アルゼンチン ナシオナルB | 06/11 18:45 | 37 | [9] インディペンディエンテ・リバダビア v アルヘンティノス・ジュニオルス [1] | L | 2-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 06/06 00:05 | 36 | [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v ボカウニドス [21] | W | 3-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 05/28 18:00 | 35 | [10] セントラルコルドヴァ v アルヘンティノス・ジュニオルス [1] | W | 0-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 05/22 23:05 | 34 | [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v アルマグロ [8] | D | 0-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 05/16 00:05 | 33 | [5] フェロカリル・オエステ v アルヘンティノス・ジュニオルス [1] | D | 0-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 05/11 00:05 | 32 | [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v オールボーイズ [10] | W | 5-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 05/06 16:05 | 31 | [2] ギジェルモブラウン v アルヘンティノス・ジュニオルス [1] | D | 0-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 04/30 18:45 | 30 | [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v CAブラウン・デ・アドログエ [12] | D | 0-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 04/23 16:15 | 29 | [23] クラブ・アトレティコ・パラナ v アルヘンティノス・ジュニオルス [1] | W | 0-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 04/20 00:05 | 28 | [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v ヴィッラダルメ [19] | W | 2-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 04/15 20:05 | 27 | [15] CAドウグラスハイグ v アルヘンティノス・ジュニオルス [1] | W | 0-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 04/11 00:05 | 26 | [2] アルヘンティノス・ジュニオルス v スポルティヴォ・エストゥディアンテス [19] | W | 4-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 04/04 00:05 | 25 | [23] クルセロ・デル・ノルテ v アルヘンティノス・ジュニオルス [2] | D | 1-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 03/24 23:05 | 24 | [2] アルヘンティノス・ジュニオルス v サン・マルティン・デ・トゥクマン [14] | W | 3-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 03/21 00:05 | 23 | [2] アルヘンティノス・ジュニオルス v チャカリタ・ジュニアーズ [4] | W | 1-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 03/14 18:30 | 7 | [12] CAブラウン・デ・アドログエ v アルヘンティノス・ジュニオルス [2] | L | 1-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 03/11 00:05 | 22 | [5] インスティトゥートACコルドバ v アルヘンティノス・ジュニオルス [2] | L | 2-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 12/14 23:05 | 20 | [2] アルヘンティノス・ジュニオルス v ヌエボチカゴ [11] | W | 2-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 12/11 23:00 | 19 | [14] ヒムナシア・デ・フフイ v アルヘンティノス・ジュニオルス [2] | W | 0-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 12/06 00:05 | 18 | [2] アルヘンティノス・ジュニオルス v ロスアンデス [17] | D | 1-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 11/27 20:00 | 17 | [23] フヴェントゥウニダ v アルヘンティノス・ジュニオルス [2] | D | 0-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 11/23 00:05 | 16 | [2] アルヘンティノス・ジュニオルス v CSDフランドリア [14] | W | 