J1リーグ 04/20 05:00 9 京都サンガFC v アルビレックス新潟 - View
J1リーグ 04/27 05:00 10 アルビレックス新潟 v FC東京 - View
J1リーグ 05/03 05:00 11 アルビレックス新潟 v サンフレッチェ広島 - View
J1リーグ 05/06 04:00 12 ヴィッセル神戸 v アルビレックス新潟 - View
J1リーグ 05/11 05:00 13 アルビレックス新潟 v 浦和レッズ - View
J1リーグ 05/15 10:00 14 アルビレックス新潟 v 横浜F・マリノス - View
J1リーグ 05/19 07:00 15 湘南ベルマーレ v アルビレックス新潟 - View
J1リーグ 05/25 07:00 16 アルビレックス新潟 v アビスパ福岡 - View
J1リーグ 06/01 06:00 17 FC町田ゼルビア v アルビレックス新潟 - View
J1リーグ 06/16 09:00 18 鹿島アントラーズ v アルビレックス新潟 - View
J1リーグ 06/22 09:00 19 アルビレックス新潟 v 川崎フロンターレ - View
J1リーグ 06/26 10:00 20 サンフレッチェ広島 v アルビレックス新潟 - View
J1リーグ 06/29 05:00 21 北海道コンサドーレ札幌 v アルビレックス新潟 - View
J1リーグ 07/06 09:30 22 アルビレックス新潟 v サガン鳥栖 - View
J1リーグ 07/13 10:00 23 FC東京 v アルビレックス新潟 - View
J1リーグ 07/20 10:00 24 セレッソ大阪 v アルビレックス新潟 - View
J1リーグ 08/07 10:00 25 アルビレックス新潟 v ジュビロ磐田 - View
J1リーグ 08/12 10:00 26 アルビレックス新潟 v 京都サンガFC - View
J1リーグ 08/17 10:30 27 アビスパ福岡 v アルビレックス新潟 - View
J1リーグ 08/25 10:00 28 アルビレックス新潟 v FC町田ゼルビア - View
J1リーグ 08/31 10:00 29 名古屋グランパス v アルビレックス新潟 - View
J1リーグ 09/14 10:00 30 アルビレックス新潟 v 湘南ベルマーレ - View
J1リーグ 09/21 10:00 31 アルビレックス新潟 v ヴィッセル神戸 - View
J1リーグ 09/28 10:00 32 川崎フロンターレ v アルビレックス新潟 - View
J1リーグ 10/05 10:00 33 アルビレックス新潟 v 鹿島アントラーズ - View
J1リーグ 10/19 10:00 34 横浜F・マリノス v アルビレックス新潟 - View
J1リーグ 11/03 10:00 35 アルビレックス新潟 v 東京ヴェルディ - View
J1リーグ 11/09 10:00 36 柏レイソル v アルビレックス新潟 - View
J1リーグ 11/30 10:00 37 アルビレックス新潟 v ガンバ大阪 - View
J1リーグ 12/08 10:00 38 浦和レッズ v アルビレックス新潟 - View

アルビレックス新潟(アルビレックスにいがた、英: Albirex Niigata)は、日本の新潟県内全市町村(20市6町4村)をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

History

前史

1955年、新潟イレブンサッカークラブとして創部。1982年には社会優良団体(優良スポーツクラブ)として文部大臣賞を受賞した。

1991年、新潟県サッカー協会は2002 FIFAワールドカップの開催地に立候補することを決定(翌1992年に新潟県議会でも可決)。ワールドカップ招致活動の一環として掲げられたプロサッカークラブの創設と短期間でのJリーグ加盟を実現するため、新潟県サッカーリーグからのスタートとなるクラブの新設ではなく、天皇杯や全国社会人サッカー選手権大会などの全国大会への出場経験を持つ北信越リーグの新潟イレブンSCを強化することになり、1995年、県サッカー協会の強化指定を受けた新潟イレブンSCを母体に新潟蹴友会の主力選手を加えてチーム名をアルビレオ新潟FCに改称した。新監督に県の外国人スポーツ指導者招聘事業により来県し、新潟イレブンSCのヘッドコーチを務めていたフランツ・ファン・バルコムが就任し、同チームの監督を務めていた若杉透は総監督に就任した。

