USカタンザーロ(Unione Sportiva Catanzaro)はイタリアのカラブリア州カタンザーロを本拠地とするサッカークラブチームである。2023-24シーズンはセリエBに所属している。
1929年にUSカタンザレーゼ(Unione Sportiva Catanzarese)として創立。
第二次世界大戦後、USカタンザーロ(Unione Sportiva Catanzaro)と改名し、1970-71シーズンにセリエBで3位となり、カラブリア州のクラブとしては初のセリエA昇格。しかし、翌1971-72シーズンは初のセリエAの舞台で15位に沈み、セリエBに降格する。1974-75シーズンにはセリエBで4位となり、プレーオフへ進出するも敗退するが、翌1975-76シーズンにはセリエBで2位となり、2度目の昇格を果たす。その翌シーズンの1976-77シーズンには再度セリエBに降格するも、続くシーズンで再度セリエBで2位となり昇格。 1978-79シーズンは9位に入り、クラブ史上初のセリエA残留を果たした。このシーズンから1982-83シーズンまではセリエAに在籍し続けたが、1982-83シーズンにセリエA16位となり、それが現時点まででカタンザーロがセリエAでプレーした最後のシーズンとなっている(1979-80シーズンは本来であれば降格となっていたが、ミランとラツィオの八百長スキャンダルによって最終順位が12位となりセリエA残留を果たした)。
カタンザーロにとって黄金期となった1970年代から80年代を支えたのは、レスター・シティの監督を務めたクラウディオ・ラニエリや、チームの象徴として語り継がれ、ローマ戦でのハットトリックなどで有名なマッシモ・パランカであった。
1983年のセリエB降格をきっかけにカタンザーロは暗黒期に突入する。翌シーズンのセリエBでも20位となり、1959年以来24年ぶりにセリエC1に降格。その翌シーズンにはセリエBに再度復帰し、4シーズンにわたってセリエBで戦うものの、1989-90シーズンにはセリエC1へ再び降格してしまう。更に翌1990-91シーズンにはクラブ史上初となるセリエC2へ降格(4部リーグでのプレー経験はあるものの、セリエC2発足以降は初だった)。 それ以降10年以上にわたってセリエC2で戦い続けることとなり、セリエC1への復帰は2003-04シーズンまで待つこととなる。そのセリエC1への復帰シーズンとなった2003-04シーズンにはセリエC1のジローネBで優勝し、1990年以来となるセリエB復帰を果たした。
しかし、セリエB復帰シーズンの2004-05シーズンには21位となり、本来であれば降格であったが、ジェノアCFCが八百長疑惑でセリエC1降格となったうえ、ペルージャ、サレルニターナ、ヴェネツィアの登録がかなわなかったため、セリエB残留となった。しかし、翌シーズンには22位となり、降格が決定。加えてチームが経営破たん。チームはFCカタンザーロ(Catanzaro Football Club)として、セリエC2から再出発を図った。
2011年にチームは再び破綻したが、新会社カタンザーロ・カルチョ2011(Catanzaro Calcio 2011)を設立し、かつてのチーム名USカタンザーロでリーグに参戦している。
2018年、創設年を加えたUSカタンザーロ1929(U.S. Catanzaro 1929)にクラブ名を変更した。