結果

NFL 01/15 01:15 205 [6] LAラムズ v DETライオンズ [3] L 23-24
NFL 01/07 21:25 18 [12] LAラムズ v SFフォーティナイナーズ [2] W 21-20
NFL 12/31 18:00 17 [13] LAラムズ v NYジャイアンツ [28] W 26-25
NFL 12/22 01:15 16 [20] NOセインツ v LAラムズ [16] W 22-30
NFL 12/17 21:05 15 [29] WASコマンダーズ v LAラムズ [18] W 20-28
NFL 12/10 18:00 14 [16] LAラムズ v BALレイブンズ [3] L 31-37
NFL 12/03 21:25 13 [9] CLEブラウンズ v LAラムズ [19] W 19-36
NFL 11/26 21:05 12 [23] LAラムズ v ARZカージナルス [30] W 37-14
NFL 11/19 21:25 11 [10] SEAシーホークス v LAラムズ [26] W 16-17
NFL 11/05 18:00 9 [24] LAラムズ v GBパッカーズ [27] L 3-20
NFL 10/29 17:00 8 [18] LAラムズ v DALカウボーイズ [10] L 20-43
NFL 10/22 20:05 7 [6] PITスティーラーズ v LAラムズ [7] L 24-17

ロサンゼルス・ラムズ(英語: Los Angeles Rams、略称: LAR)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス都市圏のイングルウッドに本拠地をおくNFLチーム。NFC西地区に所属している。ホームスタジアムはSoFiスタジアムで、ロサンゼルス・チャージャーズと共用している。本部と練習場は、カリフォルニア州のアゴウラヒルズに位置している。

History

クリーブランド・ラムズ

QBのボブ・ウォーターフィールド

1936年にクリーブランドでチームが創立された時に、当時のゼネラルマネージャーがかつて存在していたフットボールチーム「フォーダム・ラムズ」のファンであったことから、チーム名を「ラムズ」にすることを当時のオーナー、ホーマー・マーシュマンに提案、同意がなされてチーム名は決まった。チームは1936年に創設されたアメリカン・フットボール・リーグ(通称「AFLII」)に参加し、5勝2敗2分でボストン・シャムロックスに次いで2位となった。1937年チームは1934年にNFLから脱退したセントルイス・ガンナーズの代わりにNFLに加入した。NFL加入当初は負け越しシーズンが続いた。1941年チームはダン・リーブス、フレッド・リービーに購入された。1943年6月にリーブスはリービーにチームの所有権を売却した(後にオーナーとして戻った)。第二次世界大戦の影響で選手が不足した1943年にチームはリーグ戦参加を辞退した(この年ピッツバーグ・スティーラーズ、フィラデルフィア・イーグルスは合同チームを作った。)。1944年からリーグに復帰、クリーブランドでの最後のシーズンとなった1945年にUCLAから加入した新人QBのボブ・ウォーターフィールドがリーグの最優秀選手に選ばれる活躍を見せて9勝1敗でシーズンを終了、ワシントン・レッドスキンズとのNFLチャンピオンシップゲームを15-14で勝利し初優勝を果たした。この試合でレッドスキンズのサミー・ボーのパスがゴールポストにあたりエンドゾーンにはねかえるプレーがあり、翌シーズンからこの場合はパス不成功とするルール変更が行われた。

ロサンゼルス移転

1946年からロサンゼルス・メモリアル・コロシアムに本拠地を移し、ロサンゼルス・ラムズと改称した。この年チームはNFLチーム中第二次世界大戦後、最初にケニー・ワシントン(英語版)、ウディ・ストロードの2人のアフリカ系アメリカ人選手と契約した。この年6勝4敗1分でシカゴ・ベアーズに次いでウェスタン・カンファレンス2位で終えた。シーズン終了後にアダム・ウォルシュヘッドコーチは解任された。

