J3リーグ 03/24 04:00 6 [15] ヴァンラーレ八戸 v AC長野パルセイロ [9] D 1-1
J3リーグ 03/20 05:00 5 [12] AC長野パルセイロ v 福島ユナイテッド [7] W 2-1
J3リーグ 03/16 05:00 4 [12] カマタマーレ讃岐 v AC長野パルセイロ [13] D 1-1
Jリーグカップ 03/13 10:00 7 AC長野パルセイロ v 徳島ヴォルティス W 5-1
J3リーグ 03/09 05:00 3 [13] AC長野パルセイロ v SC相模原 [5] D 1-1
J3リーグ 03/03 05:00 2 [15] 奈良クラブ v AC長野パルセイロ [15] D 1-1
J3リーグ 02/25 10:00 1 [12] FC大阪 v AC長野パルセイロ [12] L 2-1
J3リーグ 12/02 05:00 38 [14] AC長野パルセイロ v テゲバジャーロ宮崎 [19] D 2-2
J3リーグ 11/26 04:00 37 [12] YSCC v AC長野パルセイロ [14] D 1-1
J3リーグ 11/19 05:00 36 [14] AC長野パルセイロ v ギラヴァンツ北九州 [20] D 2-2
J3リーグ 11/12 04:00 35 [8] ガイナーレ鳥取 v AC長野パルセイロ [14] W 2-3
J3リーグ 11/05 05:00 34 [15] カマタマーレ讃岐 v AC長野パルセイロ [14] W 2-3
J3リーグ 10/29 05:00 33 [16] AC長野パルセイロ v アスルクラロ沼津 [7] W 3-0
J3リーグ 10/22 04:00 32 [15] AC長野パルセイロ v FC大阪 [7] L 0-2
J3リーグ 10/15 04:00 31 [9] 松本山雅FC v AC長野パルセイロ [15] L 1-0
J3リーグ 10/08 05:00 30 [14] AC長野パルセイロ v ヴァンラーレ八戸 [12] D 1-1
J3リーグ 09/30 09:30 29 [19] FC琉球 v AC長野パルセイロ [14] D 2-2
J3リーグ 09/23 09:00 28 [16] AC長野パルセイロ v カターレ富山 [2] W 3-1
J3リーグ 09/16 10:00 27 [8] FC今治 v AC長野パルセイロ [15] L 2-0
J3リーグ 09/09 09:00 26 [13] 福島ユナイテッド v AC長野パルセイロ [17] W 0-1
J3リーグ 09/02 09:00 25 [15] AC長野パルセイロ v 愛媛FC [1] D 1-1
J3リーグ 08/26 06:00 24 [9] 奈良クラブ v AC長野パルセイロ [14] L 2-0
J3リーグ 08/19 10:30 23 [14] AC長野パルセイロ v FCギフ [7] L 1-5
J3リーグ 08/13 10:00 22 [3] 鹿児島ユナイテッドFC v AC長野パルセイロ [15] W 1-2
J3リーグ 08/06 09:00 21 [14] AC長野パルセイロ v グルージャ盛岡FC [13] L 0-3
J3リーグ 07/29 09:00 20 [15] AC長野パルセイロ v SC相模原 [20] W 1-0
J3リーグ 07/22 09:00 19 [9] FCギフ v AC長野パルセイロ [14] D 1-1
J3リーグ 07/16 09:00 18 [16] AC長野パルセイロ v ガイナーレ鳥取 [12] D 2-2
J3リーグ 07/08 10:00 17 [9] ヴァンラーレ八戸 v AC長野パルセイロ [13] L 4-0
J3リーグ 07/01 09:00 16 [10] AC長野パルセイロ v FC今治 [6] L 0-4

AC長野パルセイロ(エーシーながのパルセイロ、葡: AC Nagano Parceiro)は、日本の長野県長野市、須坂市、中野市、飯山市、千曲市、坂城町、小布施町、高山村、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、信濃町、飯綱町、小川村、栄村、佐久市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

