ワールドクラブ親善試合 | 11/12 19:30 | - | ラージョ・バジェカーノ v カディス | W | 2-0 | |
スペイン ラ・リーガ | 11/08 19:00 | 11 | レアルマドリード v ラージョ・バジェカーノ | L | 5-1 | |
スペイン ラ・リーガ | 11/03 19:45 | 10 | ラージョ・バジェカーノ v エイバル | L | 2-3 | |
スペイン ラ・リーガ | 10/26 11:00 | 9 | マラガ v ラージョ・バジェカーノ | L | 4-0 | |
スペイン ラ・リーガ | 10/17 19:00 | 8 | グラナダ v ラージョ・バジェカーノ | W | 0-1 | |
スペイン ラ・リーガ | 10/04 16:00 | 7 | ラージョ・バジェカーノ v バルセロナ | L | 0-2 | |
スペイン ラ・リーガ | 09/27 20:00 | 6 | レバンテ v ラージョ・バジェカーノ | W | 0-2 | |
スペイン ラ・リーガ | 09/24 18:00 | 5 | ラージョ・バジェカーノ v アスレティック・ビルバオ | W | 2-1 | |
スペイン ラ・リーガ | 09/21 15:00 | 4 | ビジャレアル v ラージョ・バジェカーノ | L | 4-2 | |
スペイン ラ・リーガ | 09/14 10:00 | 3 | ラージョ・バジェカーノ v エルチェ | L | 2-3 | |
スペイン ラ・リーガ | 08/31 19:00 | 2 | デポルティーボ・ラ・コルーニャ v ラージョ・バジェカーノ | D | 2-2 | |
スペイン ラ・リーガ | 08/25 20:00 | 1 | ラージョ・バジェカーノ v アトレティコ・マドリード | D | 0-0 | |
ワールドクラブ親善試合 | 08/16 17:45 | - | バリャドリード v ラージョ・バジェカーノ | L | 2-1 | |
ワールドクラブ親善試合 | 08/09 18:45 | - | チェゼーナ v ラージョ・バジェカーノ | D | 1-1 | |
ワールドクラブ親善試合 | 08/06 18:30 | - | レガネス v ラージョ・バジェカーノ | D | 2-2 | |
ワールドクラブ親善試合 | 07/27 18:00 | - | レアルムルシア v ラージョ・バジェカーノ | L | 3-1 | |
ワールドクラブ親善試合 | 07/25 17:00 | - | ラージョ・バジェカーノ v FCカルタヘナ | W | 3-1 |
ラージョ・バジェカーノ・デ・マドリード, S.A.D.(Rayo Vallecano de Madrid, S.A.D., スペイン語発音: [ˈraʝo βaʎeˈkano ðe maˈðɾið])は、スペイン・マドリード州プエンテ・デ・バリェカスに本拠地を置くサッカークラブ。2021-22シーズンからはラリーガに所属している。
ラージョ・バジェカーノはエレベータークラブであり、プリメーラ・ディビシオン(1部)、セグンダ・ディビシオン(2部)、セグンダ・ディビシオンB(3部)を数年ごとに行き来している。
設立は1924年。まだマドリード市に併合される前の自治体バジェカスにあった労働者を中心とする複数のクラブが合併し、その中の一チーム名Rayo(光線)を取って、アグルパシオン・デポルティーバ・エル・ラージョ(Agrupación Deportiva El Rayo、ラジョ・スポーツ協会)として活動を始めた。1947年には地名を加えてAgrupación Deportiva Rayo Vallecanoに変更された。
1991年にはクラブが株式会社([[S.A.D.]])化した際には、ホセ・マリア・ルイス=マテオスが株式の大半を取得して会長に就任した。1992年にはホセ・アントニオ・カマーチョ監督の下でプリメーラ・ディビシオンに昇格し、1993年にはウーゴ・サンチェスが加入したが、1994年にはセグンダ・ディビシオンに降格した。1994年1月12日、ホセ・マリア・ルイス=マテオスの妻であるテレサ・リベーロが会長に就任した。女性がプリメーラ・ディビシオンのクラブの会長となるのは史上初の出来事である。1995年、テレサ・リベーロ会長はクラブ名をラージョ・バジェカーノ・デ・マドリード(Rayo Vallecano de Madrid)に変更した。テレサ・リベーロ会長の在任中には好成績を残し、新たに創設した女子チームのラージョ・バジェカーノ・フェメニーノはプリメーラ・ディビシオン・フェメニーナ(女子1部)の強豪に育った。2011年にはホセ・マリア・ルイス=マテオスが経営する食品会社がクラブ運営から手を引いたため、ファンの間ではチーム名称を1995年以前の名称に戻す運動が起こった。しかし株主らからはマドリードの単語を残すべきとの意見もあり、決定していない。
1999年には3シーズンぶりにプリメーラ・ディビシオンに昇格し、1999-2000シーズンには9位であったが、フェアプレー枠でUEFAカップの出場権を獲得した。2000-01シーズンに出場したUEFAカップでは準々決勝に進出し、準優勝したデポルティーボ・アラベスとともにスペイン勢の中小クラブの躍進は世界を驚かせた。しかし、2002-03シーズンに最下位となってセグンダ・ディビシオンに降格すると、2003-04シーズンは21位となって2シーズン連続での降格を経験した。2005-06シーズンにはミチェル監督を解任した。2006-07シーズンはセグンダ・ディビシオンBを2位で終え、昇格プレーオフの準決勝に勝利したが、決勝でSDエイバルに2試合合計1-2で敗れて昇格はならなかった。2007-08シーズンはセグンダ・ディビシオンBで優勝し、昇格プレーオフでは準決勝でベニドルムCFに、決勝ではサモラCFに勝利して、4シーズンぶりのセグンダ・ディビシオン昇格を果たした。2008-09シーズンはかなりの期間を昇格を争う順位に位置し、降格とは無縁のシーズンを過ごした。同シーズン、女子チームのラージョ・バジェカーノ・フェメニーノはプリメーラ・ディビシオン・フェメニーナで初優勝し、2009-10シーズンにはUEFA女子チャンピオンズリーグに出場したが、ラウンド32でロシアのWFCロシヤンカ(WFC Rossiyanka)に2試合合計2-5で敗れた。2010-11シーズンのセグンダ・ディビシオンでは、財政難にも関わらず優勝したレアル・ベティスに次ぐ2位で終え、8シーズンぶりにプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした。2011-12シーズンは守備は38試合73失点とリーグ最多だったものの、リーグ6位タイの53得点という攻撃サッカーを貫き、15位で残留を決めた。
レアル・マドリード、アトレティコ・マドリードとともにマドリードを本拠地とするが、下部リーグでのシーズンが多いためか両チームとの対戦においてもマドリードダービーのムードは薄い。レアル・マドリードなどでもプレーしたローリー・カニンガムは1988年にラジョ・バジェカーノに加入したが、1年後の1989年に自動車事故で死去した。スペインの反ファシズム主義バンドであるSka-Pはラジョ・バジェカーノのファンであることを公言しており、コモ・ウン・ラジョ(Como un Rayo、ラジョとして)とラジョ・バジェカーノ(Rayo Vallecano)という曲がある。