ドイツ 3.リーガ | 05/04 12:00 | 36 | SSVウルム1846 vs FCビクトリアケルン | - | View | |
ドイツ 3.リーガ | 05/11 12:00 | 37 | FCビクトリアケルン vs SSVヤーン・レーゲンスブルク | - | View | |
ドイツ 3.リーガ | 05/18 11:30 | 38 | フライベルクII vs FCビクトリアケルン | - | View |
ドイツ 3.リーガ | 04/27 12:00 | 35 | [12] FCビクトリアケルン v SCプロイセン・ミュンスター [3] | L | 3-5 | |
ドイツ 3.リーガ | 04/20 12:00 | 34 | [3] ディナモドレスデン v FCビクトリアケルン [13] | W | 0-2 | |
ドイツ 3.リーガ | 04/13 12:00 | 33 | [13] FCビクトリアケルン v ハレシャーFC [17] | W | 4-2 | |
ドイツ 3.リーガ | 04/06 13:00 | 32 | [14] 1860ミュンヘン v FCビクトリアケルン [13] | L | 3-1 | |
ドイツ 3.リーガ | 03/31 11:30 | 31 | [13] FCビクトリアケルン v VfBリューベック [19] | W | 1-0 | |
ドイツ 3.リーガ | 03/16 13:00 | 30 | [10] エルツゲビルゲ・アウエ v FCビクトリアケルン [12] | L | 2-1 | |
ドイツ 3.リーガ | 03/09 13:00 | 29 | [13] FCビクトリアケルン v ヴァルトホーフ・マンハイム [17] | D | 2-2 | |
ドイツ 3.リーガ | 03/03 12:30 | 28 | [11] FCインゴルシュタット v FCビクトリアケルン [14] | W | 1-3 | |
ドイツ 3.リーガ | 02/24 13:00 | 27 | [14] FCビクトリアケルン v ザントハウゼン [6] | W | 2-1 | |
ドイツ 3.リーガ | 02/21 18:00 | 21 | [14] FCビクトリアケルン v ザールブリュッケン [12] | L | 2-5 | |
ドイツ 3.リーガ | 02/17 13:00 | 26 | [19] MSVデュースブルク v FCビクトリアケルン [14] | L | 1-0 | |
ドイツ ランデスポーカル | 02/14 18:30 | - | アレマニアアーヘン v FCビクトリアケルン | L | 2-0 |
Total | Home | Away | |
---|---|---|---|
Matches played | 51 | 25 | 26 |
Wins | 20 | 11 | 9 |
Draws | 11 | 5 | 6 |
Losses | 20 | 9 | 11 |
Goals for | 83 | 40 | 43 |
Goals against | 84 | 45 | 39 |
Clean sheets | 10 | 6 | 4 |
Failed to score | 6 | 3 | 3 |
FCヴィクトリア・ケルン(ドイツ語: FC Viktoria Köln)は、ドイツ・ケルンを本拠地とするサッカークラブ。
1904年にFCゲルマニア・カルク(FC Germania Kalk)として設立された。1909年にFCカルク(FC Kalk)と合併し、SVカルク04(SV Kalk 04)となった。1911年にはさらにミュルハイマーFC(Mülheimer FC)と合併し、VfRミュルハイム=カルク04(VfR Mülheim-Kalk 04)となった。1918年にVfRケルン04(VfR Köln 04)に改名した。1926年に西ドイツサッカーリーグで優勝し、全国リーグに参戦した。
1933年にリーグ再編によって全国リーグが廃止、ガウリーガ・ミッテルライン所属となった。1935年、1937年に優勝したが、全国では揮わなかった。1941年にリーグが分割されると、ガウリーガ・ケルン=アーヘンに所属した。1943年には戦時統合によってミュルハイマーSV 06(Mülheimer SV 06)と統合され、KSG VfR 04ケルン/ミュルハイマーSV 06(KSG VfR 04 Köln/Mülheimer SV 06)としてリーグに参戦した。ミュルハイマーSV 06も1934年と1940年に同じリーグで優勝した経験があるものの、全国では揮わなかったクラブである。1944-45シーズン中、連合国軍の反攻によってリーグは機能停止となった。
戦後は1948年にVfRケルン(VfR Köln)として活動再開、オーバーリーガ・ヴェストに所属したが、1シーズンで降格した。1949年にミュルハイマーSV 06と再合併し、SCラピード・ケルン04(SC Rapid Köln 04)に改名した。しかし1952年には2部からも降格した。
1957年に1部所属のSCプロイセン・デルブリュック(SC Preußen Dellbrück)と合併し、SCヴィクトリア04ケルン(SC Viktoria 04 Köln)となった。プロイセン・デルブリュックは1950年に全国準決勝進出の経歴を持っているクラブであった。
1962年には市によってインターシティーズ・フェアーズカップ1962-63に臨む代表クラブに選出されたが、1回戦のフェレンツヴァーロシュTCに敗れた。翌年にブンデスリーガが成立したものの参戦出来ず、レギオナルリーガ・ヴェストに所属、それも1970年代に2.ブンデスリーガが成立する頃にはフェアバンズリーガ降格の成績で全く揮わなかった。1978年に2.ブンデスリーガに参戦したが、1981年に降格した。
1994年にSCブリュック(SC Brück)と合併し、SCBプロイセン・ケルン(SCB Preußen Köln)に改名。新たな名前はプロイセン・デルブリュックを意識してつけられた。ただ成績は揮わず、新たに成立したレギオナルリーガからは早々に降格、2000年にオーバーリーガ・ノルドラインで2位につけたのが最高成績であった。2002年にSCBヴィクトリア・ケルン(SCB Viktoria Köln)に改名したが2000年代半ばに5部のフェアバンズリーガ・ミッテルラインに降格すると、2008年には活動停止状態に追い込まれた。
2010年6月22日、破産したSCBヴィクトリア・ケルンのユースチームを買収しFCヴィクトリア・ケルン(FC Viktoria Köln)が設立された。SCB時代の成績を引き継いでランデスリーガからの参戦が想定されていたが、協会側がこれを認めず、最下部であるクライスリーガDからのスタートとなった。しかし2011年2月24日にFCユンケルスドルフを買収、ユンケルスドルフはこのシーズンにオーバーリーガ・ミッテルラインで優勝したため、1年でノルトライン=ヴェストファーレンリーガにまで昇格した。翌シーズンにも優勝したため、僅か2年で4部のレギオナルリーガ・ヴェストに参戦する事となった。2019年に3.リーガに昇格した。