1996年、チーム母体を法人組織として株式会社を設立しプロ化、日本初の地域リーグでのプロサッカークラブとなった。1997年、クラブ名をアルビレックス新潟に改称して臨んだシーズンは北信越リーグ連覇を果たし、日本サッカー協会及びJリーグより地域リーグ所属のクラブからは唯一となる1999年に開幕するJ2への参入を承認された。1998年、全国地域リーグ決勝大会を勝ち抜き、ジャパンフットボールリーグに昇格。(旧)JFLは永井良和監督の下で臨んだが、順位は11位と低迷。翌年からのJ2参入に向けてチームを強化するため、26名の選手のうち17名との契約を打ち切ることになった。

1999年 - 2003年(J2)

J2昇格後は秋葉忠宏や鈴木慎吾、寺川能人ら、各ポジションにJリーグ経験者を含む即戦力を補強した。2000年には新潟出身の元日本代表、神田勝夫が加入した。昇格初年度の1999年はJ2開幕から7連勝を記録してリーグ中盤戦まで首位をキープするなど健闘し、最終順位は4位となった。永井は2000年まで監督を務めたが、J1昇格はならなかった。

2001年、新監督に反町康治が就任。同年に完成し、ワールドカップの会場になった新潟スタジアム(ビッグスワン)を主な舞台に、元日本代表の山口素弘、船越優蔵、黒崎久志やマルクス、安英学らが活躍。2001年は4位、2002年は3位で惜しくもJ1昇格を逃すも、2003年に広島、川崎との熾烈な昇格争いを制してJ2優勝・J1昇格を決めた。優勝を決めた最終節大宮戦には、ビッグスワンに42,223人のサポーターが詰めかけた。詳細は「2003年J2第43節・最終節」を参照。マルクスは2002年(19得点)、2003年(32得点)と、2年連続でJ2得点王となった。

2004年 - 2017年(J1)

酒井高徳

J1昇格後も2005年まで反町が指揮を執った。昇格1年目の2004年はエジミウソン、ファビーニョらブラジル人を中心としたカウンター戦術を採用した。1stステージは苦戦して14位に終わるも、2ndステージ第6節広島戦から第9節鹿島戦まで4連勝をマークするなど一時は上位争いを展開し、最終節を待たずに残留決定。2ndステージ7位、年間10位で終えた。また、新潟県中越地震の影響(余震及びスタジアム駐車場が自衛隊の前線基地となった)により、10月と11月に予定されていたビッグスワンでの2試合は、国立霞ヶ丘競技場陸上競技場と平塚競技場で代替開催された。代替開催ながらも新潟サポーターは多数駆け付け、手製の横断幕を持って応援した。地震直後の試合となった柏戦では試合前に会場全体で黙祷が捧げられた。

2006年から2009年までの4年間は鈴木淳が監督を務めた。鈴木はマルシオ・リシャルデスや矢野貴章らを中心とした攻撃的なチームを作り上げ、2007年にJ1昇格後最高順位となる6位の成績を残した。また、この年には矢野がクラブ初の日本代表に選出。3月24日に行われたペルー代表戦で初キャップを記録し、後の南アフリカワールドカップに於いてクラブ初のワールドカップ本大会メンバーに選出された。中心選手だったエジミウソン、坂本將貴らが移籍した2008年は残留争いに巻き込まれるが、2009年には4-3-3の攻撃的なフォーメーションを敷いて上位争いに顔を出し、天皇杯では過去最高のベスト8進出を果たした。