1948年にNFLチームとして初めてヘルメットにロゴを入れた。

1949年から1955年までの7年間で4回NFLチャンピオンシップゲームに出場を果たし1951年に優勝した。当時チームはボブ・ウォーターフィールド、ノーム・バン・ブロックリン、エルロイ・ハーシュ、トム・フィアーズらによるオフェンスはリーグベストの攻撃を見せた。優勝した1951年にハーシュはレシーブで1495ヤード、17タッチダウンをあげた(当時は1シーズン12試合)。

その後1956年から1965年までは1958年を除き勝ち越しなしの時代が続いた。1960年代チームのディフェンスにはロジー・グリア、マーリン・オルセン、ディーコン・ジョーンズ、ラマー・ランディの4人によるフィアーサム・フォーサム」(恐ろしい4人組)と呼ばれたディフェンスラインの活躍などで1960年代終わりからNFC西地区の強豪となった。1967年、ジョージ・アレンの下で1966年から1970年までチームは5シーズン連続で勝ち越ししディック・ヴァーミールスペシャルチームコーチなど多くの人材を育て上げたが、1967年にはグリーンベイ・パッカーズに、1969年にはミネソタ・バイキングスに敗れプレーオフで勝ち星をあげることはできず1970年シーズン終了後アレンはワシントン・レッドスキンズのヘッドコーチに就任するためチームを去った。

1971年から15年間在籍したDEのジャック・ヤングブラッド

1962年から1972年までの11シーズン、先発QBを務めたロマン・ゲブリエルは1967年から1971年まで5シーズン連続でチームを地区優勝または地区2位に導いた。1969年には2549ヤード、24タッチダウンの成績をあげて最優秀選手に選ばれた。

1972年にチームはロバート・アーセイに1900万ドルで購入された後、ボルチモア・コルツオーナーのキャロル・ローゼンブルームとトレードされローゼンブルームが新オーナーとなった。

1973年から1979年までチームは7年連続でNFC西地区優勝を果たした。しかしNFCチャンピオンシップゲームでダラス・カウボーイズ、ミネソタ・バイキングスに2回ずつ敗れスーパーボウル出場はなかなか実現しなかった。この時代ディフェンスは優れていたもののオフェンスはあまり優秀であるとは言い難かった。ディフェンスの中心選手はジャック・ヤングブラッドであり、プロフットボール殿堂入りを果たしたマーリン・オルセンからはPerfect Defensive Endと呼ばれた。この時代ラムズの選手には引退後、フレッド・ドライヤーなどハリウッドに行く選手が多く見られた。1973年からチームの指揮を執っていたチャック・ノックスヘッドコーチは1977年シーズン終了後更迭された。

1979年シーズン開幕前にチームオーナーのキャロル・ローゼンブルームがフロリダ州ゴールデンビーチで溺死し、未亡人のジョージア・フロンティアとローゼンブルームの息子の間でチームの経営権をめぐって争いもあったが、この年3年目のQBヴィンス・フェラガモに率いられたチームは同年9勝7敗の成績ながらNFC西地区を制した後、ダラス・カウボーイズを21-19、タンパベイ・バッカニアーズを9-0で降してスーパーボウルへの出場を果たした。この年の中心選手はフェラガモの他にHBのウェンデル・タイラー、オフェンスラインのジャッキー・スレイター、ディフェンスのジャック・ヤングブラッド、ジャック・レイノルズらであった。ラムズのホームゲームといってもいいパサデナのローズボウルで行われた第14回スーパーボウルではディフェンディングチャンピオンのピッツバーグ・スティーラーズにブックメーカーは10.5点のハンディをつけたがチームは善戦しハーフタイムを13-10で折り返し第3Q終了時点でも19-17とリードしていた。しかし第4Qスティーラーズが2つのタッチダウンをあげ、ラムズは無得点に終わり19-31で敗れた。

