スペイン セグンダ | 05/05 16:30 | 38 | レアルサラゴサ vs ブルゴス | - | View | |
スペイン セグンダ | 05/12 14:15 | 39 | オビエド vs レアルサラゴサ | - | View | |
スペイン セグンダ | 05/19 19:00 | 40 | レアルサラゴサ vs ラシンフェロル | - | View | |
スペイン セグンダ | 05/26 19:00 | 41 | ラシン・サンタンデール vs レアルサラゴサ | - | View | |
スペイン セグンダ | 06/02 19:00 | 42 | レアルサラゴサ vs アルバセテ | - | View |
スペイン セグンダ | 04/27 14:15 | 37 | [1] レガネス v レアルサラゴサ [13] | D | 1-1 | |
スペイン セグンダ | 04/20 19:00 | 36 | [13] ウエスカ v レアルサラゴサ [14] | W | 1-2 | |
スペイン セグンダ | 04/14 16:30 | 35 | [15] レアルサラゴサ v エルチェ [8] | D | 1-1 | |
スペイン セグンダ | 04/06 16:30 | 34 | [11] レバンテ v レアルサラゴサ [15] | L | 2-1 | |
スペイン セグンダ | 03/31 14:15 | 33 | [16] レアルサラゴサ v テネリフェ [12] | W | 3-1 | |
スペイン セグンダ | 03/24 17:30 | 32 | [17] ミランデス v レアルサラゴサ [16] | D | 0-0 | |
スペイン セグンダ | 03/17 17:30 | 31 | [15] レアルサラゴサ v エスパニョール [4] | L | 0-1 | |
スペイン セグンダ | 03/09 17:30 | 30 | [6] バリャドリード v レアルサラゴサ [14] | L | 2-0 | |
スペイン セグンダ | 03/03 17:30 | 29 | [13] レアルサラゴサ v アモレビエタ [22] | L | 0-1 | |
スペイン セグンダ | 02/24 17:30 | 28 | [19] ビジャレアルB v レアルサラゴサ [12] | D | 0-0 | |
スペイン セグンダ | 02/16 19:30 | 27 | [12] レアルサラゴサ v FCカルタヘナ [17] | L | 1-2 | |
スペイン セグンダ | 02/11 17:30 | 26 | [2] エイバル v レアルサラゴサ [11] | L | 1-0 |
Total | Home | Away | |
---|---|---|---|
Matches played | 49 | 25 | 24 |
Wins | 16 | 11 | 5 |
Draws | 14 | 5 | 9 |
Losses | 19 | 9 | 10 |
Goals for | 51 | 32 | 19 |
Goals against | 48 | 23 | 25 |
Clean sheets | 15 | 10 | 5 |
Failed to score | 16 | 6 | 10 |
レアル・サラゴサ(Real Zaragoza, S.A.D. (スペイン語発音: [reˈal θaɾaˈɣoθa]))は、スペイン・アラゴン州サラゴサに本拠地を置くサッカークラブチーム。2022-23シーズンはセグンダ・ディビシオンに所属している。
1932年3月18日に設立され、それ以来ほとんどの期間をプリメーラ・ディビシオン(1部)で過ごしている。ラ・リーガ創設以来の勝ち点を合計したラ・リーガ通算順位表では9位に位置する。プリメーラ・ディビシオンでの優勝経験はないが、コパ・デル・レイでは6度(6位)の優勝回数を誇る。欧州カップ戦ではインターシティーズ・フェアーズカップ(UEFAカップの前身)、UEFAカップウィナーズカップで1度ずつ優勝している。伝統的にホームゲームでは白いシャツとソックス、藤紫色のパンツを着用し、アウェーゲームでは黒色と黄色のユニフォームを着用する。ホームスタジアムはエスタディオ・デ・ラ・ロマレーダであり、34,596人を収容する。
サラゴサ市にはイベリアSCとレアル・サラゴサCDという2つのクラブが存在していた。激しいライバル関係にあった両クラブは1932年に財政難に陥り、「マリア様の奇跡」と呼ばれる合併をして新しいチーム、サラゴサが設立された。リーガ・エスパニョーラに参戦していたが、スペイン内戦によって発展を妨げられた。1951年にチーム名をレアル・サラゴサに変更した。1957年9月8日、最初のスタジアムであるトーレロを離れ、現在のスタジアムであるエスタディオ・デ・ラ・ロマレーダに移った。