History

1990年 - 2010年(長野県リーグ/北信越リーグ)

1990年、長野県長野南高等学校サッカー部OBを中心に長野エルザサッカークラブとして発足。1996年、北信越フットボールリーグに昇格。1999年に県リーグに降格するも翌年北信越リーグに再昇格すると、松本、金沢、JAPANサッカーカレッジ(JSC)らと争い、2002年に初優勝。全国地域サッカーリーグ決勝大会(以下「地決」)に初出場している。2004年には全国社会人サッカー選手権大会(以下「全社」)、天皇杯に初出場するが、いずれも初戦で敗れた。

2005年、支援組織として「Athle-nagano」が発足。2006年、「長期的視野に立ち、地元出身者を活かし、高いレベルの指導者により、選手を育成しながらJを目指したい」という考えから、イラン代表元監督のヴァルデイル・ヴィエイラが監督に就任。要田勇一、貞富信宏の2人のプロ契約選手の獲得や、天然芝グラウンド(千曲川リバーフロントスポーツガーデン)への練習拠点の移転、クラブハウスの設置、更には選手が半日就労後に行う2部練習の体制等を発表するなど、ヴィエイラの方針に則った練習環境の整備が行われた。

2007年1月15日に運営組織を株式会社化。また商標登録の関係から新たなクラブ名を公募し、名称を長野エルザサッカークラブからAC長野パルセイロへ改称。2008年2月には長野市、千曲市、須坂市、中野市の4市や競技団体など30団体で構成する「ホームタウンながの推進協議会」が発足した。

2008年は北信越リーグおよび第44回全社で優勝したが、第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会はグループリーグ3位で敗退。翌2009年は北信越リーグで2位に終わり、JFL昇格はならず。ヴィエイラがシーズン終了後に退任した。

2010年、コーチの薩川了洋が監督に就任。JSCから移籍してきた諏訪雄大や宇野沢祐次の活躍もあり、北信越リーグを無敗(12勝2分)で制す。9月の鈴木政一(ジュビロ磐田元監督)の強化本部長就任を経て、第46回全社、第34回地決をともに準優勝し、同年12月8日に日本フットボールリーグ(JFL)理事会でJFLへの入会が承認された。

2011年 - 2013年(JFL)

2011年
チームスローガン:DO OUR BEST!

JFL初年度のリーグ戦は最少失点(27失点)、13試合連続無敗(前期第16節 - 後期第9節(東日本大震災で順延となった8月17日の前期第4節と8月21日の前期第5節も含む))といった記録を残し、SAGAWA SHIGA FCに次ぐ2位の成績を収めた。

長野県サッカー選手権大会(天皇杯長野県予選)は決勝で松本山雅FCにPK戦で敗れた。

2012年
チームスローガン:Run All

2月にJリーグ準加盟の審査を受け、同年7月23日にJリーグ準加盟クラブとして承認された。なお、ホームスタジアムとして登録した南長野運動公園総合球技場(南長野)がJリーグ規格に満たないため、J2ライセンスの申請をせず、J2・JFL入れ替え戦への出場は見送られた。2012年シーズンはV・ファーレン長崎に次ぐ2年連続の2位。

第92回天皇杯は県予選決勝から出場、アルティスタ東御を下し8年ぶり2回目の長野県代表として出場(パルセイロに改名後は初)し、1回戦で北海道代表札幌大学に天皇杯での初勝利を収め、2回戦もJ1・札幌にPK戦で勝利した。なお、JFL・横河武蔵野FCにPK戦で敗れた。

シーズン終了後に薩川が監督を退任した。

2013年
チームスローガン:結心

元徳島監督の美濃部直彦が監督に就任。開幕5連勝でリーグ戦をスタートし、一時3位に後退するも第9節から第32節まで24試合連続無敗(そのうち第26節から第32節まで7連勝)を記録。第26節終了時にカマタマーレ讃岐に代わって首位に浮上し、第32節ブラウブリッツ秋田戦に勝利して初のJFL優勝を決めた。同年11月19日には日本プロサッカーリーグの理事会でJリーグへの入会と、2014年のJ3リーグ参加が承認された。本年7月27日の第22節を最後に南長野が改修工事に入り、8月11日の第24節より佐久総合運動公園陸上競技場(佐久陸)でホームゲームを開催した。