アナハイム移転

1980年にチームは本拠地をカリフォルニア州オレンジ郡アナハイムに移した。これには2つ理由があり1つは元ラムズの球団フロントに在籍したピート・ロゼールコミッショナーの導入したブラックアウトルール(チケットが完売しなかった場合、地元テレビ中継ができなくなる。)とカリフォルニア州南部の人口急増地域でのファン獲得を狙ったものであった。1965年に建設されてカリフォルニア・エンゼルスの本拠地として利用されていたアナハイム・スタジアムにはラグジュアリシートが設置されるなどの改修がなされた。1982年にオークランド・レイダースがロサンゼルスに本拠地を移しロサンゼルスでの人気を二分する事態となった。1980年代初めラムズは再建途上にあり、レイダースの1983年第18回スーパーボウル優勝、NBAのロサンゼルス・レイカーズの1980年、1982年NBAファイナル優勝、ロサンゼルス・ドジャースの1981年、1988年ワールドシリーズ制覇、ロサンゼルス・キングスの1982年プレーオフといった活躍の影に隠れた。

1984年に2105ヤードランのNFL記録を樹立したRBのエリック・ディッカーソン

1983年にジョン・ロビンソンが新ヘッドコーチに就任した。この年、ドラフト1巡目で獲得したエリック・ディッカーソンは1年目から1808ヤードを走り、18タッチダウンをあげる大活躍を見せてルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝くだけでなくプロボウル、オールプロにも選出された。ディッカーソンは2年目の1984年には現在のNFL記録でもある2105ヤード(それまでの1シーズンのラッシング記録は1973年にO・J・シンプソンのあげた2003ヤード)を走った。1987年シーズン終了後、ディッカーソンはインディアナポリス・コルツのコーネリアス・ベネット、バッファロー・ビルズのグレッグ・ベルらとの三角トレードでコルツに移籍し、ラムズはベルと3つのドラフト1巡目指名権を得た。ロビンソンヘッドコーチは9シーズンで6回チームをプレーオフに導いたが1985年にシカゴ・ベアーズにNFCチャンピオンシップゲームで敗れるなどスーパーボウル出場は果たせなかった。

1989年には11勝5敗でプレーオフに出場したがサンフランシスコ・フォーティナイナーズとのNFCチャンピオンシップゲームでは3-30と完敗した。

1990年代に入るとチームは負け越しシーズン続きとなりファンの興味を失うようになった。バッファロー・ビルズ、シアトル・シーホークスで好成績をあげたかつてのヘッドコーチ、チャック・ノックスを再び起用したがチーム成績はいっこうに良くならなかった。1993年シーズン終了後、エベレットは同地区ライバルのニューオーリンズ・セインツに移籍した。

セントルイス・ラムズ

ジョージア・フロンティアオーナーは新スタジアム建設の働きかけをすると共にメリーランド州ボルチモアへの移転も同時に検討を始めた。その後フロンティアオーナーはチームを自身の故郷であるミズーリ州セントルイスに移す決断をした。NFLオーナー会議で6人のオーナーの反対があったもののフロンティアオーナーは訴訟を起こすかまえを見せチームの移転は承認された。1995年シーズンから、本拠地はミズーリ州セントルイスになり、チーム名はセントルイス・ラムズとなった。

1997年にディック・ヴァーミールをヘッドコーチに招き、ドラフト全体1位でオフェンスラインマンのオーランド・ペースを獲得した。1999年チームはドラフト2巡目、4巡目指名権と引き替えにマーシャル・フォークを獲得、当初トレント・グリーンが先発QBを務める予定だったがプレシーズンゲームで足を負傷しシーズン絶望となった。急遽先発QBに指名されたのがアリーナフットボールなどでプレーしていたカート・ワーナーであり、フォークやWRのアイザック・ブルースなどと共にこの年のハイパーオフェンスを牽引しチームは526得点をあげた。

第34回スーパーボウルではテネシー・タイタンズのケビン・ダイソンを最後のプレー、エンドゾーン残り1ヤードのところで止めてスーパーボウル初優勝を果たした。ヴァーミールヘッドコーチはこの試合で勇退し、後任にはオフェンスコーディネーターを務めたマイク・マーツが就任した。2001年にもチームはNFCを制して再び第36回スーパーボウルに進出したがニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。

