結果

NBA 04/14 17:00 - [29] WASウィザーズ v BOSセルティックス [1] L 122-132
NBA 04/12 23:00 - [20] CHIブルズ v WASウィザーズ [29] L 129-127
NBA 04/10 00:00 - [29] WASウィザーズ v MINティンバーウルブズ [2] L 121-130
NBA 04/07 22:00 - [29] WASウィザーズ v TORラプターズ [25] L 122-130
NBA 04/05 23:00 - [26] PORトレイルブレイザーズ v WASウィザーズ [29] L 108-102
NBA 04/03 23:00 - [14] LAレイカーズ v WASウィザーズ [29] L 125-120
NBA 04/02 23:00 - [5] MILバックス v WASウィザーズ [29] W 113-117
NBA 03/31 22:00 - [16] MIAヒート v WASウィザーズ [29] L 119-107
NBA 03/29 23:00 - [5] DETピストンズ v WASウィザーズ [14] L 96-87
NBA 03/27 23:00 - [23] BKNネッツ v WASウィザーズ [29] L 122-119
NBA 03/26 00:00 - [29] WASウィザーズ v CHIブルズ [20] W 107-105
NBA 03/24 00:00 - [25] TORラプターズ v WASウィザーズ [29] W 109-112

ワシントン・ウィザーズWashington Wizards)は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.に本拠を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム。イースタン・カンファレンス、サウスイースト・ディビジョン所属。チーム名は1997年まで"bullets"「弾丸」であったが、銃社会が批判に曝される風潮の中、イメージダウンを招くとして"Wizard"「魔法使い」に変更された。

History

チーム創設期

  • 現在、ウィザーズとして知られているチームは、1961年にシカゴ・パッカーズとして新規加入したチームが始まりである。翌年、ゼファーズと名前を変えている。その次の年にメリーランド州ボルティモアに本拠を移動し、ボルティモア・ブレッツになる。1940年代に存在したボルティモア・ブレッツとは何の関係もない。
  • 1964-65シーズンを前に大型トレードをデトロイト・ピストンズとの間で行い、このシーズン初めてプレイオフに進出、セントルイス・ホークスを4-1で破り、ウェスタン・カンファレンス決勝でロサンゼルス・レイカーズに2勝4敗で敗退した。

1960年代後半から1970年代

  • 1968年には、殿堂入りする2選手が加入する。アール・モンローとウェス・アンセルドである。その年チームは前年の36勝から57勝へと大きく改善された。アンセルドは新人王とMVPを獲得した。その年のプレイオフで期待されたブレッツだったが、1回戦でニューヨーク・ニックスの前に0-4で敗退した。その次の年も両チームはプレイオフ1回戦で対戦しニックスが勝ち上がった。
  • 70-71シーズン、イースタン・カンファレンス決勝で再びニックスと対戦したが、この時ニックスの主力ウィリス・リードは負傷しており、4-3で勝利したブレッツは初めてNBAファイナルに進出した。しかしファイナルではミルウォーキー・バックスに0-4で一蹴された。そのシーズン以降3年連続でニューヨーク・ニックスとプレイオフで戦い全て敗戦する。
  • 1973年にチームは、メリーランド州ランドーバーに移動し、キャピタル・ブレッツになるが、翌年、ワシントン・ブレッツに名前を変える。移転以降も1990年代半ばまでブレッツは年に数試合をボルティモアで行った。
  • 1974-75シーズンを60-22(ホームでは36-5)で終了し、2度目のNBAファイナルへと進むが、リック・バリー率いるゴールデンステート・ウォリアーズに0-4で敗れる。
  • 翌シーズン前年より12勝減らし、クリーブランド・キャバリアーズにプレイオフで敗れたブレッツは勝率62%を記録したヘッドコーチ、K.C.ジョーンズを解雇する。
  • 1977-78シーズン、ディック・モッタに率いられたエルヴィン・ヘイズ、アンセルドのブレッツは44勝38敗でシーズンを終えたがそこから長い道のりであったNBAファイナルまで勝ち進み、シアトル・スーパーソニックスを4-3で破りNBAチャンピオンとなった。翌78-79シーズンも再びNBAファイナルまで進んだが、その年は逆に1勝4敗で敗れた。
  • その後も87-88シーズンまでほぼ毎年プレイオフに進出したが、81-82シーズン以降はプレイオフ1回戦を突破することはなく、その後96-97シーズンにプレイオフに進出するまで低迷期を迎えることになる。

