サッカークウェート代表(サッカークウェートだいひょう)は、クウェートサッカー協会(KFA)によって構成される、クウェートのサッカーのナショナルチームである。西アジアサッカー連盟所属。

History

クウェート代表の誕生

クウェートの初の国際試合は1961年アラブ競技大会(英語版)におけるリビア戦で、2-2のドローであった。同大会のUAE戦で、クウェート代表の最大得点差敗戦である0-8での敗北を喫している。その後、自国開催となったAFCアジアカップ1980では決勝戦で韓国を3-0で破り、初優勝を果たした。

1982年スペインW杯

クウェートのFIFAワールドカップの出場は、1982年スペイン大会の1度である。その第一戦はチェコスロバキアと1-1の引分。これはアジアのチームとして、初出場の初戦で勝点を獲得した唯一の例である(2022年大会終了時点)。

次のフランス戦では、3-1のビハインドで迎えた85分、観客が鳴らした笛を主審のオフサイドの笛と勘違いした選手たちがプレーを止め、その間にフランスのアラン・ジレスが放ったシュートがゴールネットを揺らした。一度は得点が認められたがノーゴールをアピールし、当時クウェートサッカー協会会長でスタンドで観戦していたシェイク・ファハド・アル=サバーハがフィールドまで降りて来て判定に不服を唱えた。その結果、得点が取り消されてしまった。W杯で一度認められた得点が取り消された唯一の事例である。

なお、後日主審が資格停止処分を受け、ファハドおよびクウェート協会に罰則が科せられた。その試合は、89分にも失点して4-1で敗れた。続くイングランド戦でも1-0で敗れ、グループ最下位で敗退となった。

度重なる政府の干渉と資格停止

2007年10月30日、クウェート政府の干渉によりクウェートサッカー協会(KFA)がFIFAから資格停止処分を受けたが、この処分は2週間足らずで解除された。翌年10月24日、再び資格停止処分を受けた。10月中旬までに総選挙が行われなかったことによる。同年12月22日、FIFAは暫定的に処分を解除した。解除後のクウェート代表の不調は否めず、AFCアジアカップ2011、2015ではいずれもグループステージ3連敗という惨敗に終わっている。

2015年10月、クウェート政府の干渉があったとしてFIFAより協会が3度目の資格停止処分を受けた。この結果、2015年11月以降の2018年FIFAワールドカップ・アジア2次予選のクウェートが出場する試合はすべて中止となった。同予選はAFCアジアカップ2019の予選も兼ねる形式となっていたため、こちらも出場できなくなった。

2017年12月6日、FIFAはクウェートサッカー協会に対する資格停止処分を2年2ヶ月ぶりに解除した。2017年12月、FIFAランキングは前述の資格停止の影響もあり過去最低の189位を記録している。

クウェート代表サッカーチームは、クウェートを代表するサッカーチームである。アジアサッカー連盟(AFC)に所属している。

クウェート代表は、1961年に国際サッカー連盟(FIFA)に加盟。1978年にFIFAワールドカップに初出場した。また、アジアカップには10大会連続で出場している。

クウェート代表は、1980年にアジアカップで優勝した。また、1996年にはオリンピックに出場した。

クウェート代表は、2006 FIFAワールドカップ・アジア予選で最終予選まで進出したが、サウジアラビアと北朝鮮に敗れて本大会出場を逃した。

クウェート代表は、FIFAランキングでは最高で34位(1998年10月)、最低で170位(2008年10月)を記録している。

クウェート代表のホームスタジアムは、クウェートシティにあるジャベル・アル=アフマド国際スタジアムである。