鈴木の後任にはヘッドコーチから黒崎久志が昇格し、2シーズン連続でJ1残留に成功した。2010年は、第7節名古屋戦から第17節京都戦まで11試合連続無敗のクラブ記録を樹立、その間、第9節神戸戦から第12節山形戦にかけては、2004年以来6シーズン振りとなる4連勝を記録した。しかし黒崎の在任中、矢野やJリーグベストイレブンに選出されたマルシオをはじめ、代表経験のある酒井高徳、曺永哲ら、多くの主力選手が国内外へ流出し、2011年終盤から得点力不足に悩まされた。

2012年は開幕から3連敗を喫するなど降格圏内に沈み、黒崎は5月に辞任した。シーズン途中での監督交代はクラブ史上初のことだった。 黒崎の辞任後、柳下正明が監督に就任。一時は降格圏から脱出したが、残留争いからは抜け出すことはできなかった。勝てなければ降格決定という絶体絶命の状況で迎えた第33節で辛くも勝利して仙台の優勝を阻止したものの、降格圏内の17位で最終節を迎える事となった。新潟が勝利してもなお自力での残留は困難な状況の中、ホームで札幌に勝利。残留を争う神戸とG大阪が共に敗れ、逆転で15位に浮上してJ1残留を果たした。最終節に至る経緯は「2012年J1最終節」が詳しい。

J1連続在籍10年目を迎えた2013年は川又堅碁やレオ・シルバらの活躍とともに夏場から調子を上げ、J1残留を決めた第30節から最終節までクラブ新記録となる5連勝を記録、第33節では横浜FMの優勝を阻止した。3年ぶりの1桁順位となる7位でシーズンを終えた。

2014年はブラジルワールドカップの中断期間まで7位であったが、金珍洙、川又の退団やけが人の影響もあり12位で終了。

11年振りに2ステージ制に戻された2015年は終盤まで残留争いに加わってしまうものの、最終的に年間15位で残留を決めた。Jリーグカップでは、クラブ史上初の決勝トーナメントに進出し、ベスト4の成績を残した。シーズン終了後に柳下が監督を辞任した。

2016年は吉田達磨が監督に就任した。開幕戦は勝利を飾ったものの、それから成績が振るわず1stステージを13位で終える。2ndステージも開幕4連敗を喫するなど不調から抜け出せず、残留争いのライバルである甲府と名古屋に連敗。降格圏内まで勝点差1に詰め寄られた事が決定打となり、9月27日に吉田監督以下コーチ陣は4試合を残しての解任となった。後任はコーチを務めていた片渕浩一郎が就任した。その後残留争いは最終節までもつれ、勝てば残留という状況の中、広島戦も敗戦を喫し勝点で名古屋と並んだものの、得失点差で上回り辛うじて年間15位で残留を果たした。年間勝点30での残留は現行の18チーム制になってからは史上最少の記録である。

2017年は、前年長野の監督であった三浦文丈が新監督に就任。しかし開幕からリーグ戦10試合で僅か1勝と低迷し、その後三浦が辞任。後任に呂比須ワグナーを招聘した。 呂比須の初陣となった第12節札幌戦でリーグ2勝目を挙げたが、その後はリーグ戦16試合勝ち無しとクラブワースト記録を更新するなど成績は上向かず、第32節甲府戦で勝利したものの、他会場の結果により昇格14年目にして初のJ2降格が決定した。最終的には17位で終了。シーズン終了後、呂比須の退任と神田勝夫強化部長の退任が発表された。

2018年 - 2022年(J2)

鈴木政一が監督に就任。2018年は1年でのJ1復帰を目指したが、リーグ前半戦で7勝5分9敗、ホームでは僅か1勝と低迷。8月7日に鈴木が契約解除され、ヘッドコーチの片渕が2年ぶりに監督に就任した。以降はホームでも勝てるようになったが、上位争いに加わる事無く16位でシーズンを終えた。ルヴァンカップも予選リーグ3位で終わった。

