南アフリカ 女子リーグ | 05/04 15:30 | - | JVW FC女子 vs マメロディ・サンダウンズ女子 | - | View |
南アフリカ 女子リーグ | 05/01 09:30 | - | マメロディ・サンダウンズ女子 v シティ・ラッズFC女子 | W | 7-1 | |
南アフリカ 女子リーグ | 04/27 13:00 | - | マメロディ・サンダウンズ女子 v サンダーバーズ女子 | W | 5-1 | |
南アフリカ 女子リーグ | 04/14 09:30 | - | マメロディ・サンダウンズ女子 v リンデラーニFCウィメン | W | 7-0 | |
南アフリカ 女子リーグ | 03/24 13:00 | - | マメロディ・サンダウンズ女子 v ダーバンFC女子 | W | 5-1 | |
南アフリカ 女子リーグ | 03/16 13:00 | - | マメロディ・サンダウンズ女子 v ヨハネスブルグ大学女子 | W | 2-0 | |
南アフリカ 女子リーグ | 03/09 11:00 | - | TSギャラクシー女子 v マメロディ・サンダウンズ女子 | W | 3-5 | |
南アフリカ 女子リーグ | 03/03 13:00 | - | マメロディ・サンダウンズ女子 v ロイヤルAM FC女子 | W | 4-0 | |
南アフリカ 女子リーグ | 12/07 13:00 | - | プレトリア大学女子 v マメロディ・サンダウンズ女子 | - | PPT. | |
南アフリカ 女子リーグ | 12/06 12:00 | - | マメロディ・サンダウンズ女子 v TSギャラクシー女子 | W | 1-0 | |
南アフリカ 女子リーグ | 11/26 13:00 | - | マメロディ・サンダウンズ女子 v サンダーバーズ女子 | W | 7-0 | |
南アフリカ 女子リーグ | 11/23 13:00 | - | マメロディ・サンダウンズ女子 v TUT FC女子 | W | 1-0 | |
CAF女子チャンピオンズリーグ | 11/19 17:00 | 1 | [1] マメロディ・サンダウンズ女子 v SCカサブランカ・ウィメン [2] | W | 3-0 |
Total | Home | Away | |
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Matches played | 25 | 18 | 7 |
Wins | 24 | 18 | 6 |
Draws | 1 | 0 | 1 |
Losses | 0 | 0 | 0 |
Goals for | 95 | 76 | 19 |
Goals against | 10 | 5 | 5 |
Clean sheets | 17 | 13 | 4 |
Failed to score | 0 | 0 | 0 |
マメロディ・サンダウンズFC(Mamelodi Sundowns Football Club)は、南アフリカ共和国・プレトリアを本拠地とするサッカークラブ。
1996年にプレミアサッカーリーグが設立されて以来、同リーグを7回制覇している強豪である。愛称としてThe Braziliansが挙げられるが、これはクラブのユニフォームがブラジル代表のそれと似ている事からつけられている。
プレトリアのマラバスタッドで1960年代初頭に若者達によって設立された。その後1970年に公式なサッカークラブになった。
1973年に連邦プロサッカーリーグに加盟、同年にはコカコーラカップで決勝に進出する快挙を達成したものの、ベレア・ユナイテッドFCに5-3で敗れた。
1978年に同リーグが縮小され2部が設立されると、2部落ちした。昇格を狙う戦いは5年間に及び、その間にフロント側がクラブの解散を決定した事もあったが、するとその代替として新たにクラブが設立されたため、実質的にクラブは引き継がれた。
1984年に南アフリカ共和国では初めて人種に依らないサッカーリーグであるナショナルサッカーリーグが設立され、翌1985年に昇格しこれに参加した。しかしゾラ・マホベ所有の下迎えた初シーズンは厳しい結果となった。
1988年にはクラブの所有権がスタンダード銀行へと渡るが、その後ゾラ・マホベが所有権を取り返した。クラブは清算の危機を迎えるが、サッカー一家であったがTsichlas家が銀行を説得し、この危機を脱した。その後同家は企業を設立、株式全てを買い取り躍進を遂げた。この時に初めてのタイトルを獲得している。
1990年代に入ると黄金期に入り、多くのトロフィーを獲得した。1996年にナショナルプレミアリーグが設立されると、1998年から2000年にかけてリーグも3連覇した。
CAFチャンピオンズリーグ2001では決勝にまで進んだものの、アル・アハリに合計4-1とされ敗北した。
2004年にはクラブの発展に大きく寄与したTsichlas家からパトリック・モトセペが51%の株を取得、後に残りの49%も取得した。新たなオーナーの下でもクラブは強く、2006年5月にはミヘル・アンヘル・ガムンディ、ネイル・トビー監督の下リーグを制し、7回目のリーグ制覇となった。
2006-07シーズンは低調な出だしとなったが、ゴードン・イゲスンドを監督に据えるとリーグを連覇した。ネドバンク・カップも決勝に進出し、ダブルでのタイトル獲得も期待されていたが、アヤックス・ケープタウンFCに敗れた。
2009-10シーズンも前半は低調であったが、監督がテッド・ドゥミトルからフリスト・ストイチコフに代わると後半で巻き返し最終的に二位につけた。
翌2010-11シーズンではストイチコフ体制でアシスタントコーチを務めていたアントニオ・ロペス・ハバスが監督に昇格すると、前半を首位で折り返した。しかし後半に失速し最後2戦で優勝を逃すと辞任。アシスタントコーチであったイアン・ゴロワが代理として監督に昇格した。その後、ヨハン・ニースケンスが監督に就任した。
2012年3月4日にはネドバンク・カップのパワーラインズFC戦で24-0の勝利を収めて同国史上初めてのサッカー記録を打ち出した。
2016年にはFIFAクラブワールドカップに出場し、12月11日に吹田サッカースタジアムで鹿島アントラーズと対戦したが0-2で敗れ、12月14日に5位決定戦に回るもアジア王者である全北現代モータースにも1-4で敗れ、一勝も挙げることができずに日本を去った。