オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 06/18 16:00 | 32 | SVホール v FCヴァッカー・インスブルックII | L | 5-3 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 06/11 16:00 | 31 | Fugen/Uderns v FCヴァッカー・インスブルックII | L | 3-2 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 06/04 13:00 | 30 | [3] FCヴァッカー・インスブルックII v SVインスブルック [5] | W | 4-0 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 05/20 17:00 | 28 | FCヴァッカー・インスブルックII v スワロフスキー・ヴァッテンス | L | 4-5 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 05/06 17:00 | 26 | WSGスワロフスキー・チロルII v FCヴァッカー・インスブルックII | L | 4-2 | |
オーストリア アマチュアカップ | 05/03 17:00 | - | FCヴァッカー・インスブルックII v WSGスワロフスキー・チロルII | L | 1-2 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 04/30 13:00 | 25 | FCヴァッカー・インスブルックII v Fugen/Uderns | D | 2-2 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 04/23 12:00 | 24 | [2] FCヴァッカー・インスブルックII v SVホール [1] | W | 3-1 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 04/08 17:00 | 23 | SVインスブルック v FCヴァッカー・インスブルックII | L | 4-1 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 04/02 12:30 | 22 | FCヴァッカー・インスブルックII v スワロフスキー・ヴァッテンス | W | 2-0 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 03/26 13:00 | 21 | FCヴァッカー・インスブルックII v Fugen/Uderns | L | 2-3 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 03/23 18:30 | 19 | [8] FCヴァッカー・インスブルックII v SVテルフス [3] | L | 0-5 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 03/19 15:00 | 20 | FCクーフシュタイン v FCヴァッカー・インスブルックII | L | 4-2 | |
欧州親善試合 | 02/12 12:18 | - | SVグレーディヒ v FCヴァッカー・インスブルックII | L | 5-1 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 11/05 18:00 | 18 | [1] SCシュヴァーツ v FCヴァッカー・インスブルックII [6] | L | 4-2 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 10/30 11:00 | 17 | [6] FCヴァッカー・インスブルックII v SVGライヒェナウ [4] | W | 2-1 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 10/26 13:00 | 16 | [11] SVホール v FCヴァッカー・インスブルックII [6] | D | 1-1 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 10/23 14:30 | 15 | FCキッツビューエル v FCヴァッカー・インスブルックII | L | 2-1 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 10/16 12:00 | 14 | [2] ヴェルグルSV v FCヴァッカー・インスブルックII [4] | L | 3-1 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 10/09 12:00 | 13 | [7] FCヴァッカー・インスブルックII v SVインスブルック [12] | W | 3-1 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 10/02 14:30 | 12 | [6] SCイムスト v