アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 02/15 22:15 1 [6] ロサリオセントラル v アルヘンティノス・ジュニオルス [6] W 2-1
アルゼンチンカップ 01/20 22:20 6 ロサリオセントラル v ボカウニドス L 0-3
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 01/17 01:10 1 ロサリオセントラル v ベレス・サルスフィエルド L 1-3
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 01/09 20:10 5 [4] ラヌース v ロサリオセントラル [1] L 2-0
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 01/02 20:30 4 [1] ロサリオセントラル v ディフェンサ・イ・フスティシア [2] W 3-0
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 12/29 20:10 3 [4] CAアルドシヴィ v ロサリオセントラル [2] W 0-1
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 12/21 22:20 2 [3] ロサリオセントラル v ユニオンサンタフェ [5] D 2-2
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 12/14 20:10 1 [3] ロサリオセントラル v パトロナート・デ・パラナ [3] W 4-0
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 12/05 00:30 6 [2] バンフィエルド v ロサリオセントラル [3] D 1-1
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 11/29 00:30 5 [3] ロサリオセントラル v リーベルプレート [2] L 0-2
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 11/23 22:00 4 [4] ゴドイクルス v ロサリオセントラル [3] W 0-1
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 11/13 22:00 3 [2] ロサリオセントラル v バンフィエルド [1] L 2-4
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 11/08 00:15 2 [3] リーベルプレート v ロサリオセントラル [2] L 2-1
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 11/03 00:15 1 ロサリオセントラル v ゴドイクルス W 2-1
コパ・デ・ラ・スーペルリーガ・グループB 03/17 00:10 1 [7] ロサリオセントラル v コロン [8] L 1-3
スーペルリーガ 03/07 00:10 23 [6] アルヘンティノス・ジュニオルス v ロサリオセントラル [7] L 2-1
スーペルリーガ 03/01 22:45 22 [9] ロサリオセントラル v アルセナル・デ・サランディ [10] W 3-1
スーペルリーガ 02/24 22:40 21 [11] ディフェンサ・イ・フスティシア v ロサリオセントラル [8] L 3-0
スーペルリーガ 02/15 22:45 20 [9] ロサリオセントラル v ヒムナシア・ラ・プラタ [21] W 1-0
スーペルリーガ 02/08 22:40 19 [15] バンフィエルド v ロサリオセントラル [8] D 1-1
スーペルリーガ 02/01 20:35 18 [16] CAインディペンデント v ロサリオセントラル [5] L 5-0
スーペルリーガ 01/25 00:45 17 [7] ロサリオセントラル v ウラカン [20] W 2-1
スーペルリーガ 12/08 22:40 16 [10] ロサリオセントラル v ボカジュニアーズ [1] W 1-0
スーペルリーガ 12/02 00:45 15 [16] セントラルコルドバSdE v ロサリオセントラル [9] D 1-1
スーペルリーガ 11/26 00:10 14 [14] ロサリオセントラル v CAアルドシヴィ [23] W 5-1
スーペルリーガ 11/10 14:00 13 [3] リーベルプレート v ロサリオセントラル [14] W 0-1
スーペルリーガ 11/02 20:45 12 [16] ロサリオセントラル v ゴドイクルス [24] W 5-2
スーペルリーガ 10/29 20:00 11 [13] エストゥディアンテスLP v ロサリオセントラル [12] L 3-0
スーペルリーガ 10/20 20:45 10 [12] ロサリオセントラル v ベレス・サルスフィエルド [8] L 0-1
スーペルリーガ 10/06 16:15 9 [8] ラヌース v ロサリオセントラル [12] D 1-1

クルブ・アトレティコ・ロサリオ・セントラル(スペイン語: Club Atlético Rosario Central)は、アルゼンチン・サンタフェ州・ロサリオをホームタウンとするサッカークラブである。リーガ・プロフェシオナル所属。

History

黎明期

格子模様のジャージを着用していた1903年のチーム

1889年12月24日、セントラル・アルゼンチン鉄道のイギリス人労働者達によって、セントラル・アージェンティン・レールウェイ・アスレティック・クラブ (Central Argentine Railway Athletic Club) として設立された。1904年、セントラル・アルゼンチン鉄道とブエノスアイレス鉄道が統合され、クラブの名称が現在のクルブ・アトレティコ・ロサリオ・セントラル (Club Atlético Rosario Central) に変更された。当初のユニフォームカラーは赤と白だったが、その後青と白の格子模様を経て、現在の青と黄色の縦縞に落ち着いた。