2-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 11/19 22:05 | 15 | [22] サンタマリーナ・タンディル v アルヘンティノス・ジュニオルス [3] | W | 0-3 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 11/13 18:05 | 14 | [5] アルヘンティノス・ジュニオルス v インディペンディエンテ・リバダビア [1] | W | 3-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 11/06 19:00 | 13 | [23] ボカウニドス v アルヘンティノス・ジュニオルス [2] | L | 1-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 11/03 00:05 | 6 | [4] アルヘンティノス・ジュニオルス v クラブ・アトレティコ・パラナ [21] | W | 1-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 10/30 19:00 | 12 | [5] アルヘンティノス・ジュニオルス v セントラルコルドヴァ [9] | D | 0-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 10/26 00:05 | 4 | [5] アルヘンティノス・ジュニオルス v CAドウグラスハイグ [22] | D | 1-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 10/22 18:30 | 11 | [3] クラブアルマグロ v アルヘンティノス・ジュニオルス [5] | D | 0-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 10/18 00:05 | 10 | [8] アルヘンティノス・ジュニオルス v フェロカリル・オエステ [2] | W | 3-1 |
アソシアシオン・アトレティカ・アルヘンティノス・ジュニアーズ(スペイン語: Asociación Atlética Argentinos Juniors)は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスのラ・パテルナル地区を本拠地とするサッカークラブである。
1970年代にディエゴ・マラドーナなどが、1980年代にクラウディオ・ボルギやフェルナンド・レドンドなどがアルヘンティノスからプロデビューし、やがてビッグクラブへと羽ばたいていった。また、フアン・ロマン・リケルメやエステバン・カンビアッソも、アルヘンティノスの下部組織でプレーした経験がある。1985年にはコパ・リベルタドーレスで優勝してインターコンチネンタルカップに出場した。
アルヘンティノスの起源は1886年まで遡る。アメリカに端を発する社会主義的着想によって、数千マイル離れたアルゼンチンにロス・マルティレス・デ・チカゴと呼ばれるクラブが設立された。その18年後、ロス・マルティレス・デ・チカゴはソル・デ・ビクトリアと合併してアソシアシオン・アトレティカ・イ・フトゥボリスティカ・アルヘンティノス・ウニードス・デ・ビジャ・クレスポが誕生したが、この長大なクラブ名はクラブエンブレム決定の際に問題となり、アソシアシオン・アトレティカ・アルヘンティノス・ジュニアーズ (Asociacion Atletica Argentinos Juniors) に短縮された。それまでの緑色と白色のユニフォームは、社会主義のシンボルカラーに起因する赤色と黒色のストライプに変更された。1921年にプリメーラ・ディビシオンに初昇格し、トップリーグで16シーズンプレー。しかし1930年代半ばにクラブ存続の危機に陥ると、スタジアムからの立ち退きを命じられ、クラブ会員はかろうじて100人を超える程度まで減少した。
1950年代に指揮を執ったフランシスコ・ファンディーノ監督が目指したスタイリッシュなパスサッカーは、El Tifón de Boyacá(ボジャカの台風)として知られた。アルヘンティノスは名声を手に入れ、ディエゴ・マラドーナなどの若手有望選手を惹きつけた。1976年には15歳のマラドーナがトップチームデビューし、1980年にはリーグ戦で準優勝。マラドーナは4シーズン連続でリーグ得点王に輝いたが、不思議なことに、アルヘンティノスに黄金期が訪れたのは彼のボカ・ジュニアーズ移籍後であった。ロベルト・サポリティ監督に率いられたメトロポリターナ1984ではプロ化後初のリーグ優勝を飾り、クラウディオ・ボルギ、セルヒオ・バティスタ、ペドロ・パスクッリなどがマラドーナらとともに2年後の1986 FIFAワールドカップ優勝メンバーとなった。ホセ・ジュディカ監督が率いたナシオナル1985ではクラブ2度目のリーグ優勝を果たし、同年のコパ・リベルタドーレスでは決勝でアメリカ・デ・カリ(コロンビア)を破って初優勝した。インターコンチネンタルカップではミシェル・プラティニ擁するユヴェントスFC(イタリア)と対戦したが、PK戦の末に敗れて準優勝に終わった。
1988年11月20日のラシン・クラブ戦はPK戦にもつれ込んだが、このPK戦でのキッカーの人数は世界記録となった。両クラブ合わせて44人がPKを蹴り、アルヘンティノスが20-19でPK戦に勝利した。
1990年代には再び財政問題に直面し、1996年にはプリメーラB・ナシオナル(2部)降格。フアン・ロマン・リケルメやエステバン・カンビアッソなど若手有望株の売却を余儀なくされた。彼らはアルヘンティノスの下部組織でプレーしていたが、リケルメはボカ・ジュニアーズの下部組織に移った後にボカからデビューし、カンビアッソはレアル・マドリードと契約した後にローン先のCAインデペンディエンテからトップリーグデビューした。再びプリメーラ・ディビシオンに昇格するものの、2002年にもプリメーラB・ナシオナルに降格して2004年まで在籍。クラブ存続の危機に瀕したが、若手選手育成に力を注いで危機を脱した。2003年12月26日にホームスタジアムが再オープンすると、2008年のコパ・スダメリカーナでは準決勝に進出し、クラブのレジェンドであるクラウディオ・ボルギ監督の下でクラウスーラ2010を制した。