FCヴァッカー・インスブルックII [7] | W | 1-4 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 09/25 14:00 | 11 | Fugen/Uderns v FCヴァッカー・インスブルックII | L | 3-1 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 09/18 12:30 | 10 | [7] FCヴァッカー・インスブルックII v FCクーフシュタイン [6] | W | 4-3 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 09/12 15:00 | 9 | [1] SVテルフス v FCヴァッカー・インスブルックII [6] | L | 5-1 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 09/04 13:00 | 8 | [4] FCヴァッカー・インスブルックII v SCシュヴァーツ [3] | D | 2-2 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 08/31 17:30 | 7 | [9] WSGスワロフスキー・チロルII v FCヴァッカー・インスブルックII [6] | D | 2-2 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 08/27 16:00 | 6 | [2] SVGライヒェナウ v FCヴァッカー・インスブルックII [5] | D | 2-2 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 08/24 17:30 | 2 | [11] SVインスブルック v FCヴァッカー・インスブルックII [5] | W | 1-3 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 08/21 15:00 | 5 | FCヴァッカー・インスブルックII v SVホール | W | 6-0 | |
オーストリア レギオナルリーガ・チロル | 08/14 11:30 | 4 | FCヴァッカー・インスブルックII v FCキッツビューエル | D | 2-2 |
FCヴァッカー・インスブルック(ドイツ語: FC Wacker Innsbruck)は、オーストリア・チロル州の州都インスブルックを本拠地とするサッカークラブである。1913年に創設された、SKラピード・ウィーンやFKアウストリア・ウィーンと共にリーグを代表する名門である。男子トップチームは2018年5月にオーストリア・ブンデスリーガ1部への復帰を果たし、女子トップチームは同月にオーストリア女子ブンデスリーガ2部での優勝とオーストリア・女子ブンデスリーガ1部昇格を決めた。
オーストリア=ハンガリー帝国時代の1915年に現クラブの母体となるFCヴァッカー・インスブルックが創設された。当初はオーストリア国内や当時はオーストリア領であった北イタリアで数多くの親善試合を行うが、第一次世界大戦の影響もあり、オーストリアサッカー協会が運営する公式リーグに参加するようになるのは1920年からのことであった。
戦力強化のために1922年には同じくインスブルックを拠点としていたFCラピード・インスブルックと一時的に合併したこともあったが、翌年には合併を解消し、再びFCヴァッカー・インスブルックとして公式戦に参加した。
1924年からインスブルック市内にあるティヴォリ地区のサッカー場でホーム戦が行われるようになった。現在でも同じ地区に本拠地のサッカースタジアムティヴォリ・シュターディオンが建てられており、FCヴァッカー・インスブルックとティヴォリ地区はお互いなくてはならない関係になっている。
トップチームは1920年代から1930年代にかけて徐々に力をつけていき、下位リーグからの昇格を重ねるようになる。オーストリアがナチス・ドイツに併合された1930年代後半から1940年代前半、そして敗戦した第二次世界大戦の影響もあり、再び下位リーグに降格したが、1953年にはオーストリア3部に、1958年にはオーストリア2部への昇格を果たした。
オーストリア1部リーグにあたるオーストリア・ブンデスリーガ(当時のリーグ名は「シュターツリーガ」(「Staatsliga」))に1964年に昇格。1967年と1968年には同リーグでの準優勝を、1970年にはオーストリア・カップでの優勝を果たし、翌シーズンのUEFAカップウィナーズカップ 1970-71ではスペインのレアル・マドリードと対戦している。
1971年にオーストリア・ブンデスリーガで優勝。またクラブの歴史上最も多くのタイトルを獲得したことから、「クラブの第1黄金時代」と言われる1970年代が幕開けする。
1970年代に入ると後にガンバ大阪で監督を務めることになるフリードリッヒ・コンシリアをはじめ、4年連続バロンドール(ヨーロッパ年間最優秀選手賞)でベスト10に選出されるブルーノ・ペッツァイ、同クラブでの活躍により後にスペイン・プリメーラ・ディビシオンの名門バレンシアCFで主力選手となるクルト・ヤーラなど多くのオーストリア代表選手が所属するようになり、オーストリアを代表する強豪クラブに成長する。