第93回天皇杯は2回戦でJ1・名古屋に勝利。3回戦でJ2・北九州にPK戦で勝利してベスト16に進出した。なお、4回戦はJ1・横浜FMに延長戦の末敗れた。

2014年 - (J3)

2014年
チームスローガン:頂戦

美濃部体制2年目。藤田信、平島崇、堤隆裕、鯨岡佑太、保戸田春彦、木下正貴、小川裕史が退団した一方、甲府から元日本代表の伊東輝悦、栃木SCから勝又慶典、町田から向慎一を完全移籍で獲得。シーズン途中には山田晃平を長崎から期限付き移籍で獲得した。

リーグ戦は2位の成績でJ2・J3入れ替え戦に回ったが、1分1敗の成績でJ2・21位の讃岐に敗れてJ2昇格を逃した。

第94回天皇杯はアマチュアシード枠で出場。2回戦でJ2・千葉に敗れた。

2015年
チームスローガン:Strong 心・信・進

美濃部体制3年目。旗手真也、野澤健一、高野耕平が引退、松尾昇悟、川邊裕紀、田中恵太、下村悠太、畑田真輝、川鍋良祐がチームを去った。補強は、長崎から金久保彩、相模原から菅野哲也、盛岡から土井良太、京都から内野貴志を完全移籍で、岡山から仙石廉を期限付き移籍で獲得。鮫島晃太の期限付き移籍期間が延長され、山田晃平が期限付き移籍から完全移籍に移行した。

リーグ戦開幕直前に福岡から光永祐也を期限付き移籍で獲得。リーグ戦開幕後は、パク・ゴンが福岡から、近藤祐介が北九州から、金信泳が釜山アイパークから加入、ムリロ・アルメイダを大分から(7月2日契約解除)、小山内貴哉を札幌から期限付き移籍で獲得した。一方で、吉田実成都がMIOびわこ滋賀へ移籍、平岡将豪が沼津、高慶汰が盛岡へ期限付き移籍、井上寛太が退団した。また、8月5日、美濃部が健康上の問題を理由に監督を辞任。後任には衛藤元がヘッドコーチから昇格した。

リーグ戦は、昨年同様昇格争いをしていたが3位となり昇格はならなかった。また、シーズン最終戦にてマスコットキャラクター「ライオー」がお披露目された。第95回天皇杯は2回戦でJ1・神戸に敗れた。

シーズン終了後、衛藤が監督を退任、大橋良隆、諏訪雄大が引退、鮫島晃太、高橋駿太、土井良太、金信泳、向慎一、伊東輝悦、光永祐也、小山内貴哉が退団した。

2016年
チームスローガン:共超

監督に福岡のヘッドコーチだった三浦文丈が就任。補強は、群馬から夛田凌輔、大分から阪田章裕、荒田智之、岐阜から関田寛士、横浜FMから天野貴史、長崎から東浩史、柏から三浦龍輝、松本から塩沢勝吾を完全移籍で、長崎から碓井鉄平、愛媛から渡辺亮太を期限付き移籍で獲得。期限付き移籍から高慶汰、平岡将豪が復帰、仙石廉が期限付き移籍から完全移籍に移行した。

開幕後、ジョニー・レオーニがFCル・モン=シュル=ローザンヌ(フランス語版)スイス3部(英語版))から加入。橋本英郎がC大阪から、コンハードがトンベンセFC(ブラジル3部)から期限付き移籍で加入。一方、平岡将豪がいわきFCへ、パク・ゴンが群馬へ、近藤祐介が相模原へ、金久保彩が鹿児島へ、高慶汰がブリオベッカ浦安へ期限付き移籍。碓井鉄平が長崎へ復帰。リーグ戦は昨年と同じ3位。

