結果

天皇杯 05/21 04:00 7 tonan前橋 v 山梨学院大学 L 3-4
天皇杯 06/05 04:00 7 tonan前橋 v 順天堂 L 1-6
天皇杯 09/16 05:00 7 tonan前橋 v VONDS市原 L 2-3
天皇杯 06/21 10:00 8 大宮アルディージャ v tonan前橋 L 3-0
天皇杯 04/22 04:00 7 tonan前橋 v 東京国際大学FC W 1-0

Stats

 TotalHomeAway
Matches played 1 1 0
Wins 0 0 0
Draws 0 0 0
Losses 1 1 0
Goals for 3 3 0
Goals against 4 4 0
Clean sheets 0 0 0
Failed to score 0 0 0

Wikipedia - Tonan前橋

tonan前橋(トナンまえばし)は、日本の群馬県前橋市をホームタウンとする社会人サッカークラブ。

History

1982年 - 2005年

1982年、高校サッカー界で強豪である群馬県立前橋商業高等学校サッカー部監督の奈良知彦が中心になって前橋商業高校サッカー部OBたちが集まり「図南サッカークラブ」を結成した。クラブ名は諺の「図南の翼」に由来する。当初はOBが卒業して社会人になってからも体を動かしサッカーを楽しめるように作られたサッカー倶楽部という趣もあった。

しかし、群馬県リーグ3部に参戦すると初年度からチームワークを発揮し、そのシーズンは県選手権ベスト4という成績を残す。

1985年2部昇格、翌年1986年には群馬県リーグ1部に昇格。社会人企業チームと互角に競り合い、この年の天皇杯県予選トーナメントでは3位になる。

1988年シーズン、試合中に興奮し審判に対しての暴力行為に発展。群馬県サッカー協会は事態を重くみて、監督は1年間の出場停止、チームは半年間の公式試合への出場停止、更には2部へ降格という処分が下された。

翌年2部を制し、1990年には1部に返り咲く、県総合選手権初優勝、天皇杯県予選準優勝を飾る。1991年県リーグ1部で初優勝、1992年には天皇杯県予選優勝、関東社会人サッカー大会優勝。1993年晴れて関東リーグに昇格した。1990年代後半からは元Jリーガーが所属するようにもなる。

1994年~2000年までは県リーグに所属。2001年から関東リーグに復帰する。

そして2年間関東リーグに所属した後、2003年1月13日のザスパ草津との関東リーグ入替戦でPK戦までもつれた死闘に敗れ、再び県リーグに降格する事となる(この1ヶ月後にキャプテン鳥居塚伸人の草津への移籍が発表された)。

2003年に図南SCから図南SC群馬に名称変更。

2006年 - 2010年

2006年は草津より氏家英行、小久保純、樹森大介の3選手、アルテ高崎から鏑木豪が加入。群馬県リーグ1部を9勝3分、平均得点5点で制し、第40回関東社会人サッカー大会に出場したが、準々決勝で敗退した。

2007年も圧倒的な強さで群馬県リーグ1部を制覇し、第41回関東社会人サッカー大会に臨んだが、準々決勝で敗退し、またしても関東リーグ2部昇格を逃した。一方、群馬県サッカー協会長杯では決勝戦でJFLのアルテ高崎を破り優勝し天皇杯全日本サッカー選手権大会への初出場を果たした。そして前年に続き出場を決めた全国社会人サッカー選手権大会には大会初勝利と関東リーグを飛び越えてのJFL昇格のチャンスを掴むべく大会に臨んだが、東北リーグ1部2位ですでに全国地域リーグ決勝大会への出場権を獲得していたNECトーキンと1回戦で対戦するも惨敗。

2008年に図南SC群馬からtonan前橋へ改称。群馬県リーグ1部(全14試合)で114得点を挙げ、6年連続14度目の優勝を飾り、第42回関東社会人サッカー大会への出場を決めた。そして、各都県リーグの代表チームを破り16年ぶり2度目の優勝を果たし、7年ぶりとなる悲願の関東リーグ2部復帰を決めた。また、10月に行われた第44回全国社会人サッカー選手権大会では初戦で九州リーグ王者の沖縄かりゆしFCを撃破し、6度目の出場にして同大会での初勝利を挙げた。

2009年は久しぶりに関東リーグ2部で迎えたが、開幕2連敗を喫しスタートダッシュに失敗、しかしその後の10試合を8勝2敗でカバーし3位まで浮上。そしてS.A.I市原SCとの2位の座をかけた直接対決に勝利し、最終的には10勝4敗の成績で1部昇格を決めた。そして、4年連続の出場となった第45回全国社会人サッカー選手権大会では各地域リーグの強豪チームを相手に健闘し、3位入賞を果たした。