1960-61シーズンを始まりとして、レアル・サラゴサは黄金時代に足を踏み入れた。当時のスペインで最も優秀な選手たちの数々がプレーし、ロス・マグニフィコス(Los Magníficos、偉大なチーム)と呼ばれる彼らはいくつものタイトルを獲得した。リーグ優勝こそできなかったが、1960-61シーズンから1968-69シーズンまでの8シーズンは3位、4位、5位、4位、3位、4位、5位、5位とすべて5位以内に入った。1961-62シーズンにはフアン・セミナリオが30試合で25得点を挙げ、ピチーチ賞(得点王)のタイトルを獲得した。
1963-64シーズンにはコパ・デル・レイで初優勝し、同シーズンにはインターシティーズ・フェアーズカップ(UEFAカップの前身)でも優勝した。攻撃陣にはカナリオ、エレウテリオ・サントス、マルセリーノ・マルティネス、フアン・マヌエル・ビジャ、カルロス・ラペトラなどがおり、守備陣にはセベリーノ・レイハやホセ・ルイス・ビオレタなどの名選手がいた。コパ・デル・レイでは1962-63シーズンから4シーズン連続で決勝に進出し、1965-66シーズンには2度目の優勝を飾ったが、次のタイトルは1980年代半ばまで持ち越された。
1970年代からの30年間は浮き沈みの激しい時期であった。1970年代初頭には再びリーグ優勝に近付き、1973-74シーズンには3位、1974-75シーズンには2位となったが、最終節に敗れてレアル・マドリードにタイトルを明け渡している。1977-78シーズンにはセグンダ・ディビシオンのプレーも経験したが、1985-86シーズンには3度目のコパ・デル・レイ優勝を果たした。1990-91シーズンは良くないシーズンであり、昇降格プレーオフ圏内でシーズンを終えたが、レアル・ムルシアとのプレーオフはファーストレグが0-0、セカンドレグが5-2となり、プリメーラ・ディビシオン残留を果たした。1992-93シーズンはコパ・デル・レイで準優勝し、1993-94シーズンには4度目の優勝を飾った。
1994-95シーズンのUEFAカップウィナーズカップではフェイエノールトやチェルシーFCなどヨーロッパの強豪を撃破し、パリのパルク・デ・プランスで行われた決勝ではアーセナルFCと対戦した。90分を終えて1-1と決着がつかず、延長戦にもつれ込んだが、ハーフウェイラインをわずかに過ぎた場所からナジムが撃ったハーフボレーシュートがデヴィッド・シーマンを超えてネットに突き刺さり、延長終了間際にレアル・サラゴサが優勝を決めた。
2000-01シーズンにはコパ・デル・レイ決勝でセルタ・デ・ビーゴを3-1で破って5度目の優勝を果たした。2001-02シーズンには最下位でセグンダ・ディビシオンに降格したが、1シーズンでプリメーラ・ディビシオンに再昇格を果たした。
2006年5月後半、アガピト・イグレシアスはアルフォンソ・ソランから会長の座を受け継ぎ、スペインやヨーロッパでもっとも強いチームのひとつを作り上げることを約束した。2006年夏には中盤の補強として移籍金1100万ユーロでパブロ・アイマールを獲得した。2006-07シーズンは攻撃サッカーの信奉者であるビクトル・フェルナンデス監督の下、アイマール、アンドレス・ダレッサンドロ、アルベルト・サパテル、エベルトンなどの攻撃陣がアウェーゲームでも攻撃的なサッカーを展開し、ディエゴ・ミリートはヨーロッパ・ゴールデンシュー3位となる23得点を挙げた。6位という成績でUEFAカップ出場権を獲得した。
2006-07シーズンからほとんど選手の変更はなかったにもかかわらず、2007-08シーズンはクラブの歴史でもっとも失望の残るシーズンとなった。UEFAカップでは1回戦で敗退し、ダレッサンドロの造反などもあって、2008年を迎える頃にはリーグ戦でも順位を下げた。2008年1月、求心力が低下したビクトル・フェルナンデス監督は解任され、アンデル・ガリターノ、ハビエル・イルレタ、マノロ・ビジャノバと、1シーズンに3度も監督が代わる混乱ぶりであった。最終節を迎えるまでにアウェーゲームで勝ち点8を獲得したのみで、最終節のRCDマジョルカ戦は勝利が必須だったが、リカルド・オリヴェイラの2得点もおよばず2-3で敗れ、18位でセグンダ・ディビシオン降格となった。
2008年夏には智将マルセリーノ監督を招聘し、チーム編成などに大きな権限を与えたが、アイマール、ペテル・リュクサン、マツザレム、セルヒオ・ガルシア、D・ミリート、セサル・サンチェスなど攻守に多くの選手がチームを去った。2008-09シーズン開幕から数試合は成績が芳しくなかったが、しり上がりに調子を上げ、後半戦には16戦無敗という記録を作った。ラーヨ・バジェカーノとの最終節を残し、1シーズンでのプリメーラ・ディビシオン復帰を果たした。
2011-12シーズンは開幕から不調が続き、シーズンの半分近くを最下位で過ごした。一時は降格候補筆頭と見られていたが、残り12試合で8勝1分3敗、勝ち点25を積み上げ、最終的には勝ち点43の16位として残留を果たした。
2011年6月8日、倒産法に基づく法的整理を申請した。2012年6月、アガピトは会長を退任。更に2012-13シーズンは、プリメーラ最下位に終わり、セグンダに降格。以降は下部リーグでの闘いを強いられている。
2019年8月、日本代表・香川真司を獲得したことが話題となった。