クラブの第1黄金時代といえる1970年代には、オーストリア・ブンデスリーガで優勝5回(1971年、1972年、1973年、1975年、1977年)、準優勝2回(1974年、1976年)、オーストリア・カップ優勝5回(1970年、1973年、1975年、1978年、1979年)、準優勝1回(1976年)の成績を残した。
1975年と1976年にはミトローパ・カップでも優勝。ミトローパ・カップを連覇した翌年にはUEFAチャンピオンズカップ 1977-78でFCバーゼルやセルティックFCを破ってベスト8へ進出。準々決勝ではドイツのボルシア・メンヒェングラートバッハをホームで破るなどヨーロッパカップでも結果を残した。
しかし、1970年代末になるとクラブは財政難に陥り1979年には2部へ降格した。
1981年にオーストリア・ブンデスリーガに復帰。1986年にチロル州に本社を置くスワロフスキー社がクラブのオーストリア・ブンデスリーガ・ライセンスを買収。巨大な資金力をバックにクラブ経営に直接関わるようになり、クラブ名は「FCスワロフスキー・ティロル」に変更された。
オランダのフェイエノールト元監督のエルンスト・ハッペルが監督に就任。オーストリア代表のミヒャエル・バウアーやブルーノ・ペッツァイ、クリストフ・ヴェスターターラー、ペーター・パクルトなどの他、ドイツ代表選手のハンジ・ミュラーや、アルゼンチン代表選手のネストル・ゴロシートなどを獲得した。
UEFAカップ1986-87ではロシアのFCスパルタク・モスクワやイタリアのACトリノなどを次々と破り準決勝に進出。UEFAインタートトカップでは1989年から1991年まで3連覇を果たす。
オーストリア・ブンデスリーガでは1989年および1990年と2連覇。1991年は準優勝の成績を残した。オーストリア・カップでも1987年、1988年に準優勝、1989年に優勝を果たす。
また、ハッペルの指導の下、多くの若手選手が飛躍的な成長を成し遂げ、1990 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではオーストリアA代表のスタメンの約半分が同クラブ所属選手であることも珍しくなかった。
1992年にスワロフスキー社がクラブの経営から手を引くとクラブは再び財政難に陥り、1990年代後半まで低迷が続く。クラブの正式名称も「FCティロル・インスブルック」に変更された。
1990年代後半までには、後にドイツA代表ヘッドコーチに就任するホルスト・フルベッシュ、後に浦和レッズの監督に招聘されるホルスト・ケッペル、現役時代にヨーロッパ・ゴールデンブーツ賞(ヨーロッパ年間最優秀得点王賞)を獲得し、後にオーストリアA代表監督に就任するハンス・クランクルなどが監督に就任し、オーストリア・ブンデスリーガでの中位の地位は維持するものの、上位に進出し優勝争いに絡むことはなかった。
1998年頃から政治的なサポートもありチロル州の数多くの地元大手企業がスポンサーとしてつき、クラブは3度目の黄金期を迎えた。
地元インスブルック出身のクルト・ヤーラが監督に就任し、2000年のオーストリア・ブンデスリーガ優勝を皮切りに、2001年、2002年と国内リーグで3連覇した。
なお、2001年秋には現ドイツA代表監督のヨアヒム・レーヴが監督に就任している。
UEFAカップではドイツ・ブンデスリーガのVfBシュトゥットガルトやセリエAのフィオレンティーナを相手に勝利を収めるなど好結果を残したが、高額な選手年俸とUEFAチャンピオンズリーグ 2000-01の本大会出場を最後の最後で逃したこともあり(最終予選で敗退)、財政が破綻してクラブ消滅へと追い込まれた。
2002年に「FCヴァッカー・ティロル」の正式名称の下、新たに再建されたクラブは、それまでのクラブの実績が考慮されオーストリアサッカー協会の特別な計らいにより、レギオナルリーガ西部(オーストリア3部)からの再出発を許可された。 (注:オーストリアには9部リーグまであり、このようなクラブ再建のケースでは通常9部からの再スタートが慣例となっている)。
2002年にオーストリア3部リーグ、2003年にオーストリア・ブンデスリーガ2部で優勝を果たし、2004年にオーストリア・ブンデスリーガ1部復帰を果たした。
2007年7月に、クラブの正式名を「FCヴァッカー・ティロル」からクラブ創設時の公式名称である「FCヴァッカー・インスブルック」に戻した。
2015年7月に地元チロル州出身でSKラピード・ウィーンやSpVggグロイター・フュルト、FCロートヴァイス・エアフルトでスポーツディレクターや取締役等を務めたアルフレッド・ヘルトナーグルがGMに就任し、名門復活に向けてのビジョン「Mission 2020」を発表した。
2018年5月に2017-18年シーズンでのオーストリア・ブンデスリーガ2部優勝とオーストリア・ブンデスリーガ1部への復帰を決定付けた。
2021年夏、モラス雅輝がヴィッセル神戸から監督としてクラブに復帰したことをきっかけに、東京大学運動会ア式蹴球部(体育会サッカー部)とのパートナーシップを締結した。同部は「東大ア式蹴球部は国内最大規模のテクニカルユニット(20人もの専門分析官)や学問的知見を備えたフィジカルコーチなどを擁し、ピッチ内外での先進性や専門性を独自の強みであると捉えています。そうした領域で最先端を走る欧州との関わりを通じてさらに我々の強みを向上させ、知見の供給や人材の輩出を通じて日本サッカー界に貢献したいと考えています」とリリースした。