ドイツ DFBポカール 08/17 12:30 7 カール・ツァイス・イェーナ v エルツゲビルゲ・アウエ W 0-1
ドイツ ブンデスリーガII 08/09 13:30 2 エルツゲビルゲ・アウエ v ボーフム L 1-5
ドイツ ブンデスリーガII 08/03 13:30 1 ニュルンベルク v エルツゲビルゲ・アウエ L 1-0
欧州親善試合 07/28 16:00 - エルツゲビルゲ・アウエ v バニークモスト L 1-3
ワールドクラブ親善試合 07/23 17:00 - エルツゲビルゲ・アウエ v シュトゥットガルト L 0-1
ワールドクラブ親善試合 07/19 12:00 - ハレシャーFC v エルツゲビルゲ・アウエ W 1-2
ワールドクラブ親善試合 07/08 14:30 - バニークソコロフ v エルツゲビルゲ・アウエ D 2-2
ワールドクラブ親善試合 07/05 13:30 - プラウエン v エルツゲビルゲ・アウエ W 0-2
ワールドクラブ親善試合 06/28 13:00 - VfBアウエルバッハ v エルツゲビルゲ・アウエ W 1-9

FCエルツゲビルゲ・アウエ (FC Erzgebirge Aue) は、ドイツ・ザクセン州・アウエのサッカークラブチーム。旧東ドイツの1部リーグ(DDRオーバーリーガ)ではSCヴィスムート・カール=マルクス=シュタット (SC Wismut Karl-Marx-Stadt) として3度の優勝を果たした名門チームであった。

History

1945年にSGアウエ (SG Aue) として創設。旧東ドイツのクラブチームにはよくあることだが、その後幾度も名称変更がされた。SCヴィスムート・カール=マルクス=シュタット (SC Wismut Karl-Marx-Stadt) と称された時代がクラブの黄金期であり、DDRオーバーリーガで3度の優勝を果たすなど好成績を収めた(1956年、1957年、1959年)。また、カップ戦でも1度の優勝を果たしている。1990年、ドイツ統一の年に2部リーグに降格し、東ドイツのサッカー協会が西ドイツに併合されると、3部リーグ(現在のレギオナルリーガ)から再出発した。チーム名は、1993年に現在のFCエルツゲビルゲ・アウエ (FC Erzgebirge Aue) へと改称された。2002-03のシーズンにレギオナルリーガ(北部)で優勝を果たし、ブンデスリーガ2部に昇格を果たした。2007-08年シーズンには3部に降格したが、2010-11シーズンに2部復帰を果たした。

エルツゲビルゲ・アウエ(ドイツ語: Erzgebirge Aue)は、ドイツ東部ザクセン州エルツゲビルゲ郡アウエ=シュヴァルツェンベルク郡に本拠を置くサッカークラブ。エルツゲビルゲ山地東部の街アウエに拠点を置く。チームカラーは黒と白であり、アウエはアウエ・スタジアムでホームゲームを行っている。

エルツゲビルゲ・アウエは、1945年にSC Wismut Aueとして設立された。Wismutは、ウラン採掘会社の名前であり、それ以前はVfL Aueとして知られていた。クラブは、1949年にDDRオーバーリーガに昇格し、1951年に初優勝を果たした。その後、1952年、1954年、1955年、1956年、1957年、1959年にDDRオーバーリーガで優勝した。また、1955年と1959年にはFDGBポカールでも優勝した。

1990年のドイツ再統一後、エルツゲビルゲ・アウエは、2.ブンデスリーガに所属した。しかし、2003年に3.リーガに降格した。その後、2007年に2.ブンデスリーガに復帰したが、2015年に再び3.リーガに降格した。2022年に再び2.ブンデスリーガに復帰した。

エルツゲビルゲ・アウエは、ドイツ代表の選手を輩出している。最も有名な選手は、1990年のワールドカップで優勝したマティアス・ザマーである。また、オリバー・ビアホフ、アンドレアス・ヘルツォーク、ヨルク・ツィーゲ、ミロスラフ・クフタ、パヴェル・ネドベド、ヤロスラフ・プラシル、ズデネク・グリゲラ、アレシュ・ヤネクなどの選手もエルツゲビルゲ・アウエでプレーしたことがある。