バレーボール大韓民国女子代表(バレーボールだいかんみんこくじょしだいひょう)は、バレーボールの国際大会で編成される大韓民国の女子バレーボールナショナルチームである。

History

1956年に国際バレーボール連盟へ加盟。国際大会の初出場は1964年の東京五輪で、そのとき、韓国は6位で出場国中最下位であった。1962年世界選手権、1973年ワールドカップでは初出場でそれぞれ銅メダルを獲得、1975年アジア選手権で準優勝を飾った。1976年モントリオール五輪では銅メダルを獲得している。

アテネ五輪後は呼び戻したベテランが引退し、急激な大型化世代交代の転換期に入った。平均身長が180cmを越えるなど大型若手選手を積極的に起用、そのため伝統だった硬い守備からの粘り強い執念のバレーは息を潜めた。2005年ワールドグランプリでは2勝7敗と大きく負け越し9位の予選敗退で大会を終了した。その後、2006年世界選手権のアジア大陸予選に出場し、グループ1位で出場権を獲得する。秋のアジア選手権では、3位決定戦で予選で敗れた日本との対戦に再び敗れ、1975年以降12大会連続で獲得していたアジア選手権のメダルを初めて失った。年末に行われた2005ワールドグランドチャンピオンズカップでは推薦枠で出場、キム・ヨンギョンが国際大会デビューを果たしたが1勝4敗の最下位6位で終わり、1997、2001、2005と3大会連続で最下位に終わった。

2006年は新キャプテンにキム・サニが就任し、監督も代わり新しい若いチームとなった。2006年ワールドグランプリでは若きエースアタッカーのキム・ヨンギョンが不在の中、高校生の初代表選手を加えるなどさらに若返ったチームとなったが、2勝9敗の9位で予選敗退となった。

2006年世界選手権では、キム・ヨンギョンやハン・ユミなどが共に怪我から復帰した。1次ラウンドでは2勝3敗の4位で2次ラウンドに進んだが、2次ラウンドでは1勝3敗で過去最低の13位タイに終わった。その直後年末にカタールのドーハで行われたアジア大会では準々決勝でタイに敗れ、5~8位決定戦に進むことになった。最終順位5位は死守したが、この大会始まって以来11大会連続で獲得していたメダルを初めて失ってしまった。

2012年のロンドンオリンピック最終予選ではエースのキム・ヨンギョンなどの活躍もあり、5勝2敗と全体で2位通過と好成績でオリンピック出場を決めた。同年のオリンピック本戦ではMVP・ベストスコアラーに輝いたキム・ヨンギョンらの活躍でベスト4進出を果たしたが、準決勝でアメリカ、3位決定戦でも日本にそれぞれストレートで敗れ4位にとどまった。

2016年のリオデジャネイロオリンピック最終予選でも日本に次いで4勝3敗と全体において4位通過を果たし、2大会連続のオリンピック出場を決めた。しかし、迎えたオリンピック本戦では決勝トーナメント準々決勝でオランダに敗れた。

2021年の東京五輪では開催国の日本と同じプールAに入り、ブラジル、セルビアに次いで3勝2敗の成績となり、2大会連続で決勝トーナメント進出を決めた。準々決勝ではプールBで中国をストレートで下したトルコにフルセットの末勝利したが準決勝でブラジル、3位決定戦でもセルビアにストレート負けを喫し、4位に終わった。

2022年の女子バレーネーションズリーグでは0勝12敗の最下位に終わり、1勝も挙げることができず大会を去っていった。