2010年 - 2016年

2010年4月に公式サイト上でヤマダ電機とのオフィシャルパートナー契約の締結が発表。また7月にトップチームとtonan前橋サテライトの2チームが同時に全国社会人サッカー選手権大会の出場権を獲得するという快挙を達成した。リーグ戦は関東リーグ1部5位という過去最高の成績を収めた。

2011年は全国社会人関東予選で6年ぶりに敗退し、群馬県サッカー協会長杯でも4年ぶりに決勝進出を逃すなど、カップ戦では結果が出ないシーズンとなったが、リーグ戦では2年連続5位と健闘した。

2012年は群馬県サッカー協会長杯で優勝し、5年ぶり2回目となる天皇杯全日本サッカー選手権大会に出場。1回戦で大会初勝利を挙げ、2回戦ではチーム史上初のJリーグ所属チーム(モンテディオ山形)との対戦を果たしたが敗退した。さらに、リーグ戦では過去最高の4位の成績を残した。

2013年9月17日、Jリーグ準加盟クラブとして承認された。10月15日に、J3加盟審査において、ステップ2のJ3スタジアム審査が「要件未充足との結論」になったとして、2014年度のライセンス交付見送りが決定。その後日本フットボールリーグに公募推薦枠での昇格を目指したが、こちらも昇格が認められず、JFL・J3昇格は持ち越された。

2014年、群馬県サッカー協会長杯では、トップチームとtonan前橋サテライトがともに決勝に進出し直接対決した結果、3-2でサテライトが勝利し天皇杯に群馬県代表として出場した。KSL市原カップでは初のベスト4進出を果たした。

リーグ戦では2014年は7位、2015年は8位と順位が低迷し、2016年は9位となり、長年守ってきた関東リーグ1部から降格した。

2017年 -

2017年、8年ぶりに関東リーグ2部で戦うこととなり、監督兼代表だった菅原が代表に専念し、新監督としてアルテ高崎・FC刈谷・東京23FCで監督経験のあるアマラオが就任した。

関東リーグ2部では一時首位に立ったものの、最終的に9勝4分5敗の勝点31、優勝した東京国際大学FCに勝点差7をつけられ2位に終わった。本来ならば自動昇格で1年での1部復帰となるが、2018年シーズンはJFLから2チーム関東1部へ降格してくるのに伴い、2部2位の扱いが自動昇格から1部7位との入替戦に変更、その入れ替え戦で横浜猛蹴と戦い0-1で敗れ、1年での1部復帰を逃した。

全国社会人サッカー選手権大会関東予選では、1回戦で同じく関東2部の日本工学院F・マリノスと対戦、1-1の同点からPK戦の末6-7で敗れ本大会出場を逃した。

第97回天皇杯では群馬県予選で優勝し本大会に出場、1回戦では東京国際大学FCに勝利したものの、2回戦で大宮アルディージャに敗れた。

2019年、「プロのクラブを目指すのではなく、アマチュアクラブとして地域貢献・地域密着を目指し、子供たちから大人までに愛されるスポーツクラブを目指す」として、公益財団法人日本プロサッカーリーグにJリーグ百年構想クラブからの脱退を申請。2019年7月30日のJリーグ理事会でこれが承認された。

前橋育英高等学校サッカー部は、群馬県前橋市にある前橋育英高等学校のサッカー部である。全国高等学校サッカー選手権大会で2連覇や高校サッカー史上初の3連覇という記録を打ち立て、日本サッカー界の名門として知られる。また、2021年現在、高校サッカーの歴代最多優勝回数を持つ。

1952年に前橋育英高等学校のサッカー部として創部され、1954年には群馬県大会で優勝し、全国高等学校サッカー選手権大会への初出場を果たした。その後、1960年には全国大会で準優勝し、1961年には全国大会で3位入賞を果たした。

1980年代になると、前橋育英高等学校サッカー部は全国大会の常連校となり、1983年には全国大会で準優勝を果たした。そして、1984年に全国大会で初優勝を果たし、1985年にも全国大会で優勝を果たした。

1990年代に入ると、前橋育英高等学校サッカー部は全国大会で優勝する事は出来なかったが、1993年には全国大会で準優勝を果たし、1997年には全国大会で3位入賞を果たした。

2000年代に入ると、前橋育英高等学校サッカー部は再び全国大会の常連校となり、2003年には全国大会で優勝を果たした。そして、2004年には全国大会で2連覇を果たし、2005年には全国大会で3連覇を果たした。

2010年代に入ると、前橋育英高等学校サッカー部は全国大会で優勝する事は出来なかったが、2011年には全国大会で準優勝を果たし、2013年には全国大会で3位入賞を果たした。

2020年代に入ると、前橋育英高等学校サッカー部は全国大会で優勝する事は出来なかったが、2021年には全国大会で準優勝を果たした。

前橋育英高等学校サッカー部は、全国高等学校サッカー選手権大会で優勝5回、準優勝5回、3位入賞4回という成績を残しており、日本サッカー界の名門として知られている。