キプロス ディビジョン1 | 05/07 16:00 | 13 | エスニコス・アフナス vs AELリマソール | - | View | |
キプロス ディビジョン1 | 05/10 16:00 | 14 | AELリマソール vs APKカルミオティッサ | - | View |
キプロス ディビジョン1 | 04/29 16:30 | 12 | [6] ドクサ・カトコピアス v AELリマソール [2] | D | 2-2 | |
キプロス ディビジョン1 | 04/24 16:00 | 11 | [2] AELリマソール v ネア・サラミス・ファマグスタ [4] | W | 5-4 | |
キプロス ディビジョン1 | 04/20 16:30 | 10 | [1] アポロンリマソール v AELリマソール [2] | L | 4-1 | |
キプロス ディビジョン1 | 04/12 16:00 | 9 | [3] AELリマソール v オセロズアティエヌ [7] | W | 3-2 | |
キプロス ディビジョン1 | 04/08 16:00 | 8 | [8] AEザカキオ v AELリマソール [4] | W | 1-5 | |
キプロス ディビジョン1 | 04/03 16:00 | 7 | [5] カルミオティッサ v AELリマソール [2] | D | 0-0 | |
キプロス ディビジョン1 | 03/30 17:00 | 6 | [2] AELリマソール v エトニコスアカナス [3] | D | 1-1 | |
キプロス ディビジョン1 | 03/15 17:00 | 5 | [9] AELリマソール v ドクサ・カトコピアス [14] | D | 0-0 | |
キプロス ディビジョン1 | 03/11 17:30 | 4 | [8] ネア・サラミス・ファマグスタ v AELリマソール [9] | D | 1-1 | |
キプロス ディビジョン1 | 03/08 17:00 | 3 | [9] AELリマソール v アポロンリマソール [7] | W | 2-1 | |
キプロス ディビジョン1 | 03/02 17:00 | 2 | [13] オセロズアティエヌ v AELリマソール [9] | D | 1-1 | |
キプロス ディビジョン1 | 02/24 16:00 | 1 | [9] AELリマソール v AEザカキオ [12] | W | 2-1 |
Total | Home | Away | |
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Matches played | 46 | 21 | 25 |
Wins | 15 | 10 | 5 |
Draws | 11 | 6 | 5 |
Losses | 20 | 5 | 15 |
Goals for | 63 | 37 | 26 |
Goals against | 75 | 33 | 42 |
Clean sheets | 7 | 4 | 3 |
Failed to score | 14 | 3 | 11 |
AELリマソール(希: Αθλητική Ένωση Λεμεσού , ラテン文字転写: Athlitiki Enosi Lemesou)は、キプロス・リマソールに本拠地を置く総合スポーツクラブである。本項ではサッカーチームを中心に記述するが、バスケットボールチーム(男女)、バレーボールチーム(女子)、フットサルチーム、ハンドボールチーム(女子)、クリケットチームも抱えている。男子バスケットボールチームは、ヨーロッパ王者になった経験があるキプロスで唯一のクラブである。全競技を通じて240もの公式タイトルを獲得しており、キプロスで最も成功を収めた総合スポーツクラブとされている。サッカーチームはACオモニア、APOELニコシアに次いでキプロスで3番目に人気のあるチームとされている。
AELは1930年10月4日に設立され、初代会長にはStavros Pittasが投票で選出された。サッカーチームの初試合は1931年1月6日のPSC戦であり、6-1で勝利した。1934年に初の全国選手権優勝を飾ったが、これは非公式タイトルとされている。1934-35シーズン、初の公式な全国選手権であるキプロス・ファーストディビジョンが初開催されると、AELは8クラブの創設メンバーのひとつとなった。1940-41シーズンには、優勝プレーオフでAPOELニコシアを2試合合計4-3で破り、リーグ戦初優勝を飾った。その後は12年間優勝から遠ざかったが、1952-53シーズンに2度目の優勝を飾った。1988-89シーズンのキプロス・カップでは、決勝でアリス・リマソールFCを延長の末に3-2で破り、6度目の優勝を飾った。それ以降は20年以上もトロフィーに見放され、2012年まで主要タイトルを獲得できなかった。
2010-11シーズンは期待を裏切る7位に終わり、2011年3月にはパンボス・クリストボウロウ監督が就任。2011-12シーズンはファーストラウンド(26試合制、14クラブによる総当たり)開幕戦から5戦無敗・無失点と好スタートを切ると、最終的に勝ち点60を獲得し、2位のACオモニアに勝ち点3差で首位となった。7失点はリーグ最少だった。順位を決定するセカンドラウンド(6試合制、ファーストラウンド上位4クラブによる総当たり)では2勝2分2敗だったが、ACオモニアやAPOELニコシアとの勝ち点差を守り切り、1967-68シーズン以来(44年ぶり)となるリーグ優勝を飾った。ジョゼ・モウリーニョ監督の名前をもじって、クリストボウロウ監督はファンから「パンボウリーニョ」というニックネームを授かった。同シーズンはキプロス・カップ決勝でも決勝に進出し、クラブ史上初のダブル(2冠)達成のチャンスだったが、ACオモニアとの決勝ではブラジル人ストライカーのアンドレ・アウヴェスに決勝点を決められ、0-1で敗れて準優勝に終わった。