アマチュアリーグ時代(1905年-1930年)

1905年、ロサリオ市のクラブらによってロサリオサッカーリーグが設立され、ロサリオ市のサンティアゴ・ピナスコ市長がトロフィーを寄贈したため、初回大会はコパ・サンティアゴ・ピナスコと名付けられた。5月21日に行われたCAデル・ロサリオとの初戦には3-1で勝利し、6月に行われたノッティンガム・フォレストFC(イングランド)との親善試合には0-5で敗れた。1908年には初のリーグ優勝を果たし、1913年にはリーグから脱退したが、1914年に復帰すると20試合を戦って19勝1分(99得点10失点)の圧倒的な成績を残し、51得点を挙げたハリー・ハジェスが得点王に輝いた。1915年と1916年にも優勝して3連覇を達成。1919年の優勝が最後のタイトルとなり、1920年に再びリーグを脱退した。脱退するやいなやアマチュア協会に加わったが、結局アマチュア協会に意見を異にしたセントラルなどのクラブは、1921年に再びロサリオサッカーリーグに復帰した。1923年、1927年、1928年、1930年にリーグ優勝し、ロサリオサッカーリーグの最多優勝クラブとなった。

1915年には、ブエノスアイレスとロサリオの各リーグ優勝クラブによって争われるコパ・イバルグレンに出場し、ブエノスアイレス王者のラシン・クラブを3-1で破って優勝した。同年のコパ・デ・オノール・ムニシパリダ・デ・ブエノスアイレスではCAインデペンディエンテを1-0で破って優勝し、コパ・デ・コンペテンシア・ジョッキー・クラブでは再びラシンを破って優勝した。1920年のコパ・デ・コンペテンシアではCAアルマグロを破って優勝した。

プロリーグ時代(1931年-現在)

2度目のプリメーラ昇格を果たした1951年のチーム

1931年、アルゼンチンではプロリーグ化が行われ、ロサリオでは初のプロリーグを組織するためにロサリオサッカー協会(スペイン語版)が設立された。サンタフェ州知事のルシアーノ・モリーナスに因み、コパ・ナカシオ・ビラはトルネオ・ゴベルナドール・ルシアーノ・モリーナスという名称に変更された。セントラルは1937年と1938年にリーグ優勝した。

1939年、セントラルとライバルのニューウェルズ・オールドボーイズはアルゼンチンサッカー協会に対してリーグ加盟の承認を求め、両クラブともプリメーラ・ディビシオン(1部)に受け入れられた。1941年のセントラルは20試合を戦って6勝しか挙げられず、プリメーラB(当時2部相当)に降格したが、プリメーラBで過ごしたのはわずか1シーズンであり、1942年には25勝4敗の成績でプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした。1950年には再びプリメーラB降格となったが、前回同様に降格から1年で昇格を果たした。

初のリーグ優勝

アンヘル・ラブルナ監督が率いたナシオナル1971ではプレーオフに出場し、準決勝ではアルド・ポイがダイビングヘッドで決勝点を決めてニューウェルズを破った。この得点は今日でもサポーターに記憶されており、12月19日にはポイが参加する祝賀行事が行われることもある。プレーオフ決勝ではCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロを破り、初のプリメーラ・ディビシオン優勝を果たした。2年後のナシオナル1973では、カルロス・グリグオル監督が指揮して2度目のリーグ優勝を果たした。この時のチームの主力選手にはポイ、カルロス・アイマール、ホルヘ・ソラーリなどがおり、カルロス・ビアスット、ホルヘ・ゴンサーレス、アウレリオ・パスクティーニ、ダニエル・キリェール、マリオ・キリェール、アイマール、エドゥアルド・ソラーリ、ポイ、ラモン・ボベーダ、ロベルト・カブラル、ダニエル・アリコがレギュラーを務めた。1974年にはインスティトゥートACコルドバからストライカーのマリオ・ケンペスを獲得し、ケンペスはバレンシアCF(スペイン)移籍後の1978 FIFAワールドカップで得点王に輝く活躍を見せた。

