フランス ラグビー選手権 04/27 15:00 22 モンペリエ v ペルピニャン W 20-25
フランス ラグビー選手権 04/20 15:00 21 ペルピニャン v リヨン W 51-20
フランス ラグビー選手権 03/30 16:00 20 ペルピニャン v カストル W 43-12
フランス ラグビー選手権 03/23 16:00 19 オヨナ v ペルピニャン W 14-15
フランス ラグビー選手権 03/09 20:05 18 ペルピニャン v トゥールーズ W 27-17
フランス ラグビー選手権 03/02 16:00 17 トゥーロン v ペルピニャン L 44-22
フランス ラグビー選手権 02/24 16:00 16 ペルピニャン v ラ・ロシェル W 27-15
フランス ラグビー選手権 02/17 16:00 15 スタッドフランセ v ペルピニャン L 32-19
フランス ラグビー選手権 02/03 14:00 14 ペルピニャン v ラシン・メトロ W 26-5
フランス ラグビー選手権 01/27 16:00 13 リヨン v ペルピニャン L 36-24
欧州ラグビー・チャレンジカップ 01/21 13:00 4 ペルピニャン v ニューカッスル・ファルコンズ L 23-32
欧州ラグビー・チャレンジカップ 01/12 20:00 3 オスプリーズ v ペルピニャン L 25-3
フランス ラグビー選手権 01/06 16:00 12 ペルピニャン v オヨナ W 27-12
フランス ラグビー選手権 12/31 13:00 11 カストル v ペルピニャン W 13-17
フランス ラグビー選手権 12/22 18:00 10 ペルピニャン v バイヨンヌ W 36-10
欧州ラグビー・チャレンジカップ 12/16 15:15 2 ベネトントレビソ v ペルピニャン L 29-7
欧州ラグビー・チャレンジカップ 12/10 13:00 1 ペルピニャン v ライオンズ L 12-28
フランス ラグビー選手権 12/02 16:00 9 ラ・ロシェル v ペルピニャン L 35-6
フランス ラグビー選手権 11/25 16:00 8 ボルドー v ペルピニャン L 46-22
フランス ラグビー選手権 11/18 16:00 7 ペルピニャン v モンペリエ W 23-16
フランス ラグビー選手権 11/11 14:00 6 トゥールーズ v ペルピニャン L 43-34
フランス ラグビー選手権 11/04 16:00 5 ペルピニャン v トゥーロン W 26-22
フランス ラグビー選手権 10/29 15:05 4 ペルピニャン v ポー L 24-39
フランス ラグビー選手権 09/02 15:00 3 ラシン・メトロ v ペルピニャン L 59-10
フランス ラグビー選手権 08/26 15:00 2 クレルモン v ペルピニャン L 38-14
フランス ラグビー選手権 08/19 16:10 1 ペルピニャン v スタッドフランセ L 7-29
フランス ラグビー選手権 06/03 19:05 1 グルノーブル v ペルピニャン W 19-33
フランス ラグビー選手権 05/28 19:05 26 カストル v ペルピニャン L 26-16
フランス ラグビー選手権 05/13 13:00 25 ペルピニャン v トゥールーズ W 26-21
フランス ラグビー選手権 05/06 15:00 24 リヨン v ペルピニャン L 41-31

Wikipedia - USAペルピニャン

ユニオン・スポルティヴ・アルルカン・ペルピニャネ(仏: Union Sportive Arlequins Perpignanais)は、フランスのペルピニャンに本拠地を置くラグビーユニオンクラブである。トップ14に所属。通称はUSAペルピニャン(USA Perpignan)。

History

1902年、ASペルピニャンとして創設された。1914年にフランス選手権の決勝に初めて進み初タイトルを獲得したが、直後に第一次世界大戦でこの時の優勝メンバーが数人亡くなっている。

1919年、クラブ名がUSペルピニャンとなった。1921年にはフランス選手権の決勝でスタッド・トゥールーザンを破り、2回目のタイトルを獲得した。1924年からは3シーズン連続で決勝に進出し、1924年・1926年はいずれもスタッド・トゥールーザンに敗れ準優勝に終わったが、1925年はASカルカソンヌに勝利して優勝を果たした。

1933年、クラブ名が現在のUSAペルピニャンとなった。1930年代はフランス選手権の決勝に3回進み、いずれもビアリッツ・オランピックとの戦いとなり、1935年・1939年は敗れ、1938年は勝利した。その後、第二次世界大戦による中断を挟んで1955年までに3回決勝に進み、2度のタイトルを獲得したが、その後は結果を残せず低迷するシーズンが続いた。1977年と1998年に進んだ決勝でもそれぞれASベジエ・エロー、スタッド・フランセに敗れた。

それでも徐々に強さを取り戻したペルピニャンは、2002-03シーズンのハイネケンカップ、2003-04シーズンのトップ16で準優勝した。2008年に獲得したダン・カーターはアキレス腱を痛め期待されたような結果を残せなかったが、2008-09シーズンのトップ14ではASMクレルモン・オーヴェルニュを下し1955年以来の悲願の優勝を飾った。

2013-14シーズン、トップ14で13位に終わったUSAペルピニャンはプロD2(2部)に降格した。2017-18シーズン、プロD2のリーグ戦を1位で終えると、昇格をかけたプレーオフにおいて決勝でFCグルノーブルを破り優勝し、2018-19シーズンのトップ14復帰を決めた。

2018-19シーズン、トップ14で最下位に終わりプロD2(2部)に降格した。2020-21シーズンはプロD2のリーグ戦を1位で終えると、昇格をかけたプレーオフにおいて決勝でビアリッツ・オランピックを破り優勝し、2021-22シーズンのトップ14復帰を決めた。