パラグアイ 女子リーグ 04/21 22:15 - スポルティボ・トリンデンセ女子 v セロポルテーニョ女子 L 1-0
パラグアイ 女子リーグ 11/25 20:00 - リベルタ・リンペニョ女子 v セロポルテーニョ女子 L 3-1
パラグアイ 女子リーグ 11/22 20:00 - セロポルテーニョ女子 v リベルタ・リンペニョ女子 L 1-2
パラグアイ 女子リーグ 11/18 21:00 - クラブオリンピア女子 v セロポルテーニョ女子 L 3-0
パラグアイ 女子リーグ 11/11 21:00 - セロポルテーニョ女子 v オリンピア・アスンシオン女子 L 0-5
パラグアイ 女子リーグ 09/28 12:00 - タクアリー・ウィメン v セロポルテーニョ女子 W 0-5
パラグアイ 女子リーグ 09/23 21:15 - セロポルテーニョ女子 v クラブグアラニー女子 L 1-3
パラグアイ 女子リーグ 09/16 21:15 - スポルティボ・ルケーニョ・ウィメン v セロポルテーニョ女子 W 0-5
パラグアイ 女子リーグ 09/09 21:15 - セロポルテーニョ女子 v レシステンシアFC女子 W 8-1
パラグアイ 女子リーグ 09/03 19:00 - セロポルテーニョ女子 v へネラル・カバジェロJLM・ウィメン W 3-0
パラグアイ 女子リーグ 08/27 21:15 - リベルタ・リンペニョ女子 v セロポルテーニョ女子 L 1-0
パラグアイ 女子リーグ 08/18 21:15 - セロポルテーニョ女子 v スポルティボ・アメリアーノ・ウィメン D 2-2
パラグアイ 女子リーグ 08/12 21:15 - グアイレーニャFC女子 v セロポルテーニョ女子 W 0-1
パラグアイ 女子リーグ 08/04 21:15 - セロポルテーニョ女子 v クラブオリンピア女子 L 0-5
パラグアイ 女子リーグ 07/28 18:00 - スポルティボ・トリンデンセ女子 v セロポルテーニョ女子 W 1-3
パラグアイ 女子リーグ 07/21 21:30 - ナシオナル・ウマイタ女子 v セロポルテーニョ女子 D 0-0
パラグアイ 女子リーグ 06/15 20:00 - セロポルテーニョ女子 v クラブグアラニー女子 W 2-1
パラグアイ 女子リーグ 06/10 23:00 - クラブグアラニー女子 v セロポルテーニョ女子 W 0-1
パラグアイ 女子リーグ 06/04 20:30 - セロポルテーニョ女子 v リベルタ・リンペニョ女子 L 0-3
パラグアイ 女子リーグ 05/28 20:15 - リベルタ・リンペニョ女子 v セロポルテーニョ女子 D 1-1
パラグアイ 女子リーグ 05/19 19:00 - セロポルテーニョ女子 v タクアリー・ウィメン W 6-0
パラグアイ 女子リーグ 05/13 19:00 - クラブグアラニー女子 v セロポルテーニョ女子 W 1-2
パラグアイ 女子リーグ 05/08 19:00 - セロポルテーニョ女子 v スポルティボ・ルケーニョ・ウィメン W 6-1
パラグアイ 女子リーグ 04/29 22:30 - レシステンシアFC女子 v セロポルテーニョ女子 W 0-3
パラグアイ 女子リーグ 03/26 21:30 - セロポルテーニョ女子 v グアイレーニャFC女子 W 3-0
パラグアイ 女子リーグ 03/20 22:45 - オリンピア・アスンシオン女子 v セロポルテーニョ女子 D 1-1
パラグアイ 女子リーグ 03/12 13:15 - セロポルテーニョ女子 v スポルティボ・トリンデンセ女子 W 7-0
パラグアイ 女子リーグ 09/01 20:00 - リベルタ・リンペニョ女子 v セロポルテーニョ女子 L 4-0
パラグアイ 女子リーグ 08/15 14:00 - セロポルテーニョ女子 v リベルタ・リンペニョ女子 W 2-1
パラグアイ 女子リーグ 08/08 14:00 - セロポルテーニョ女子 v クラブグアラニー女子 W 3-1

クルブ・セロ・ポルテーニョ(スペイン語: Club Cerro Porteño)は、パラグアイの首都アスンシオンのアバリオ・オブレーロ地区を本拠地とするサッカークラブである。

History

クラブ名称は1811年1月19日にブエノスアイレス軍(ポルテーニョス、「港の人」の意味)とパラグアイ軍の間で行なわれた「セロ・ポルテーニョの戦い」に由来している。まだスペインの植民地だったパラグアイ軍はスペイン本国政府に見放されたが、パラグアイ植民地政府によって戦闘が続けられ、ブエノスアイレス軍から大勝利を収めた。この戦闘はセロ・ムバエ(Cerro Mbaé、ムバエの丘)で行なわれ、パラグアイ軍の歴史のハイライトとなった。

1912年10月1日、スサーナ・ヌニェスと若者グループによって設立された。この時期のパラグアイはコロラド党とリベラル党というふたつの政党が激しく対立し、政府が不安定な緊張状態にあった。このため、設立者は両党の政党カラーをクラブカラーに使用することを決定し、パラグアイ人の団結と友好の象徴として、赤色(コロラド党)と青色(リベラル党)がユニフォームに用いられた。やがてシャツには白色も使用され、パラグアイ国旗の三色(赤・青・白)がそろった。1913年に初のリーグ優勝を飾ると、1918年の全国選手権プレーオフではナシオナルと対戦。残り20分の段階で0-2と劣勢だったが、その後4得点を挙げて4-2とし、ナシオナルを逆転して優勝した。この「ゴールの嵐」がシクロン(El Ciclón、ハリケーン)というクラブの愛称の由来である。

プリメーラ・ディビシオンでは29回優勝しているが、国際タイトルを獲得したことはない。コパ・リベルタドーレスでは1973年大会、1978年大会、1993年大会、1998年大会、1999年大会、2011年大会でベスト4となったが、つねに準決勝の壁に阻まれている。コパ・スダメリカーナでは2009年にベスト4となった。

2001年にはトップチーム以下、年齢別の全てのカテゴリで優勝するという快挙を成し遂げた。2008年5月にはオズワルド・アルディレスが監督に就任したが、成績が低迷して8月には解任され、ペドロ・トログリオが後任監督に就任した。2010年のFIFAワールドカップで「美人過ぎるサポーター」として話題になったラリッサ・リケルメはセロ・ポルテーニョのサポーターである。セロ・ポルテーニョのサポーターはセリスタと呼ばれる。

セロ・ポルテーニョ女子は、パラグアイのアスンシオンに本拠地を置く女子サッカークラブである。1999年に設立された。パラグアイ女子サッカーリーグであるカンペオナート・パラグアージョ・デ・フトボル・フェメニーノに所属している。ホームスタジアムはエスタディオ・ニコラス・レオースである。クラブカラーは青と赤である。