2019年は開幕9試合で3勝3敗3分とスタートダッシュに失敗。4月14日に片渕が監督から解任され、アカデミーダイレクターの吉永一明が監督に就任、4シーズン連続での監督の途中交代となった。しかし、その後も第13節長崎戦から4連敗を喫し16位まで後退、第26節で9位に浮上した以外は2桁順位を脱することなく、10位でシーズンを終えた。レオナルドが28得点を挙げ得点王を獲得した。

2020年は新監督にスペイン人のアルベルト・プッチ・オルトネダが就任。ポゼッション主体の戦術に変貌を遂げた。開幕節群馬戦は3-0で快勝し首位に立ったものの、同シーズンの昇格圏内である2位以内に入ったのはこれが最初で最後となった。第27節から7戦負けなしで一時は4位まで浮上したものの、第37節終了時点で5試合を残し昇格の可能性が消滅。結局前年を下回る11位でシーズンを終えた。9月に所属選手2名の飲酒運転が発覚し、解雇処分を受けた。

2021年は開幕節北九州戦を4-1と快勝すると、開幕から5連勝とスタートダッシュに成功し、13戦負けなし(10勝3分)で首位を維持した。しかし、第18節岡山戦の敗戦でJ1昇格圏外の3位に後退、その後は昇格圏内の2位以上に戻ることなく最終的に2位京都とは勝点差16の6位でシーズンを終えた。シーズン終了後、アルベルトが監督を退任した。

2022年は前年コーチを務めていた松橋力蔵が監督に就任した。前監督のアルベルトが植え付けたポゼッション主体の戦術をベースに、縦の速さと相手との駆け引きを意識したサッカーを展開した。序盤は開幕7試合で2勝と出遅れたが、第8節から8試合連続負けなしを含む10勝3分1敗として、前半戦を首位で折り返す。後半戦は主力の本間至恩の海外移籍や高木善朗の負傷離脱といったアクシデントも有りながらも、伊藤涼太郎や三戸舜介らがその穴を埋める活躍を見せる。その後も着実に勝点を積み重ね、昇格圏内の2位以内をキープ。第35節で首位に返り咲き、シーズン初の4連勝のあと、引き分けを挟み迎えた第40節仙台戦で勝利し、6年ぶりのJ1昇格を決めた。翌第41節東京V戦では敗れたものの、2位の横浜FCが敗れたため新潟の2回目のJ2優勝が決定した。最終節町田戦での勝利で、J2通算200勝を達成した。最終成績は25勝9分8敗の勝点84。得点73、失点35、得失点差38は全てにおいてリーグ1位となった。

2023年 - (J1)

2023年は昨年のメンバーの殆どが残留して開幕を迎えた。リーグ前半戦は広島、川崎、横浜FMと昨年のJ1トップ3に勝利を挙げた一方で、鹿島、横浜FC、G大阪、京都と序盤下位に低迷していたチームに敗れるなど勝点を伸ばせず、13位で折り返す。主力の伊藤が海外移籍して迎えた後半戦も勝ち負けを繰り返していたが、9月から12月までの9試合を4勝5分の無敗で乗り切り、最終的に11勝12分11敗の10位でJ1残留を果たした。ルヴァンカップはグループステージ敗退、天皇杯は過去最高タイのベスト8進出を果たした。


アルビレックス新潟(アルビレックスにいがた)は、新潟県新潟市にホームタウンを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

クラブ名の「アルビレックス」とは、ラテン語で「白と赤の王」を意味し、新潟県の県鳥であるトキと県の県木であるマツをイメージしている。

クラブは1995年に創設され、1999年にJリーグに参入。2003年にはJ1リーグに昇格し、2004年には天皇杯全日本サッカー選手権大会で優勝した。

アルビレックス新潟は、攻撃的なサッカーを展開することで知られており、多くのタレントを輩出している。クラブのホームスタジアムは、デンカビッグスワンスタジアムであり、収容人数は4万2300人である。

アルビレックス新潟は、新潟県を代表するスポーツクラブであり、多くのサポーターに愛されている。クラブは、J1リーグでの優勝を目指して日々努力している。