スペイン リーガ・ウィメン | 04/20 17:00 | 30 | [3] サラゴサ女子 v バルセロナ女子 [12] | L | 80-56 | |
スペイン リーガ・ウィメン | 04/14 10:45 | 29 | [15] バルセロナ女子 v ジローナ女子 [4] | W | 72-70 | |
スペイン リーガ・ウィメン | 04/06 17:00 | 28 | [10] フェロル女子 v バルセロナ女子 [13] | L | 78-69 | |
スペイン リーガ・ウィメン | 03/31 16:00 | 27 | [2] バレンシア女子 v バルセロナ女子 [12] | L | 69-51 | |
スペイン リーガ・ウィメン | 03/28 20:00 | 26 | [12] バルセロナ女子 v ゲルニカ・ビスカイア女子 [10] | W | 79-72 | |
スペイン リーガ・ウィメン | 03/16 17:00 | 25 | [1] ペルフメリアス・アベニダ女子 v バルセロナ女子 [12] | L | 67-52 | |
スペイン リーガ・ウィメン | 03/10 16:30 | 24 | [14] バルセロナ女子 v エストゥディアンテス女子 [9] | L | 55-70 | |
スペイン リーガ・ウィメン | 03/03 16:30 | 23 | [14] バルセロナ女子 v グラン・カナリア・ウィメン [15] | L | 45-75 | |
スペイン リーガ・ウィメン | 02/24 18:00 | 22 | [11] アラスキウィメン v バルセロナ女子 [12] | W | 67-69 | |
スペイン リーガ・ウィメン | 02/18 11:30 | 21 | [14] バルセロナ女子 v エンシノ・ルゴ・ウィメン [9] | W | 66-50 | |
スペイン リーガ・ウィメン | 02/02 20:00 | 20 | [14] バルセロナ女子 v ベンビブレウィメン [16] | W | 58-39 | |
スペイン リーガ・ウィメン | 01/27 20:00 | 19 | [10] カディ・ラ・セウ女子 v バルセロナ女子 [14] | W | 62-71 |
FCバルセロナ(スペイン語: FC Barcelona Bàsquet, 英語: FC Barcelona Basketball)は、スペインのバスケットボールチームである。2015年よりスポンサー名を冠して、FCバルセロナ・ラッサ(FC Barcelona Lassa)として知られる。
FCバルセロナは1927年に初めてカタルーニャ地方バスケットボール選手権(Campionat de Catalunya de Basquetbol)に参加した。チーム設立当初のカタルーニャでは、CEエウロパ、ライエタBC(Laietà BC)、CBアトレティック・グラシア(CB Atlètic Gràcia)、 ソシエテ・パトリ(Société Patrie)などが強豪チームで、FCバルセロナがバスケットボール・チームとして認められるのは1940年代に入ってからである。
1940年代に同チームはコパ・デル・ヘネラリシモ(Copa del Generalísimo、コパ・デル・レイのフランコ政権時代の呼称)を6度勝ち取り、準優勝も1度経験している。1956年にはスペインのプロ・バスケット・リーグの創立参加チームとなり、準優勝でシーズンを終えている。1959年にはスペインリーグとカップの両方で優勝した初めてのチームとなった。
しかし1960年代から1970年代にかけて、チームは衰退の途をたどる。人気があったにもかかわらず、1961年にクラブ代表のエンリク・リャウデット(Enric Llaudet)がチームを解散させた。しかし1962年にファンの運動によって再結成された。1964年には1部リーグが14チームから8チームに減らされ、FCバルセロナは2部に落ちた。しかし翌1965年に同チームは2部で優勝する。1970年代にはレアル・マドリードやホベントゥートなどの強力ライバルチームの影に常に隠れていた。
1980年代のクラブ代表であったホセ・ルイス・ヌニェスは、FCバルセロナをスペインそしてヨーロッパで最高のチームにするために全力的に支援した。彼の支援、コーチのアイト・ガルシア・レネセス(en:Aíto García Reneses)、そしてエピ(en:Juan Antonio San Epifanio)、アンドレス・ヒメネス(es:Andrés Jiménez)、チチョ・シビリオ(es:Chicho Sibilio)、オーディー・ノリス(en:Audie Norris)、イグナシオ・ソロサバル(es:Ignacio Solozábal)といったプレーヤーの活躍で、FCバルセロナはカタルーニャ地方リーグ6回、スペイン・リーグ6回、コパ・デル・レイ5回、ヨーロッパカップウィナーズ杯(European Cup Winners' Cup。現在のサポルタ・カップen:Saporta Cup)2回、コラック・カップ(en:Korać Cup 国際バスケットボール連盟主催。2002年に廃止)1回、インターコンチネンタル杯(en: Intercontinental Cup (basketball))に1回という輝かしい優勝歴を残している。ヨーロッパ最高峰のユーロリーグでの優勝は叶わなかったが、1984年に準優勝している。
1980年代を基盤に1990年代にもスペインリーグで4回、コパ・デル・レイでも2回優勝している。しかしユーロリーグだけは6回もの準決勝進出回数の最高記録を持っているが、1990年、1991年、1996年、1997年とも準優勝や準決勝戦どまりであった。この時期のスタープレーヤーは1970年代後半から活躍中のエピ(フアン・アントニオ・サン・エピファニオ)である。
2003年、フアン・カルロス・ナバーロ、デヤン・ボディロガ (en:Dejan Bodiroga)、シャルーナス・ジャシケビシウス(en:Šarūnas Jasikevičius)の活躍により、満場のバルセロナ・パラウ・サン・ジョルディ競技場でイタリア・パッラカネストロ・トレヴィーゾを76対65で破り、ついに初のユーロリーグ優勝を収めた。