J1リーグ | 07/25 10:00 | 21 | 名古屋グランパス v 浦和レッズ | L | 2-1 | |
J1リーグ | 07/19 10:00 | 20 | 浦和レッズ v サンフレッチェ広島 | L | 1-2 | |
J1リーグ | 07/15 10:00 | 19 | モンテディオ山形 v 浦和レッズ | D | 0-0 | |
J1リーグ | 07/11 10:00 | 18 | 松本山雅FC v 浦和レッズ | W | 1-2 | |
J1リーグ | 06/27 10:00 | 17 | 浦和レッズ v アルビレックス新潟 | W | 5-2 | |
J1リーグ | 06/20 07:00 | 16 | ヴィッセル神戸 v 浦和レッズ | D | 1-1 | |
J1リーグ | 06/07 07:00 | 15 | 浦和レッズ v 清水エスパルス | W | 1-0 | |
J1リーグ | 06/03 10:00 | 10 | 柏レイソル v 浦和レッズ | D | 3-3 | |
J1リーグ | 05/30 10:00 | 14 | サガン鳥栖 v 浦和レッズ | W | 1-6 | |
J1リーグ | 05/23 10:00 | 13 | 浦和レッズ v 鹿島アントラーズ | W | 2-1 | |
J1リーグ | 05/16 06:30 | 12 | 浦和レッズ v FC東京 | W | 4-1 | |
J1リーグ | 05/10 06:00 | 11 | ベガルタ仙台 v 浦和レッズ | D | 4-4 | |
AFCチャンピオンズリーグ | 05/05 09:00 | 6 | ブリスベンロアー v 浦和レッズ | W | 1-2 | |
J1リーグ | 05/02 05:00 | 9 | 浦和レッズ v ガンバ大阪 | W | 1-0 | |
J1リーグ | 04/29 10:00 | 8 | ヴァンフォーレ甲府 v 浦和レッズ | W | 0-2 | |
J1リーグ | 04/25 08:00 | 7 | 浦和レッズ v 名古屋グランパス | W | 2-1 | |
AFCチャンピオンズリーグ | 04/21 10:30 | 5 | 浦和レッズ v 水原三星ブルーウィングス | L | 1-2 | |
J1リーグ | 04/18 08:00 | 6 | 浦和レッズ v 横浜F・マリノス | W | 2-1 | |
J1リーグ | 04/12 08:00 | 5 | 川崎フロンターレ v 浦和レッズ | D | 1-1 | |
AFCチャンピオンズリーグ | 04/08 10:30 | 4 | 浦和レッズ v 北京中赫国安 | D | 1-1 | |
J1リーグ | 04/04 06:00 | 4 | 浦和レッズ v 松本山雅FC | W | 1-0 | |
J1リーグ | 03/22 05:00 | 3 | サンフレッチェ広島 v 浦和レッズ | D | 0-0 | |
AFCチャンピオンズリーグ | 03/17 11:30 | 3 | 北京中赫国安 v 浦和レッズ | L | 2-0 | |
J1リーグ | 03/14 06:00 | 2 | 浦和レッズ v モンテディオ山形 | W | 1-0 | |
J1リーグ | 03/07 10:00 | 1 | 湘南ベルマーレ v 浦和レッズ | W | 1-3 | |
AFCチャンピオンズリーグ | 03/04 10:30 | 2 | 浦和レッズ v ブリスベンロアー | L | 0-1 | |
スーパーカップ | 02/28 04:35 | 1 | ガンバ大阪 v 浦和レッズ | L | 2-0 | |
AFCチャンピオンズリーグ | 02/25 10:30 | 1 | 水原三星ブルーウィングス v 浦和レッズ | L | 2-1 | |
Jリーグカップ | 09/07 09:00 | 3 | 浦和レッズ v サンフレッチェ広島 | D | 2-2 | |
Jリーグカップ | 09/03 10:00 | 3 | サンフレッチェ広島 v 浦和レッズ | D | 0-0 |
浦和レッドダイヤモンズ(うらわレッドダイヤモンズ、英: Urawa Red Diamonds)は、日本の埼玉県さいたま市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。Jリーグ創設当初からのチーム、オリジナル10の1つ。呼称は浦和レッズ(うらわレッズ)。
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浦和市(当時)は当初、日本サッカーリーグ(JSL)1部所属の本田技研工業サッカー部を誘致し、本田技研工業狭山サッカー部と統合した新たなサッカークラブ作りを構想していた。しかし本田技研工業本社がJリーグ不参加を表明したために、JSL2部所属のNTT関東サッカー部(現大宮アルディージャ)の誘致を試みたがJリーグ不参加を理由に断られた。埼玉県にはJSLに所属し大きな資金協力の見込める大企業のサッカー部が他になかったため、当時プロリーグ検討委員会委員長だった川淵三郎に相談したところ、三菱自工の森孝慈を紹介された。森は当時、三菱自工内でサッカー部のプロ化に奔走していた。
三菱自工はサッカー部の活動の中心であり、本社と三菱養和SCが所在する東京都を本拠とする予定であったが、Jリーグが国立霞ヶ丘競技場陸上競技場をホームスタジアムとして認定しない方針を打ち出していたことや、江戸川区陸上競技場の客席増設や同競技場近辺の練習場確保が困難であったことからJリーグ加盟の要件を満たせず、代替候補地の選定を急いでいた。フジタ(現湘南ベルマーレ)が大神練習場を使用し活動していた神奈川県平塚市や、三菱重工サッカー部の初期の活動中心地だった兵庫県神戸市とも交渉したが、いずれも自治体から満足な協力を引き出すまでに至らなかった。
こうした浦和と三菱自工両者の経緯から生じた縁談は、堅実なチームを作っていこうという両者ビジョンの一致を軸に折り合い良く話が進み、時間を待たずに浦和レッズ誕生へと結実した。1991年、浦和レッズはJリーグ参加10団体(オリジナル10)の一つに選出された。
2006年Jリーグ基本フォーメーション
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チームスローガン:発表されず