ポルトガル プリメイラリーガ | 09/12 19:45 | 4 | アロウカ v FCポルト | W | 1-3 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 08/29 17:30 | 3 | FCポルト v エストリル | W | 2-0 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 08/22 19:45 | 2 | マリティモ v FCポルト | D | 1-1 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 08/15 19:45 | 1 | FCポルト v ヴィトーリア・ギマランイス | W | 3-0 | |
ワールドクラブ親善試合 | 08/08 19:30 | - | FCポルト v ナポリ | D | 0-0 | |
ワールドクラブ親善試合 | 08/02 15:45 | - | ストーク v FCポルト | W | 0-3 | |
ワールドクラブ親善試合 | 08/01 15:45 | - | バレンシア v FCポルト | W | 4-5 | |
ワールドクラブ親善試合 | 07/27 16:15 | - | シャルケ v FCポルト | D | 0-0 | |
ワールドクラブ親善試合 | 07/24 17:00 | - | ボルシアMG v FCポルト | L | 2-1 | |
ワールドクラブ親善試合 | 07/18 16:00 | - | MSVデュースブルク v FCポルト | W | 0-2 | |
ワールドクラブ親善試合 | 07/15 16:00 | - | フォルトゥナ・シッタート v FCポルト | W | 1-5 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 05/22 19:30 | 34 | FCポルト v ペナフィエル | W | 2-0 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 05/17 17:00 | 33 | ベレネンセス v FCポルト | D | 1-1 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 05/10 18:15 | 32 | FCポルト v ジルヴィセンテ | W | 2-0 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 05/03 18:15 | 31 | ヴィトーリア・セトゥーバル v FCポルト | W | 0-2 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 04/26 16:00 | 30 | ベンフィカ v FCポルト | D | 0-0 | |
UEFAチャンピオンズリーグ | 04/21 18:45 | 3 | バイエルン・ミュンヘン v FCポルト | L | 6-1 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 04/18 17:00 | 29 | FCポルト v アカデミア | W | 1-0 | |
UEFAチャンピオンズリーグ | 04/15 18:45 | 3 | FCポルト v バイエルン・ミュンヘン | W | 3-1 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 04/11 17:00 | 28 | リオアヴェ v FCポルト | W | 1-3 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 04/06 19:00 | 27 | FCポルト v エストリル | W | 5-0 | |
ポルトガル リーグカップ | 04/02 18:45 | 2 | マリティモ v FCポルト | L | 2-1 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 03/21 20:15 | 26 | ナシオナル v FCポルト | D | 1-1 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 03/15 19:15 | 25 | FCポルト v アロウカ | W | 1-0 | |
UEFAチャンピオンズリーグ | 03/10 19:45 | 4 | FCポルト v バーゼル | W | 4-0 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 03/06 20:30 | 24 | ブラガ v FCポルト | W | 0-1 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 03/01 19:15 | 23 | FCポルト v スポルティング | W | 3-0 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 02/23 20:00 | 22 | ボアビスタ v FCポルト | W | 0-2 | |
UEFAチャンピオンズリーグ | 02/18 19:45 | 4 | バーゼル v FCポルト | D | 1-1 | |
