ブラジル セリエA | 05/04 19:00 | 5 | コリンチャンス vs フォルタレザ | - | View | |
コパ・スダメリカーナ | 05/07 22:00 | 4 | クラブナシオナル vs コリンチャンス | - | View | |
ブラジル セリエA | 05/11 19:00 | 6 | CRフラメンゴ vs コリンチャンス | - | View | |
コパ・スダメリカーナ | 05/15 00:30 | 5 | コリンチャンス vs アルヘンティノス・ジュニオルス | - | View | |
ブラジル セリエA | 05/18 19:00 | 7 | コリンチャンス vs ボタフォゴ | - | View | |
コパ・ド・ブラジル | 05/22 21:00 | 9 | コリンチャンス vs アメリカRN | - | View |
コパ・ド・ブラジル | 05/01 23:00 | 9 | アメリカRN v コリンチャンス | W | 1-2 | |
ブラジル セリエA | 04/28 19:00 | 4 | [18] コリンチャンス v フルミネンセ [11] | W | 3-0 | |
コパ・スダメリカーナ | 04/24 00:30 | 3 | [3] アルヘンティノス・ジュニオルス v コリンチャンス [1] | L | 1-0 | |
ブラジル セリエA | 04/20 21:30 | 3 | [4] ブラガンチーノ v コリンチャンス [16] | L | 1-0 | |
ブラジル セリエA | 04/17 23:00 | 2 | [10] ジュベントゥージ v コリンチャンス [12] | L | 2-0 | |
ブラジル セリエA | 04/14 19:00 | 1 | [11] コリンチャンス v アトレチコミネイロ [9] | D | 0-0 | |
コパ・スダメリカーナ | 04/09 22:00 | 2 | [2] コリンチャンス v クラブナシオナル [4] | W | 4-0 | |
コパ・スダメリカーナ | 04/03 00:30 | 1 | [2] ラシン・クラブ・デ・モンテビデオ v コリンチャンス [2] | D | 1-1 | |
アメリカ親善試合 | 03/27 23:00 | - | ロンドリーナ v コリンチャンス | W | 0-3 | |
コパ・ド・ブラジル | 03/14 23:00 | 8 | サンベルナルド v コリンチャンス | W | 0-2 | |
ブラジル カンピオナート・パウリスタ | 03/10 19:00 | 12 | [3] アグア・サンタ v コリンチャンス [4] | D | 0-0 | |
ブラジル カンピオナート・パウリスタ | 03/02 19:00 | 11 | [4] コリンチャンス v サントアンドレ [4] | W | 3-2 |
Total | Home | Away | |
---|---|---|---|
Matches played | 74 | 35 | 39 |
Wins | 28 | 17 | 11 |
Draws | 21 | 12 | 9 |
Losses | 25 | 6 | 19 |
Goals for | 90 | 54 | 36 |
Goals against | 79 | 35 | 44 |
Clean sheets | 24 | 13 | 11 |
Failed to score | 25 | 4 | 21 |
SCコリンチャンス・パウリスタ (ポルトガル語: Sport Club Corinthians Paulista) 、通称コリンチャンス (Corinthians) は、ブラジル・サンパウロ州サンパウロを本拠地とする総合スポーツクラブである。この項ではサッカークラブを中心に記述する。
1910年9月1日、SCコリンチャンス・パウリスタは5人の若い労働者たちによってサンパウロ近郊のボン・レチーロで設立された。クラブ名は1910年の設立当時に、ブラジル遠征で圧倒的な強さを誇っていたイングランドのサッカークラブ、「コリンシアンズFC」に由来する。当初のチームカラーはクリーム色だったが、後に入手が容易な白に変わったという。なお、「コリンチャンス」は「コリント人」という意味で、ニックネームのチモンは「偉大なチーム」の意。
初期のマークは「C」と「P」の組み合わせであった。1919年より代わりにサンパウロ州旗をモチーフに使用するようになり、1939年以降は赤い錨・櫂(オール)と組み合わさって出来た。
1990年代にはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(1990・1998・1999年)とブラジルカップ(1995年)で4度の国内タイトルを獲得。2000年にヴァスコ・ダ・ガマをPK戦で下してFIFA世界クラブ選手権の初代王者となった。2004年にイラン人オーナーのキア・ジョーラブチアン率いる投資ファンド MSI (Media Sports Investment) と資本提携を結び、ヨーロッパのビッグクラブに匹敵する資金力を誇るクラブとなり、2005年に4回目のブラジル全国選手権優勝を手にした。しかし、MSIと経営陣との間では対立が続き、オーナーのキアの逮捕、及び投資に問題があるなど警察沙汰になり2007年に関係は解消された。そのため獲得していた殆どのレギュラー選手が売られ、補欠・ジュニアチームで挑んだ2007年のセリエAでは17位と低迷し、クラブの歴史上初めてのセリエB降格が決定した。2008年にはコパ・ド・ブラジルで決勝進出を果たし、セリエBでも優勝を果たして1年でセリエAへの復帰を決めた。2009年には元ブラジル代表のロナウドを獲得して話題を集め、カンピオナート・パウリスタ、コパ・ド・ブラジルの2冠を達成。2012年にコパ・リベルタドーレスのタイトルを獲得し、同年のFIFAクラブワールドカップ2012では決勝でチェルシーFCを1-0で下して2回目の世界王者となった。
2022年には前項のFIFAワールドカップ2012の世界王者から10周年を記念した、日本語のユニフォームを作成した。シャツには 『Aqui é Corinthians.』を日本語に訳した「これがコリンチャンスです。」を縦書きで書き連ね、各選手の背ネームをカタカナで表示した。