イタリア セリエC - グループA | 04/28 14:30 | 38 | [20] アレッサンドリア v ヴィチェンツァ [3] | W | 1-2 | |
イタリア セリエC - グループA | 04/20 16:30 | 37 | [3] ヴィチェンツァ v トレント [8] | W | 2-0 | |
イタリア セリエC - グループA | 04/14 16:30 | 36 | [1] マントヴァFC v ヴィチェンツァ [4] | W | 1-2 | |
イタリア セリエC - グループA | 04/10 16:00 | 34 | [19] プロセスト v ヴィチェンツァ [3] | D | 1-1 | |
イタリア セリエC - グループA | 04/07 16:30 | 35 | [4] ヴィチェンツァ v ノバラ [18] | W | 2-1 | |
イタリア セリエC - グループA | 03/30 19:45 | 34 | [19] プロセスト v ヴィチェンツァ [4] | L | Abandoned | |
イタリア セリエC - グループA | 03/23 16:30 | 33 | [3] ヴィチェンツァ v レグナゴサルス [5] | D | 1-1 | |
イタリア セリエC - グループA | 03/19 18:30 | 29 | [3] ヴィチェンツァ v USフィオレンツオーラ [18] | D | 1-1 | |
イタリア セリエC - グループA | 03/16 17:30 | 32 | [8] プロパトリア v ヴィチェンツァ [3] | W | 0-1 | |
イタリア セリエC - グループA | 03/10 19:45 | 31 | [3] ヴィチェンツァ v アルツィニャーノ・ヴァルキアンポ [15] | W | 1-0 | |
イタリア セリエC - グループA | 03/06 19:45 | 30 | [2] パドヴァ v ヴィチェンツァ [4] | D | 1-1 | |
イタリア セリエC - グループA | 03/03 17:30 | 29 | ヴィチェンツァ v USフィオレンツオーラ | - | PPT. |
Total | Home | Away | |
---|---|---|---|
Matches played | 49 | 27 | 22 |
Wins | 23 | 15 | 8 |
Draws | 16 | 9 | 7 |
Losses | 10 | 3 | 7 |
Goals for | 65 | 38 | 27 |
Goals against | 38 | 14 | 24 |
Clean sheets | 23 | 16 | 7 |
Failed to score | 11 | 6 | 5 |
LRヴィチェンツァ(L.R. Vicenza)は、イタリア・ヴィチェンツァを本拠地とするサッカークラブ。2022-23シーズンはセリエCに参加している。
1902年創設。1910-11シーズンにイタリア選手権に初めて参加し、決勝に進んだが、当時のイタリアで最高のチームのひとつであったプロ・ヴェルチェッリに敗れた。1920年代から1930年代は下位ディビジョンに所属し、1942-43シーズンに初めてセリエAに昇格した。同シーズンは最終節にトリノでユヴェントスを6-2で破り、それによって降格を免れた。
1946-47シーズンにはセリエAで5位となったが、その翌シーズンは21チーム中20位に沈み、セリエBに降格した。1950年代前半には財政難に直面したが、1953年にスキーオの羊毛会社ラネロッシにクラブが買収され、ラネロッシ・ヴィチェンツァ (Lanerossi Vicenza) に改名された。
1955年から1975年にかけてヴィチェンツァは一度もセリエAから落ちることなく、より名高いクラブを相手に悪戦苦闘を続けた。この時代のヴィチェンツァには、“気高きプロヴィンチャーレ” (Nobile Provinciale) というニックネームが付けられた。1963-64シーズンと1965-66シーズンに6位となり、1965-66シーズンはブラジル人FWのルイス・ヴィニシオが25ゴールで得点王に輝いた。
1975年にセリエBに降格したが、1976-77シーズンに優勝すると、翌1977-78シーズンのセリエAでは24ゴールを挙げて得点王となった若きパオロ・ロッシを擁して2位となった。このシーズンのチームにはレアル・ヴィチェンツァ (Real Vicenza) というニックネームが付けられた。ユヴェントスからロッシを完全移籍させるために、クラブの会長ジュゼッペ・ファリーナは、当時の最高移籍金額となる2600万リラを支払ったが、1979年にセリエB降格、さらに1981年にはセリエC1に降格した。
1980年代中盤、ロベルト・バッジョはこのクラブで自身のキャリアをスタートさせた。1985-86シーズン、セリエBで3位となってセリエA昇格を決めたが、第2次トトネロ(闇サッカー賭博)スキャンダルに関与したことへの処分として昇格が取り消された1986-87シーズンには、セリエC1降格が決まった。。
1990年にヴィチェンツァ・カルチョ (Vicenza Calcio) に改名された。1993年にセリエBに昇格、1995年にセリエAに昇格した。1995-96シーズンのリーグで9位、1997年のコッパ・イタリアではSSCナポリを合計スコア3-1で降して優勝した。コッパ・イタリア優勝により出場権を獲得した1997-98シーズンのカップウィナーズカップでは、準決勝でイングランドのチェルシーに敗れた。
1999年にセリエBに降格、2001年にセリエAに復帰した。2004-05シーズン、負ければセリエC1への降格が決まるセリエBの降格プレーオフにおいてトリエスティーナに敗れたが、イタリアサッカー連盟 (FIGC) がジェノアとペルージャを降格させたためセリエBに再登録された。
2018年1月18日、裁判により破産が決定した。前年の9月から給与の支払いが滞り1月に入ってからは選手からストライキを起こされていた。一時は4部降格の危機もあったが、プレーアウトの機会が認められ勝利し残留。クラブは新たなオーナーに移譲され、バッサーノ・ヴィルトゥス55STと合併しLRヴィチェンツァ・ヴィルトゥスという名称になった。
2021年、クラブからヴィルトゥスという名前が消えLRヴィチェンツァというクラブ名になった 。