2000年から10年間在籍したQBのマーク・バルジャー

2004年にオレゴン州立大学からRBスティーブン・ジャクソンを獲得した。2005年マーツヘッドコーチは病気で入院し指揮をアシスタント・ヘッドコーチのジョー・ヴィットに委ねた。マーツの退院後も球団社長はヘッドコーチとしての復帰を認めずこの年を最後にマーツは解任された。この年のドラフト7巡目にQBライアン・フィッツパトリックを指名した。

2006年からはスコット・リネハンがヘッドコーチとなった。この年は8勝8敗で終えたが2007年は3勝13敗に終わり、シーズンオフの2008年1月18日には28年間チームオーナーだったジョージア・フロンティアが亡くなった。チームの経営権は彼女の息子のチップ・ローゼンブルーム、娘のルシア・ロドリゲスに移った。2008年9月29日、開幕から4連敗したところでリネハンヘッドコーチは解任されてディフェンスコーディネーターのジム・ハスレットが暫定ヘッドコーチとして残り試合を指揮した。シーズン終了後球団社長のジョン・ショーは辞任し、12月22日にはジェイ・ジグムンドに代わってビリー・ディバニーがゼネラルマネージャーとなった。

2009年、ニューヨーク・ジャイアンツのディフェンスコーディネーターであったスティーブ・スパヌオーロがヘッドコーチに就任し、パット・シューマー、ケン・フラジョルがオフェンス、ディフェンスコーディネーターに加わった。チームはボルチモア・レイブンズのセンター、ジェイソン・ブラウンを獲得したがサラリーキャップの影響でオーランド・ペースWRのトリー・ホルトなどを解雇しチーム再建を目指している。

オーナーのローゼンブルーム、ロドリゲスの兄妹はチーム売却の意向を固めゴールドマンサックスに資産価値を鑑定することを依頼した。フォーブスによると資産価値はおよそ9億2900万ドルであり、保守派の論客であるラッシュ・リンボーらが買収に名乗りをあげたが、かつてラジオ番組などでドノバン・マクナブへの人種差別的言動を行ったリンボーに対してロジャー・グッデルコミッショナーやコルツオーナーのジム・アーセイらの反対意見もありリンボーは買収グループから外れた。一部の株を保有していたスタン・クローンキーが買収に手を挙げ、2010年のオーナー会議で了承された。クローンキーはコロラド州を本拠地とするNBA、NHL、メジャーリーグサッカー、ナショナル・ラクロス・リーグのチームのオーナーでもあったが、他のスポーツチームの所有との重複を禁じるNFLのルールに従い息子に所有権を移した。クローンキーはイギリスのサッカーチームであるアーセナルFCの過半数を所有する最大株主でもある。

2010年、ドラフト全体1位指名権を獲得したチームはQBサム・ブラッドフォードを指名した。チームは最終週シアトル・シーホークス戦で勝利すれば地区優勝であったが敗れた。

2011年、チームは2勝14敗に終わりスパヌオーロヘッドコーチは解任され、ジェフ・フィッシャーが新ヘッドコーチに就任、ディフェンスコーディネーターにグレッグ・ウィリアムズが就任した。オフェンスコーディネーターのジョシュ・マクダニエルスはシーズン終了後、プレーオフを戦っているニューイングランド・ペイトリオッツに加入、同職にはニューヨーク・ジェッツでオフェンスコーディネーターを務めていたブライアン・ショッテンハイマーが就任した。またGMにアトランタ・ファルコンズの選手人事ディレクターを務めていたレス・スニードが就任した。

2012年3月9日、チームはワシントン・レッドスキンズから2012年、2013年、2014年のドラフト1巡指名権、2012年のドラフト2巡指名権を受け取る代わりにドラフト全体2位指名権を放出した。

2015年3月10日、サム・ブラッドフォードは、QBニック・フォールズとドラフト指名権の交換を伴うトレードでフィラデルフィア・イーグルスに移籍した。フォールズはシーズン11試合に先発したが成績不振の為、途中からは先発QBを外され、その後解雇された。

