マンスター・ラグビー(英: Munster Rugby)は、アイルランドのラグビーユニオンクラブである。ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシップに所属。

History

1879年、レンスターやアルスターと同時期に、アイルランド南西部マンスターの地域代表クラブとして創設された。

南半球強豪国の遠征チームと数々の名勝負を演じたことで知られており、ニュージーランド代表(オールブラックス)の遠征チームとの対戦では1905年のデイヴ・ギャラハー主将率いるいわゆる「オリジナル・オールブラックス」の遠征における初対戦で33対0の大差で敗れたものの1973年には3対3で引き分け、1978年にはトモンド・パークにおいて12対0で勝利を収めている(2016年にアイルランド代表がアメリカのシカゴにおいて40対29で勝利するまでアイルランドのクラブとしてオールブラックスからの唯一の勝利であった)。オーストラリア代表の遠征チームとは1947年の初対戦では6対5で敗れたが1967年には11対8で勝利している。南アフリカ代表の遠征チームとの対戦でも1951年に11対6、1960年に9対3と敗れはしたものの接戦を演じている。

1995年のラグビーユニオンのプロ化に伴いアイルランドでもマンスターを含む4つの地域代表クラブがプロクラブ化した。マンスターは1995-96年シーズンの第1回ハイネケンカップ(現在のヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップ)に出場し、1998-99年シーズンには初めてグループステージを突破している。1999-00年シーズンにはハイネケンカップにおいてトゥイッケナム・スタジアムで行われた決勝に進むもイングランドのノーサンプトン・セインツに9対8で敗れ2位、2001-02年シーズンも決勝でイングランドのレスター・タイガースに敗れ2位に終わった。なお、この2002年のマンスター対レスターの一戦において試合終了間際、15対9でレスターがリードする中でマンスター側のボール投入で5mスクラムが行われる際、マンスターSHのピーター・ストリンガーが投入しようとしたボールをレスターFLのニール・バックがはたき(レフリーはバックの反対側に立っていて確認できなかった)、レスターがポゼッションを得て試合がそのまま終了するという事態が起こり、物議を醸した。2001年に始まったケルティックリーグ(現在のプロ14)では初年度にレンスターに決勝で屈するも翌シーズン決勝でウェールズのニースを37対17で下し初優勝した。2005-06年シーズンのハイネケンカップでは決勝でフランスのビアリッツ・オランピックを23対19で破り初優勝、さらに2007-08年シーズンはニュージーランド代表のダグ・ハウレットを擁してフランスのスタッド・トゥールーザンに16対13で勝利して優勝している。2008-09年シーズン、2010-11年シーズンはケルティックリーグでそれぞれ決勝でエディンバラ(スコットランド)とレンスターを破って優勝した。ハイネケンカップ(ヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップ)では2008年以降決勝に進出することができていない。

2016年、ヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップのグループステージ第1戦、ラシン92戦のためフランスのパリに遠征中にヘッドコーチでマンスターのキャプテンを務めたこともあるアンソニー・フォーリーが42歳で急死し、ラシン92との試合は延期された。6日後に行われたトモンド・パークにおけるグラスゴー戦でフォーリーの追悼がなされ、試合はマンスターが38対17で勝利した。この試合でフォーリーの現役時代の主なポジションであったNo.8として出場したCJスタンダーは24番をジャージを着用した。

ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシップに名称変更後、2023年、ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシッププレーオフ決勝で昨年度王者ストーマーズを下してプロ14時代以来12季ぶり4回目の優勝を果たした。