ポルトガル プリメイラリーガ | 02/13 20:30 | 21 | FCポルト v ヴィトーリア・ギマランイス | W | 1-0 |
FCポルト(葡: Futebol Clube do Porto, MHIH, OM、ポルトガル語発音: [futɨˈβɔl ˈkluβ(ɨ) ðu ˈpoɾtu])は、ポルトガル・ポルトに本拠地を置く総合プロスポーツクラブ。一般的に、ポルトガルサッカーのトップリーグであるプリメイラ・リーガに所属するプロサッカーチームとして最も知られている。1893年9月28日に設立されたポルトは、リスボンのライバルであるベンフィカとスポルティングCPとともに、ポルトガルの「ビッグ3」(Os Três Grandes)の一つであり、1934年の設立以来、プリメイラ・リーガのすべてのシーズンに出場している。
1893年9月28日に創設された。初代会長のニコラウ・デ・アルメイダはポートワインの輸出業者で、イングランド出張の際にサッカーと出会ったことでクラブの創設を決意した。当初のクラブ名はポルトガル語のフトゥボル・クルーベ (Futebol Clube) ではなく、英語のフットボール・クラブ (Foot-ball Club) が用いられていた。1894年にリスボネンセと最初の試合を行うが、直後にクラブは休止状態に入った。原因はニコラウの妻ヒルダがサッカー嫌いだったためといわれる。1906年に新会長ジョゼ・モンテイロ・ダ・コスタによりクラブの活動が再開された。
ポルトガルのビッグ3クラブの中では実績の面でやや遅れをとっていたが、1980年代以降は毎年のようにタイトルを獲得するようになった。
最初の欧州制覇は、アルトゥール・ジョルジェに率いられたチームが1986-87シーズンに達成した。UEFAチャンピオンズカップ決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では、残り15分で1点のビハインドを背負っていたが、アルジェリア人ラバー・マジェールが1得点1アシストの活躍で逆転。2-1の勝利をおさめた。また、同年のトヨタカップ (後のFIFAクラブワールドカップ) の決勝では、大雪の中で南米代表CAペニャロールと戦い、またもラバー・マジェールの活躍により、延長戦の末2-1で初の世界一となった。
1994-95シーズンから1998-99シーズンにかけて、プリメイラ・リーガ史上初、そして唯一のリーグ5連覇を達成した。
2002年に監督に就任したジョゼ・モウリーニョのもと、2002-03シーズンにポルトガルのクラブとして初めてUEFAカップに優勝。2003-04シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝にてASモナコを3-0で破り、17年ぶりに欧州一の座に返り咲いた。同シーズン終了後はモウリーニョ監督や主力選手が軒並み他国クラブに移籍したが、最後の開催となった同年12月のインターコンチネンタルカップでも南米代表オンセ・カルダスをPK戦の末に降して、2度目の世界一の座に輝いた。ちなみに、それまでFCポルトの本拠地だったエスタディオ・ダス・アンタスの代わりとして、またEURO 2004開催のために2003年、現在のホームスタジアムであるエスタディオ・ド・ドラゴンが完成した。こけら落としとなった2003年11月16日のFCポルト対FCバルセロナの親善試合では、FCポルトが2-0で勝利した。
2008年5月、2003-04シーズンに自国リーグで審判の買収を行っていたことが発覚。これに対する処分として、2007-08シーズンに獲得した勝ち点から6ポイント剥奪するとともに罰金15万ユーロを科せられた (ただし、勝ち点を剥奪されてもまだリーグ優勝はFCポルトとなるほど大差をつけていた) 。さらに、欧州サッカー連盟はFCポルトの来季UEFAチャンピオンズリーグ出場権を剥奪すると発表したが、後に撤回された。処分撤回を不服とするSLベンフィカとヴィトーリアSCがスポーツ仲裁裁判所に対して訴えを起こしたが、同7月に退けられた。
2010-11シーズンはポルトガル人のアンドレ・ビラス・ボアスが監督に就任。27勝3分け、2位のベンフィカと21ポイント (7勝差) もの大差をつける圧倒的な記録を残し無敗優勝した。さらに、タッサ・デ・ポルトガル、UEFAヨーロッパリーグも制覇し、三冠を達成した。
近年は国内リーグにおける強さを維持する一方で主力選手の売却により莫大な移籍金を稼ぎ出しており、ラダメル・ファルカオのアトレティコ・マドリード移籍の際には4000万ユーロ、フッキのFCゼニト・サンクトペテルブルク移籍の際には5000万ユーロ、ハメス・ロドリゲスとジョアン・モウティーニョのASモナコ移籍の際には2人合わせて7000万ユーロの移籍金をそれぞれ獲得している。他にもジャクソン・マルティネスがアトレティコ・マドリードに4200万ユーロで、エリアカン・マンガラがマンチェスター・シティに3200万ポンドで、ダニーロがレアル・マドリードに3150万ユーロで、アレックス・サンドロがユヴェントスに2200万ユーロで、アンドレ・シウヴァがACミランに3800万ユーロで移籍している。
2013-14シーズンは、リーグ優勝をSLベンフィカに譲り、タッサ・デ・ポルトガルでも準決勝でベンフィカに敗れて敗退、UEFAチャンピオンズリーグでもグループステージでの敗退で久々の無冠に終わり、屈辱的なシーズンとなった。