結果

Japan V-Premier Cup Women 03/24 03:00 - 日立リヴァーレ女子 v 埼玉上尾メディックス女子 - View
Japan V-Premier Cup Women 03/23 04:00 - 日立リヴァーレ女子 v KUROBEアクアフェアリーズ女子 - View
Japan V-Premier Cup Women 03/16 05:05 - NECレッドロケッツ女子 v 日立リヴァーレ女子 W 1-3
V1リーグ女子 02/10 06:30 1 [1] JTマーヴェラス女子 v 日立リヴァーレ女子 [7] L 3-0
V1リーグ女子 02/04 06:30 1 [4] 埼玉上尾メディックス女子 v 日立リヴァーレ女子 [7] L 3-1
V1リーグ女子 02/03 06:30 1 [3] 久光スプリングス女子 v 日立リヴァーレ女子 [7] L 3-2
V1リーグ女子 01/28 06:30 1 [7] 日立リヴァーレ女子 v トヨタ車体クインシーズ女子 [6] L 1-3
V1リーグ女子 01/27 06:30 1 [8] 東レアローズ女子 v 日立リヴァーレ女子 [7] W 0-3
V1リーグ女子 01/21 03:00 1 [10] PFUブルーカッツ女子 v 日立リヴァーレ女子 [7] L 3-0
V1リーグ女子 01/20 05:30 1 [7] 日立リヴァーレ女子 v KUROBEアクアフェアリーズ女子 [11] W 3-2
V1リーグ女子 01/14 03:00 1 日立リヴァーレ女子 v 岡山シーガルズ女子 W 3-1
V1リーグ女子 01/13 04:00 1 日立リヴァーレ女子 v プレステージインターナショナルアランマーレ 女子 W 3-0

日立Astemoリヴァーレ(ひたちアステモリヴァーレ)は、茨城県ひたちなか市を本拠地とする、日立Astemoの女子バレーボールチームである。2023-24シーズンはV.LEAGUE DIVISION1 WOMEN(V1女子)に所属。

History

1980年11月に、日立製作所国分工場から佐和工場に移管されて日立佐和女子バレーボール部が誕生した。

1981年、第1回東部地域リーグからスタートするも、6チーム参加の最下位(5戦全敗)となる。1983年第3回で東部地域リーグに復帰。1985年に第5回地域リーグで全勝優勝を果たし、実業団リーグ(当時のバレーボール2部リーグ)昇格を果たす。1985/86シーズンの第17回実業団リーグでは最下位となり1年で降格。しかし、1年で復帰した。その後も好成績を収められず、1995/96シーズンの第27回大会では7位で入替戦に敗れ再降格となった。それでも、翌シーズンの第17回地域リーグで全勝優勝を果たしまたも1年で復帰。そして、その翌年の1997/98シーズンの第29回実業団リーグで全勝優勝を飾り、Vリーグ(現・Vプレミアリーグ)昇格を果たした。

しかし、1998/99シーズンの第5回Vリーグでは8位。第6回大会では最下位となり、入替戦で東北パイオニア(現・パイオニアレッドウィングス)に連敗し、2シーズンでのV1リーグ(実業団リーグより名称変更)降格となった。2000/01シーズンの第3回V1リーグでは優勝するも、入替戦で敗れて復帰できず。

2001年4月に菅原貞敬が監督に就任。2001/02シーズンの第4回V1リーグで優勝し、入替戦でJTマーヴェラスを破り3年ぶりのVリーグ復帰を果たした。

2002/03シーズンの第9回Vリーグでは最下位の8位となるが、次期よりチーム数が増えるためそのままプレミア残留となった。そのシーズン終了後にベテラン勢が退団したため、若手中心のチームに様変わりした。第10回Vリーグでは、自己最高の6位に入った。2005/06シーズンは、ベテラン監督の吉田國昭が監督に就任。板橋恵、佐田樹理、井野亜季子らと戦力も充実してきて、拾ってつなぐ粘りの全員バレーを展開した。第12回Vリーグでは8位にとどまるもの、第55回黒鷲旗全日本選抜大会では準優勝を果たした。

