ウクライナ プレミアリーグ | 05/05 12:30 | 27 | ディナモキーウ vs コロスコヴァリフカ | - | View | |
ウクライナ プレミアリーグ | 05/11 15:00 | 28 | シャフタール vs ディナモキエフ | - | View | |
ウクライナ プレミアリーグ | 05/18 13:00 | 29 | ディナモキエフ vs FCクリヴィリ・クリヴィー・リフ | - | View | |
ウクライナ プレミアリーグ | 05/25 13:00 | 30 | FCルフリヴィウ vs ディナモキエフ | - | View |
ウクライナ プレミアリーグ | 05/01 12:30 | 5 | [2] ディナモキーウ v FCヴェレスリヴネ [14] | W | 3-0 | |
ウクライナ プレミアリーグ | 04/27 10:00 | 26 | [4] ドニプロ1 v ディナモキーウ [2] | W | 1-2 | |
ウクライナ プレミアリーグ | 04/21 15:00 | 25 | [2] ディナモキーウ v ポリーシャ・ジトーミル [6] | W | 3-0 | |
ウクライナ プレミアリーグ | 04/17 12:30 | 16 | [16] FKミナイ v ディナモキーウ [2] | W | 1-3 | |
ウクライナ プレミアリーグ | 04/13 12:30 | 24 | [11] PFCオレクサンドリーヤ v ディナモキーウ [3] | W | 0-1 | |
ウクライナ プレミアリーグ | 04/08 12:30 | 23 | [3] ディナモキーウ v LNZチェルカッスイ [10] | D | 1-1 | |
ウクライナ プレミアリーグ | 04/04 12:30 | 6 | [12] ゾリャ v ディナモキーウ [4] | W | 0-3 | |
ウクライナ プレミアリーグ | 03/31 12:30 | 22 | [7] ヴォルスクラ・ポルタヴァ v ディナモキーウ [4] | W | 1-5 | |
ウクライナ プレミアリーグ | 03/12 13:30 | 21 | [4] ディナモキーウ v ゾリャ [12] | W | 2-0 | |
ウクライナ プレミアリーグ | 03/07 16:40 | 20 | [15] FCヴェレスリヴネ v ディナモキーウ [4] | D | 1-1 | |
ウクライナ プレミアリーグ | 03/02 13:30 | 19 | [5] ディナモキーウ v チェルノモレツ・オデッサ [10] | W | 1-0 | |
ウクライナ プレミアリーグ | 02/25 13:30 | 18 | [5] ディナモキーウ v FCメタリスト1925 [12] | W | 4-2 |
Total | Home | Away | |
---|---|---|---|
Matches played | 49 | 27 | 22 |
Wins | 30 | 18 | 12 |
Draws | 7 | 3 | 4 |
Losses | 12 | 6 | 6 |
Goals for | 106 | 60 | 46 |
Goals against | 51 | 24 | 27 |
Clean sheets | 16 | 11 | 5 |
Failed to score | 8 | 5 | 3 |
FCディナモ・キエフまたはFCディナモ・キーウ(ウクライナ語: Футбольний клуб «Динамо» Київ、英語: FC Dynamo Kyiv)は、ウクライナの首都キーウを本拠地とするプロサッカークラブである。
クラブは全国的ソビエトスポーツ協会「ディナモ」のアマチュアスポーツクラブの一つとして1927年に設立された。クラブは内務人民委員部(NKVD、ソ連国家保安委員会 (KGB) の前身)、後にロシア内務省 (MVD) の公的資金によって支援された。
そして1950年代から1980年代に掛けて、選手達は警察または内部の軍隊役員として公式に評価された。しかし、それ以外の大多数の一般ソビエト市民は「スポーツ協会」に義務的に会費を払い参加した。
ソビエト連邦時代の間、クラブはモスクワの主要なサッカークラブに対抗することができるライバルの一つであった。ソビエトサッカー界においてモスクワを本拠地とするクラブの優位性に対し、常に彼らに対抗し得る実力を維持し続けた。これはウクライナの民族のプライドの問題でもあった。ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の代表は、非公式にクラブをウクライナのナショナルチームと考え、クラブに対し寛大な支援を提供した。
クラブはソ連リーグにおいて1966年、1967年、1968年の3連覇を始め13度のリーグタイトルを獲得。これはソ連リーグ最多記録であった。
国際舞台においても1975年と1986年にUEFAカップウィナーズカップで、1975年にUEFAスーパーカップで優勝している。UEFAチャンピオンズリーグでは1977年、1987年、1999年に準決勝に進出した。これらの成功はヴァレリー・ロバノフスキー監督(1960年代のディナモの選手。後に長期間クラブの監督を務めた。またソ連代表の監督も一時期兼務していた)の手腕によって導かれた。
またクラブの全盛期であった1970年代から1980年代当時はソ連代表の大部分がディナモの選手達で構成されていた時期もあった。中でもオレグ・ブロヒンはソ連リーグ通算211得点の記録を持つ往年の名ストライカーで、通算432試合出場もリーグ最多記録である。ブロヒンは300以上に及ぶ公式な得点記録(ソ連リーグ、ソ連カップ、UEFA主催のクラブ国際大会、ソ連代表試合、その他を含む)で、これまでのソ連の得点者達をリードしている。
1991年のソビエト連邦の崩壊後、新しく誕生したウクライナ・プレミアリーグの一員となり、1992-93シーズンから9連覇を達成する等、名門クラブとしての地位は旧ソ連時代以来変わることはなかった。しかし近年、この優位性は東部地方のドネツィクを本拠地とするシャフタール・ドネツクによって脅かされており、現在は熾烈な覇権争いを繰り広げている。両者の対戦はウクライナダービーと呼ばれる。