1980年代

1970年代半ば以降は7年間無冠が続いたが、アンヘル・トゥリオ・ソフ監督が指揮したナシオナル1980で久々の優勝を飾った。この時のセントラルはピッチ上で優雅なプレーを見せ、「ラ・シンフォニカ」(オーケストラのシンフォニー)と呼ばれた。ラシン・デ・コルドバと対戦した決勝では、ファーストレグで5-0と快勝し、セカンドレグに0-2と敗れたものの、得失点差でリーグ優勝を決めた。ダニエル・カルネバーリ、フアン・カルロス・ギエルメッティ、エドガルド・バウサ、オスカル・クライジャチッチ、ホルヘ・ガルシア、ホセ・ガイタン、ダニエル・スペランディオ、エドゥアルド・バカス、フェリクス・オルテ、ビクトル・マルチェッティ、ダニエル・テグリアがレギュラーだった。その後何年かは低調なシーズンが続き、1984年にプリメーラB降格となったが、ペドロ・マルチェッタ監督が采配を振るったチームはわずか1年でプリメーラ・ディビシオン復帰を果たした。ソフ監督が再び指揮を取った1986-87シーズンには4度目のリーグ優勝を果たした。この時のチームのレギュラーはアレハンドロ・ラナーリ、エルナン・ディアス、ホルヘ・バルビス、バウサ、ペデルネーラ、オマール・パルマ、アデルキ・コルナグリア、ロベルト・ガスペリーニ、オスバルド・エスクデロ、フェルナンド・ランシデイ、ウーゴ・ガジョーニだった。

1990年代以降

1990年代最初の数年間は国内リーグで低調な成績に終わったが、1995年のコパCONMEBOLで優勝を果たした。今日においても、この年のコパCONMEBOLはサンタフェ州のクラブが獲得した唯一の国際タイトルである。アトレチコ・ミネイロ(ブラジル)戦ではアウェーでのファーストレグに0-4で敗れたが、ホームでのセカンドレグに4-0で勝利し、PK戦に4-3で勝利したロサリオが勝ち上がった。1997年11月23日のロサリオ・ダービーには4-0で勝利したが、ニューウェルズはその試合の後半途中に試合を放棄したため、毎年11月23日は"Dia del abandono"(逃亡者の記念日)とされ、セントラルのサポーターがお祝いをしている。2000年代後半には成績が低迷し、2009-10シーズン後に行われた昇降格プレーオフではCAオール・ボーイズと対戦したが、2試合合計1-4で敗れてプリメーラB・ナシオナル(2部)に降格した。この際、オラシオ・ウサンディサーガ会長の経営手腕が疑問視され、サポーターから殺害予告を受けたため、ウンディサーガはスペインに逃避した。その後、会長選挙が行われてノルベルト・エスペシアーレが新会長に就任した。2012-13シーズン開幕時点でコパ・リベルタドーレスには10度出場しており、ボカ・ジュニアーズ、CAリーベル・プレート、CAインデペンディエンテ、CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロに次いでアルゼンチン5位タイ(エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタやCAベレス・サルスフィエルドと同数)の出場回数を誇る。

ロサリオセントラルは、アルゼンチン・サンタフェ州ロサリオを拠点とするサッカークラブである。1889年に創設され、アルゼンチンのトップリーグであるプリメーラ・ディビシオンに所属している。

ロサリオセントラルは、アルゼンチン屈指の名門クラブであり、国内リーグを4回、コパ・アルヘンティーナを1回、コパ・リベルタドーレスを1回、インターコンチネンタルカップを1回制している。また、南米選手権(現コパ・アメリカ)でも優勝1回を誇る。

ロサリオセントラルのホームスタジアムは、エスタディオ・ヒガンテ・デ・アロジートである。収容人数は41,654人で、アルゼンチンでは6番目の規模を誇る。

ロサリオセントラルのライバルクラブは、ニューウェルズ・オールドボーイズである。両チームの対戦は「クラシコ・ロサリオ」と呼ばれ、アルゼンチンで最も熱いダービーマッチの一つである。

ロサリオセントラルは、多くの名選手を輩出してきた。その中には、マリオ・ケンペス、アベル・バルダーノ、ロベルト・アジャラ、アンヘル・ディ・マリアなどがいる。