ウルグアイ リーガ 04/30 22:15 3 デフェンソール・スポルティング v ヘブライカマッカビ - View
ウルグアイ リーガ 05/04 01:30 3 ヘブライカマッカビ v デフェンソール・スポルティング - View

デフェンソール・スポルティング・クラブ(スペイン語: Defensor Sporting Club)はウルグアイの首都モンテビデオを本拠地とするスポーツクラブである。この記事では、主にデフェンソール・スポルティングのサッカーチームについて説明する。

History

1913年3月15日にデフェンソール・フットボール・クラブ(Defensor Football Club)として創設。その後、一度は解散するが、1922年にクラブ・アトレティコ・デフェンソール(Club Atlético Defensor)として再結成した。1989年、バスケットボールを主体とするスポルティング・クラブ・ウルグアイ(Sporting Club Uruguay)と合併して、現在のデフェンソール・スポルティング・クラブ(Defensor Sporting Club)となった。

1913シーズンにディビシオナル・エクストラA(3部)に参加。翌1914シーズンにセグンダ・ディビシオンに昇格、さらに翌1915シーズンにはプリメーラ・ディビシオンに昇格を果たした。1915シーズンは、10クラブ中4位というまずまずの成績を残した。しかし2年後の1917シーズンを最下位で終え、セグンダ・ディビシオンへの降格が決まると、デフェンソールFCはクラブを解散した。

1922年末、ペニャロールとセントラル(現在のセントラル・エスパニョール)がウルグアイサッカー協会(AUF)を脱退してウルグアイサッカー連盟(FUF)を設立した。これを機に、CAデフェンソールとして再結成して1923シーズンからFUF主催の国内リーグに参加した。その後、AUFとFUFの再統合を経て再開された1927シーズンから、デフェンソールとしては10年ぶりにAUF主催の国内リーグに復帰した。

1927シーズン以降、2部で過ごした1950シーズン・1965シーズン・2021シーズンを除いて、常に1部リーグに在籍している。

1976シーズンには、守備的な戦術を採用したリカルド・デ・レオン監督の下でリーグ初優勝を飾り、1932年にプロリーグ化されて以降、初めてペニャロールとナシオナル以外の優勝クラブとなった。翌1977年にはコパ・リベルタドーレスに初出場を果たした。

その後も、1987シーズン、1991シーズン、2007-08シーズンとプリメーラ・ディビシオンを制している。2007年9月には、国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)によって世界月間最優秀クラブに選出された。

2014年のコパ・リベルタドーレスでは過去最高のベスト4に進出した。5ゴールを決めて得点王になったデフェンソールのニコラス・オリベラが大会MVPも獲得した。

2022年、1回目の開催となったコパ・AUF・ウルグアイでは初代王者に輝いた。


デフェンソール・スポルティングとはウルグアイのバスケットボールクラブで、首都モンテビデオに本拠を置く。ウルグアイバスケットボール連盟のウルグアイリーグに所属している。ウルグアイ国内リーグで13回の優勝を誇る古豪である。チームカラーは白と黒。ホームゲームはモンテビデオにある豊田 スタジアムで行う。チームの呼称は「ビオレッタ」と呼ばれている。