2006年5月に茂原アルカスが廃部になった為、日立グループのバレーボールチームは、当チームが男女合わせて唯一のチームとなった。

2008/09V・プレミアリーグ(Vリーグより名称変更)で全敗を喫して最下位となり、2009年4月のV・チャレンジマッチ(入替戦)で敗れ、8シーズンぶりにチャレンジリーグに降格となった。その後、江畑幸子が全日本メンバーに選出される。以降、江畑は国際試合で活躍するが、チームにもそのまま残り、次のシーズンをV・チャレンジリーグで通すこととなる。

2009年、同年の黒鷲旗大会まで久光製薬スプリングス(現・久光スプリングスの監督だった濱田義弘がヘッドコーチ(後に監督)に就任する。2009/10V・チャレンジリーグでは優勝を果たすも、V・チャレンジマッチでパイオニアに最後に逆転され、セット率でプレミア復帰ならず。

2010年4月、チーム呼称をこれまでの「日立佐和リヴァーレ」から「日立リヴァーレ」に変更、正式名称は「日立オートモティブシステムズ女子バレーボール部」となった。

2010/11V・チャレンジリーグは2位で終わるも、東日本大震災の影響でV・チャレンジマッチが中止となり、このままV・チャレンジリーグ残留ということになる。2011/12V・チャレンジリーグでは優勝するも、V・チャレンジマッチでNECレッドロケッツに連敗してまたもプレミア復帰ならず。2009/10シーズン以降の3シーズン、上尾メディックス(現・埼玉上尾メディックス)と共にV・チャレンジリーグ上位2位を占めているが、2012/13V・チャレンジリーグでもそのような展開になり、上尾にセット率で競り負け準優勝。V・チャレンジマッチでV・プレミアリーグ7位のデンソー・エアリービーズと対戦することとなり、第1戦はセットカウント1-3で敗れ、追い込まれる。しかし、第2戦はセットカウント3-1で勝利。セット率で追いつき、得点率で上回ったため、5シーズンぶりのプレミアリーグ昇格が決定した。その後の第62回黒鷲旗では、グループ戦でデンソーとの再戦に勝利し、メジャータイトル2冠の久光製薬をフルセットにまで追い込むなど、躍進ぶりを見せた。

プレミア復帰後のファーストシーズンとなった2013/14シーズンでは、チーム史上最高の12勝をあげ6位となった。

2014年、松田明彦が新監督に就任し、栗原恵が岡山シーガルズより移籍。2015/16シーズンにはレギュラーラウンド3位、ファイナル6を首位で通過しファイナルに歩を進めた。ファイナルでは久光製薬に涙を飲んだが、チーム史上最高位となる準優勝を遂げた。2016/17シーズンでもファイナル3に進出したが、久光製薬に二連敗し二年連続のファイナル進出を逃した。2017年、コーチだった甲斐祐之が監督に昇格した。

2018年、これまでのVリーグに変わり新生V.LEAGUEが誕生し、1部のDIVISION1に所属。

2018-19シーズン、シーズン途中で監督の甲斐が体調不良で休養となり、当シーズン終了をもって退団。新監督に多治見麻子が就任した。

2021年1月、日立オートモティブシステムズの4社統合により同社の社名が「日立Astemo」に変更となり、チームもそのまま継承された。日立Astemoのシンボルスポーツとして活動するため、同年8月に、チーム名称も「日立リヴァーレ」から「日立Astemoリヴァーレ」に変更となった。

2022年8月1日、チームカラーとチームロゴを刷新する運びになったと発表した。チームカラーは、これまでのリヴァーレブルーに加え、メインカラーを日立AstemoのコーポレートカラーであるAstemoレッドとした。

2023年、2022/23シーズンをもって、4シーズン監督を務めた多治見麻子が監督を退任。後任として新たに、中谷宏大が監督に就任した。