杯は歴代最高タイ記録となるベスト8に進出した。

2020年

2020年基本スタメン

チームスローガン:不撓不屈 OITA TRINITA Spirit.

片野坂体制5年目。丸谷拓也が現役引退し、後藤優介が清水へ完全移籍で、昨季期限付き移籍で加入していたオナイウ、ティティパンら7選手がいずれも移籍期間満了により退団した。小島亨介は新潟へと期限付き移籍するなど他クラブへ期限付き移籍していた3選手も含め全13人が退団した。補強面では昨季途中から期限付き移籍していた高畑奎汰が復帰した他、渡大生、知念慶、町田也真人、香川勇気、野村直輝、髙澤優也ら全12人が加入した。

「勝ち点55・総得点50・失点35の6位」を目標に掲げたが、第1節終了後まもなく新型コロナウイルス感染症流行の影響によりリーグが約4か月にわたって中断。7月上旬からの再開後は12月中旬までの約4か月半で全日程を消化する過密日程を強いられたことにより新加入選手を中心に怪我人が続出した。第5節から第9節にかけては5連敗を喫するなど一時低迷したが、その後はチーム状態が回復。下位争いに巻き込まれる事なく安定した戦いを見せたが、前年同様得点数は伸び悩み(総得点36・リーグワースト2位)、最終的に勝ち点43の11位でシーズンを終えた。

リーグ戦と同様カップ戦もコロナ禍の影響を受け、試合数が全3試合に削減されたルヴァン杯では3戦未勝利に終わりグループステージ敗退。天皇杯は出場チーム数削減の影響 でJリーグ加盟後初めて不出場となった。

2021年

2021年基本スタメン

チームスローガン:一致団結 Fight Together!

片野坂体制6年目。昨シーズンキャプテンを務めた鈴木義宜をはじめ、岩田智輝、田中達也、島川俊郎ら6選手が他J1クラブに完全移籍し、期限付き移籍加入していた知念慶は川崎に復帰した。また三平和司、前田凌佑ら4選手が契約満了により退団し、ムン・キョンゴンが兵役の関係で韓国に帰国するなど計13人がチームを離れた。補強面では長沢駿、坂圭祐、下田北斗、ポープ・ウィリアム、渡邉新太ら8選手が完全移籍加入し、エンリケ・トレヴィザン、ペレイラが期限付き移籍加入。昨季特別指定選手としてリーグ公式戦デビューを果たしていた井上健太、藤本一輝ら新卒選手が4選手が入団した。

当シーズンは前年から続くコロナ禍の影響で全20チーム、降格枠4と例年と異なるレギュレーションとなった。第2節・横浜FC戦でシーズン初勝利を収めるなど開幕3試合は1勝2分とまずまずの滑り出しであったが、鈴木・岩田ら昨季の主力選手流出の影響は隠せず第5節から第11節にかけて7連敗を記録しJ2降格圏に転落。第12節で清水に勝利を収め連敗をストップさせた後もチーム状態は上向かず、1試合未消化ではあるものの前半戦を3勝4分11敗の19位で折り返した。なおルヴァンカップはグループステージで敗退した。

夏の移籍期間では高山薫、黒﨑隼人、福森健太、髙澤優也が期限付き移籍でチームを離れた一方で、14年ぶりの復帰となる梅崎司をはじめ、呉屋大翔、野嶽惇也、増山朝陽を完全移籍で獲得し巻き返しを図った。9月・10月のゲームでは3勝2分1敗と善戦を見せたが降格圏を1度として脱するには至らず、第36節・鹿島戦をドローで終えると他会場の結果により、2試合を残して4年ぶりのJ2降格が決定した。ホームゲームでは7勝5分7敗勝点26得失点差-2と、J1全20チーム中12位の成績を挙げながら、アウェーでは初戦の横浜FC戦勝利の後、最終節の柏戦に勝利するまで17試合勝利がなく、2勝3分14敗で横浜FCと並び20チーム中最少タイの勝点9に終わった。

天皇杯では、準決勝で同年J1優勝の川崎フロンターレにPK戦で勝利し、九州ならびに本州以外を本拠地とするチームとして1966年1月の第45回大会の八幡製鐵以来56大会ぶり、Jリーグ創設後は史上初めて決勝に進出。決勝戦では1点ビハインドで迎えた後半終了間際にペレイラの得点で同点に追いついたものの、後半アディショナルタイムに槙野智章に得点を許し1-2で敗れ準優勝に終わった。

同シーズンを以て、片野坂が監督を退任。6シーズンの監督在任はクラブ史上歴代最長となった。

2022年 -(J2)

2022年

前横浜FC監督の下平隆宏が新監督に就任。