第96回天皇杯は長野県予選決勝で松本大学にPK戦で勝利し天皇杯本戦に出場。2回戦でJ1・名古屋に勝利した。なお、3回戦はJ2・横浜FCに延長戦の末敗れた。

シーズン終了後、三浦が監督を、神野が強化部長を退任した。金永基(現役引退)、山田晃平、ジョニー・レオーニ、鹿児島へ期限付き移籍していた金久保彩、相模原へ期限付き移籍していたが近藤祐介が契約満了で、渡辺亮太、橋本英郎、コンハードが期限付き移籍期間満了で退団、三浦龍輝が磐田、仙石廉、夛田凌輔が栃木へ完全移籍、期限付き移籍していた高慶汰(浦安)、パク・ゴン(群馬)、平岡将豪(いわきFC)は完全移籍で退団した。

2017年
チームスローガン:一体感

新監督に昨年まで鹿児島の監督だった浅野哲也が就任。また元監督の美濃部直彦がGMに就任した。補強は、北九州から阿部伸行、新井純平、寺岡真弘、鹿児島から武田大、富山から三上陽輔、岡山から小林秀征、京都から岩沼俊介、國領一平、名古屋から元日本代表明神智和、Y.S.C.C.横浜から野崎雅也を完全移籍で、東京Vから大木暁を期限付き移籍で獲得。

開幕後、京都産業大学の前田悠斗が新加入、水戸から萬代宏樹を期限付き移籍で、山口から岡本英也を完全移籍で獲得した。

開幕2連勝で第2節終了時に暫定首位となるも、直後に連敗しJ2昇格圏となる2位以内から脱落、結果的に昇格圏に入ったのは第2節終了時のみとなった。11月9日、第30節のアウェー藤枝戦に2-4で敗れ、同節終了時に2位に浮上した秋田との勝点差が残り4試合で13に開いたため、この時点で2018年のJ2リーグへの昇格の望みが絶たれ、最終的に5位となった。

第97回天皇杯は2回戦でJ1のFC東京にPK戦の末勝利、3回戦でJ2の岡山にも勝利しベスト16に進出、ラウンド16(4回戦)でJ1の磐田に敗退。

2018年
チームスローガン:一体感 Get Up

浅野体制2年目。

開幕後第13節を終えて2勝6分4敗(第4節は試合なし)と低迷し、6月12日に浅野が監督を退任。ヘッドコーチの阪倉裕二が監督に就任し第14節から指揮を執るも、J3加入後最低となる10位でリーグ戦を終える。シーズン終了後、監督の阪倉とGMの美濃部が退任した。

第98回天皇杯は2回戦でJ2の大宮に敗れた。

2019年
チームスローガン:一体感 for Dream!

監督に前栃木監督の横山雄次が就任。

開幕から5戦目まで未勝利(3分2敗)、第6節讃岐戦でシーズン初勝利の後、第8節、第9節と連勝し10位まで浮上したものの、第10節から8戦勝ちなし(3分5敗)で、第14節終了時から第17節まで最下位となる。後半戦初戦となる第18節からシーズン初の3連勝で最下位は脱出したものの、その後第21節からの9試合で2勝しか出来ず、第29節終了時に同シーズンの3位以下が決定、翌年のJ2リーグ昇格を逃した。ただし第27節以降最終節までは8戦負けなし(6勝2分)、特に第30節から最終節までは5連勝と巻き返し、勝点49の9位で終えた。

第99回天皇杯は2回戦でJ1清水に0-1で敗れた。

2020年
チームスローガン:CHANGE!