低迷期

  • 1989-90シーズン、ブレッツは5勝1敗でスタートしたが12月半ばから1月半ばまでの18試合で16敗して、平均得点でジェフ・マローンが24.3得点、バーナード・キングが22.3得点あげたが24勝58敗で終わった。
  • 1990-91シーズン、ブレッツは30勝しかあげられなかったが、バーナード・キングが1984-85にニューヨーク・ニックスにいたときにひざを故障して以来最高となる平均28.4得点をあげた。この年、彼は50得点以上を2回記録した。
  • 1993-94シーズン、ブレッツは故障に泣かされ、レックス・チャップマン、パーヴィス・エリソン、ドラフト1巡目のカルバート・チェイニーがシーズンのほとんど欠場し、24勝58敗に終わった。
  • 低迷を打開するため、1994年のNBAドラフトでジュワン・ハワードを指名し、1994-95シーズン途中にトム・ググリオッタと交換でクリス・ウェバーを獲得するなど若返りを図った。
  • 翌95-96シーズンは、ウェバーが怪我のためほとんどの試合で欠場したが、ルーキーのラシード・ウォレスが代わって先発に入り平均二桁得点を残し、ハワードが平均22.1点を記録してオールスターに選ばれるなど将来性を感じさせるシーズンとなった。成績は5割近くまで上げシーズンを終えた。
  • 1996年7月にラシード・ウォレスと交換でロッド・ストリックランドを加えたチームは、1996-97シーズン、44勝38敗の成績を挙げ9年ぶりにプレイオフに進出した。プレイオフはマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズにスウィープで敗れた。

ワシントン・ウィザーズ初期

  • 1995年のオフシーズンにブレッツからウィザーズに名称変更するつもりであることが発表された。高い犯罪率に悩むワシントンD.C.地域にとって、ブレッツ(弾丸)という名称が銃犯罪を連想させることが改名の理由であった。ドラゴンズ、エクスプレス、スタリオンズ、シードッグス、ウィザーズなどが候補になった。
  • 1997年5月15日、チームは、ブレッツからウィザーズへの名称変更と新しいロゴについて発表した。また、この年にワシントンD.C.を本拠にし、ベライゾンセンターをホームアリーナとして、現在に至っている。
  • 1998年5月、オフコートでの問題が多かったウェバーを放出し、ミッチ・リッチモンドとオーティス・ソープを獲得した。リッチモンドは加入後2シーズン連続で得点面でチームを牽引したが、成績は5割を割るようになり下降していった。

マイケル・ジョーダンの加入

  • 2000年1月19日にマイケル・ジョーダンがウィザーズの共同オーナーに就任するが、2000-01シーズンに過去最低勝率をマークするなど、チーム状態はどん底を極めていた。主力のハワード、リッチモンド、ストリックランドは放出され、チームは再建に入った。
  • 2001年、NBAドラフトの全体1位指名権を獲得したチームはクワミ・ブラウンを指名し、その数ヵ月後ジョーダンの復帰を発表した。ジョーダンは負け癖の付いていたチームを引っ張ったが、1年目の2001-02シーズンはジョーダン欠場中の成績が悪く、2年目の2002-03シーズンは、シーズン前にリチャード・ハミルトンと交換でジェリー・スタックハウスを獲得したが、終盤失速し2年連続で37勝45敗でプレイオフ進出を果たせず、ジョーダンは引退した。