ロサンゼルス再移転

ラムズのロサンゼルス復帰を祝うファン

2016年1月12日のオーナー会議において、2016年シーズンからロサンゼルスに移転することが承認された。22年ぶりにロサンゼルスの地へ戻り、チーム名をロサンゼルス・ラムズ、暫定的に本拠地をロサンゼルス・メモリアル・コロシアムとして2016年シーズンは開幕した。2016年シーズンは不調であり、2016年12月12日、その時点で4勝9敗の成績の責任を問われてヘッドコーチのジェフ・フィッシャーは解雇され、ジョン・ファッセルが暫定ヘッドコーチとなった。2016年ドラフトで全体1位として指名されたQBジャレッド・ゴフがシーズン途中から先発し始めた。

2017年1月12日、ワシントン・レッドスキンズの元攻撃コーディネーターで31歳のショーン・マクベイがヘッドコーチに就任した。守備コーディネーターには、ビルズやカウボーイズの元ヘッドコーチで守備のスペシャリストである70歳のウェイド・フィリップスが就任し、マクベイが攻撃、フィリップスが守備のプレイコールを担当する体制を構築した。この体制の下、2017年シーズンのチーム成績は劇的に改善し、14年ぶりの地区優勝を果たしたが、プレーオフでは初戦でアトランタ・ファルコンズに敗れた。

2018年も引き続き好調を維持し、連続して地区優勝を遂げて第2シードでプレーオフに進出し、コンファレンスチャンピオンシップでは第1シードのニューオーリンズ・セインツを破った。第53回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。

2019年、前ジャクソンビル・ジャガーズのQBブレイク・ボートルスと契約した。この年は3連勝で始まったものの、プレーオフ進出は逃した。

2020年シーズン、新たな本拠地・SoFiスタジアム(ロサンゼルス・チャージャーズと共用)で開幕を迎えた。新本拠地での開幕に合わせ、青と黄色の新ロゴと新ユニフォームをシーズン開幕前に発表し、ロサンゼルスでのチームの再出発を演出したが、コロナウイルスの影響によりすべての試合を無観客で行うことを余儀なくされた。レギュラーシーズン10勝6敗で地区2位となり、第6シードでプレーオフに進出した。同地区で優勝した第3シードのシアトル・シーホークスをワイルドカード・プレーオフで破ったが、ディビジョナル・プレーオフで第1シードのグリーンベイ・パッカーズに敗れて、シーズンを終えた。DTアーロン・ドナルドは3度目のAP通信ディフェンス部門年間最優秀選手を受賞した。2021年1月31日、ドラフト権や複数選手を含むトレードによって、ジャレッド・ゴフをデトロイト・ライオンズに手放す代わりにマシュー・スタッフォードを獲得した。

2021年、11月3日にデンバー・ブロンコスからLBボン・ミラーを獲得し、また11月11日にクリーブランド・ブラウンズから放出されていたWRオデル・ベッカムを獲得した。地区一位となり、2年連続でプレーオフ出場を果たした。NFCチャンピオンシップ・ゲームでは同地区のライバルであるサンフランシスコ・フォーティーナイナーズを破り、本拠地SoFiスタジアムで行われる第56回スーパーボウルに進出。2020年シーズンのタンパベイ・バッカニアーズに続き、2年連続でスーパーボウルの呪いを跳ね除けることとなった。スーパーボウルでは接戦の末、4Q残り1分25秒で逆転のTDを決めてシンシナティ・ベンガルズを破り、第34回以来22年ぶり、ロサンゼルスを本拠地としてからは初のスーパーボウル制覇を果たした。

2022年シーズンはけが人続出に苦しみ、スタッフォードはシーズン途中で脳震盪により長期離脱を余儀なくされた。2022年12月6日、カロライナ・パンサーズからウェーバーにかけられていたベイカー・メイフィールドQBを獲得した。2022年12月19日、第15週にして4勝10敗の成績でプレーオフの望みは消えた。

2023年シーズンはスタッフォードが開幕から怪我をせず、第17週にワイルドカードでのプレーオフ出場を決めた。プレーオフ初戦でデトロイト・ライオンズに屈した。