横山が監督を続投。補強は、八戸から、三田尚希、熊本から、佐野翼を完全移籍で獲得し、東洋大学から、坪川潤之が入団。前半戦は第3節以降4位と6位の間を推移、第13節からの4連勝で第17節終了時に3位浮上、後半戦に入ると、第20節、第22節、第23節終了時に2位に立ち、第26節以降は相模原と2位争いとなり、第31節からは2位を維持、最終節で勝利すれば自力で2位となるところであったが、長野Uスタジアムでは過去長野が未勝利の岩手に0-2で敗れ、3位相模原が勝利したため逆転で3位となり、J2昇格を逃した。

2021年
チームスローガン:CHALLENGE

横山体制3年目。明治大学から、2016年の青森山田のキャプテン、住永翔が入団、補強は、群馬から宮阪政樹、讃岐から森川裕基、甲府から金園英学、徳島から秋山拓也そして栃木から榊翔太を獲得し、岩沼俊介や遠藤元一ら6名が契約満了で退団した。開幕戦の勝利後4連続引き分け→3連敗→引き分けで8試合勝利なしとなり一気に12位まで順位を下げた後、第11節から4連勝を含む7戦負けなし(5勝2分)、前半戦終了となる第15節時点ではJ2昇格圏の首位富山2位福島と勝点差5の7位、後半戦初戦のアウェー宮崎戦の勝利で6位まで浮上したものの、続く第17節から8試合勝利なし(3分5敗)となり第23節には9位まで低下、第24節岐阜戦に敗れ、同節終了時点で残り5試合(第26節は長野は試合なし)で2位宮崎との勝点差が16となりJ2昇格の可能性が消滅した4日後の10月28日、監督の横山が退任となり、コーチの吉澤英生が後任監督に就任。吉澤就任以降の5試合は2勝3分負けなしで終えたものの最終順位は9位のままであった。シーズン終了後、吉澤も監督を退任。

2022年
チームスローガン:PRIDE OF NAGANO

監督に、前YS横浜監督のシュタルフ悠紀リヒャルトが就任。

開幕戦と第3節終了時点で2位になったのがシーズン最高順位で、第8節から5試合勝利なし(3分2敗)になるなどし、第14節終了時点では10位にまで順位を落とす。その後後半戦は6-8位を推移し、第31節アウェー信州ダービー松本戦に敗れた時点で、同シーズンのJ2昇格の可能性が完全に消滅。

最終結果は14勝10分10敗の勝点52の8位となった。

天皇杯は県予選決勝で松本に敗れたため、本大会出場とはならなかった。

2023年
チームスローガン:PRIDE OF NAGANO

シュタルフ体制2年目。

シーズン序盤は好調で、第10節の松本山雅との信州ダービーを制し、首位に浮上。しかしそこから大不振に陥り、第11節の沼津戦から第19節岐阜戦まで9戦勝利なし(3分6敗)で、昇格争いから脱落。8月末の時点で11位とJ2昇格が難しい順位となり、8月28日に成績低迷のためシュタルフ監督を解任。後任に鳥取や今治を指揮した髙木理己が就任。終盤6試合は無敗だったが、最終的に13勝11分14敗の14位となり、前年から順位を落とす。昇格組の奈良クラブとFC大阪にはホーム・アウェイとも無得点で全敗した(4戦合計0-8)。

天皇杯は神戸に2回戦で敗れ敗退。

長野パルセイロは、長野県をホームタウンとする日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するサッカークラブ。

2008年1月15日、ツエーゲン金沢とともにJリーグ準加盟クラブに認定され、2010年にJリーグ入会が決定。2012年シーズンよりJ2リーグに参入した。

クラブ名の「パルセイロ」は、ポルトガル語で「射手」を意味し、長野県を象徴する動物であるカモシカ(英名:Japanese serow)にちなんでいる。チームカラーは、長野県の県花であるりんどうの紫色。

ホームスタジアムは、長野市にある長野Uスタジアム。収容人数は15,000人。

2022年シーズンは、J2リーグで17位。天皇杯は、3回戦で敗退した。

監督は、2021年から指揮を執る有馬賢二。選手は、元日本代表の青木孝太や、元U-20日本代表の田中順也などが所属している。