アリーナスの時代

ギルバート・アリーナス
  • 2003-04シーズン、FAであったギルバート・アリーナスと契約、ニュージャージー・ネッツのアシスタントコーチであったエディ・ジョーダンがヘッドコーチに就任したが、若い選手が多く依然として低迷から抜け出せなかった。
  • 2004-05シーズン、ダラス・マーベリックスから、スタックハウス、レイトナーとドラフト5位指名権でアントワン・ジェイミソンをトレードで獲得、シーズン前の低評価を覆し、ギルバート・アリーナス、アントワン・ジェイミソン、ラリー・ヒューズら主力の活躍によって久々にプレイオフに進出する。翌2005-06シーズンには、FAとなったヒューズを失うも、出場時間を得られず低迷していたクワミ・ブラウンと交換でカロン・バトラーを獲得、新しいビッグスリーを形成するなど的確な補強を行い、2年連続でプレイオフに進出した。
  • 以後の2シーズンはアリーナスの負傷欠場などでチーム成績は横ばい状態にある。またプレーオフ1回戦では3シーズン連続でクリーブランド・キャバリアーズと対戦し、いずれも敗退を喫している。
  • 2008-09シーズンはアリーナスとブレンダン・ヘイウッドが怪我でシーズンをほぼ全休。チームはウィザーズに名称を変更後、最低の成績でシーズンを終えた。
  • 2009-10シーズン、アリーナスがシーズン開幕から先発出場し、プレーオフ返り咲きが期待された。しかし、アリーナスがロッカールームに拳銃を無断で持ち込んだ事が発覚。この不祥事を重くみたリーグはアリーナスと同じくロッカールームに拳銃を無断で持ち込んだジャバリス・クリッテントンをシーズン終了まで出場停止の厳罰処分を下した。この事件後、チームは来季以降の再建を目指して、シーズン中にバトラー、ジェイミソンら主力を次々に放出。新たにジョシュ・ハワードやアル・ソーントンらを獲得したが、ハワードが移籍早々に怪我でシーズン絶望となり、チームも2シーズン連続プレーオフ不出場となった。2009年11月24日にオーナーのエイブ・ポリンが死去した事もあり、チームの雰囲気は最後まで暗いままであった。

ウォールの時代

ジョン・ウォール
  • 2010-11シーズンは、2010年のNBAドラフト全体1位指名権を獲得。ケンタッキー大学1年のジョン・ウォールを指名した。一方、チームの牽引役として機能しなくなったアリーナスはオーランド・マジックに放出され、以降チームは下降線を辿り、23勝59敗。
  • 2011-12シーズンは、開幕から1ヶ月でわずかに3勝と最低の成績で、3勝15敗の時点でフリップ・ソーンダーズが解任されアシスタントコーチのランディ・ウィットマンが、暫定ヘッドコーチを務めた。昨年からのチーム状態は改善を見せず、幾度もの連敗を喫し続けたがトレード期限直前にジャベール・マギーらを放出、ネネイを獲得したことにより改善のきっかけが見え、昨シーズンより僅かではあるが勝率を上げ3割以上とした。
ブラッドリー・ビール
  • 2012-13シーズンは、オフに暫定ヘッドコーチだったランディ・ウィットマンが、正式にヘッドコーチに昇格。開幕からチームリーダーのジョン・ウォールが膝の故障で欠場したことが響き、3勝28敗と不調を極めたが、ウォール復帰後は24勝25敗と改善され、エメカ・オカフォー、トレバー・アリーザらの補強や、ルーキーのブラッドリー・ビールが期待された働きを残し、翌シーズンのプレーオフ進出に希望を残した。
  • 2013-14シーズンは、マルチン・ゴルタットの加入でフロントコートの厚みが増し、アンドレ・ミラーらの加入で控えの層の厚さも増し、44勝38敗、イースト5位で久々のプレーオフ進出を果たすと、1stラウンドは4勝1敗で4位のシカゴ・ブルズをアップセットし、インディアナ・ペイサーズとのカンファレンスセミファイナルへ進んだが、2勝4敗で敗退した。
  • 2014-15シーズンは、元ボストン・セルティックスで、2008年NBAファイナルMVPのポール・ピアースを獲得。優勝経験のある大ベテランの相乗効果で開幕ダッシュに成功。常に安定した戦いぶりで、2年連続でプレーオフ進出を決めた。1stラウンドはトロント・ラプターズを4戦全勝で退けた。セミファイナルのアトランタ・ホークス戦は、第3戦のピアースの決勝ブザービーター3ポイントシュートで2勝1敗と先勝したものの、その後接戦を落とし3連敗で2勝4敗で敗退した。
  • 2015-16シーズンは、ブラッドリー・ビールがシーズン通して怪我がちでフルにプレー出来ず、ウォールに負担が増えるという悪循環に陥ってしまう。シーズン途中にマーキーフ・モリスを獲得するなどてこ入れを計るも事態は好転せず、4月にプレーオフ不出場が決定。結局は41勝41敗に終わり、ランディ・ウィットマンHCはシーズン最終戦終了後に解任された。
  • 新HCにオクラホマシティ・サンダーを躍進させたスコット・ブルックスを招聘したウィザーズは、ブルックスHCのサンダー時代の教え子でワシントンD.C.出身のケビン・デュラントの獲得を試みるも、敢えなく失敗。2016-17シーズンは開幕当初は大きく出遅れたものの、徐々に調子を上げ快進撃を展開。1979年以来の地区優勝も決めた。
  • 2017-18シーズンはシーズン途中の2018年1月30日にエースのジョン・ウォールを膝の手術の為に離脱するが、2018年3月31日に行われたシャーロット・ホーネッツ戦で2か月振りに復帰し15得点、14アシストを記録した。結局レギュラーシーズンは43勝39敗のカンファレンス8位で終了した。プレーオフではカンファレンス1位のトロント・ラプターズに2勝4敗で1回戦敗退した。
  • 2018-2019シーズンは32勝50敗でプレーオフ進出を逃した。

ビールの時代

八村塁
  • 2019年のドラフト全体9位でゴンザガ大学の八村塁を指名。八村はドラフト1巡目で指名された史上初の日本人となった。
  • 2020年12月、ヒューストン・ロケッツのラッセル・ウェストブルックと1巡目指名権との引き換えに、ジョン・ウォールを放出した。
  • 2020年のNBAドラフトでは、全体9位でイスラエル出身のデニ・アヴディアを、全体37位でチェコ出身のヴィート・クレイチーを指名した。クレイチの指名権は、後にオクラホマシティ・サンダーのカシアス・ウィンストンとトレードされた。
  • 2020-21シーズンは34勝38敗で2017-18シーズン以来のプレーオフに進出した。シーズン終了後の2021年6月16日、5年間ウィザーズのヘッドコーチを務めてきたスコット・ブルックスと契約延長には至らず、解任となった。
  • 2021-22シーズン、オフシーズンに永久欠番のウェス・アンセルドの息子であるウェス・アンセルド・ジュニアをヘッドコーチに招聘。また、5チーム間の大型トレードを敢行しロサンゼルス・レイカーズからカイル・クーズマ、ケンテイビアス・コールドウェル=ポープ、モントレズ・ハレル、ブルックリン・ネッツからスペンサー・ディンウィディーを獲得し、レイカーズへウェストブルックを放出するなど大規模なチーム改革を実施した。2023年2月11日にダラス・マーベリックスのクリスタプス・ポルジンギスと引き換えに、スペンサー・ディンウィディーとダービス・ベルターンスを放出した。2022年11月15日時点で10勝3敗の好スタートを切るも徐々に失速し、シーズン成績は35勝37敗と奮わずプレーオフ進出を逃した。
  • 2022-23シーズン、オフシーズン中にブラッドリー・ビールとノー・トレード条項付きの5年2億5100万ドルのマックス契約を締結。2022年9月30日から10月2日にかけてさいたまスーパーアリーナで行われたNBA JAPAN GAMES 2022に来日しゴールデンステート・ウォリアーズとプレシーズンゲームを2試合行った。2023年1月23日、ロサンゼルス・レイカーズとのトレードで八村塁を放出、ケンドリック・ナンを獲得した。シーズン成績35勝37敗で2年連続プレーオフ進出を逃した。
  • 2023年6月25日、フェニックス・サンズへのブラッドリー・ビールのトレードを発表した。
ワシントン・ウィザーズ(英語: Washington Wizards)は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.に本拠を置くプロバスケットボールチームである。NBAのイースタン・カンファレンス、サウスイースト・ディビジョンに所属。ホームアリーナはキャピタル・ワン・アリーナ。