クラブ親善試合 08/06 15:00 1 SCフライブルク v トリノ W 1-2
クラブ親善試合 08/04 14:00 1 トリノ v ハダースフィールド D 2-2
欧州親善試合 07/23 15:00 1 トリノ v レナーテ W 5-0
欧州親善試合 07/20 15:00 1 トリノ v オルジナーテ W 3-1
イタリア セリエA 05/28 18:45 38 [9] トリノ v サッスオーロ [12] W 5-3
イタリア セリエA 05/21 13:00 37 [16] ジェノア v トリノ [9] L 2-1
イタリア セリエA 05/14 13:00 36 [9] トリノ v ナポリ [3] L 0-5
イタリア セリエA 05/06 18:45 35 [1] ユヴェントス v トリノ [9] D 1-1
イタリア セリエA 04/29 18:45 34 [9] トリノ v サンプドリア [10] D 1-1
イタリア セリエA 04/23 13:00 33 [13] キエーヴォ v トリノ [9] W 1-3
イタリア セリエA 04/15 13:00 32 [10] トリノ v クロトーネ [18] D 1-1
イタリア セリエA 04/09 13:00 31 [13] カリアリ v トリノ [10] W 2-3
イタリア セリエA 04/02 10:30 30 [10] トリノ v ウディネーゼ [12] D 2-2
イタリア セリエA 03/18 17:00 29 [10] トリノ v インテル [5] D 2-2
イタリア セリエA 03/13 19:45 28 [5] ラツィオ v トリノ [10] L 3-1
イタリア セリエA 03/05 14:00 27 [10] トリノ v パレルモ [18] W 3-1
イタリア セリエA 02/27 19:45 26 [8] フィオレンティーナ v トリノ [9] D 2-2
イタリア セリエA 02/19 17:00 25 [3] ローマ v トリノ [9] L 4-1
イタリア セリエA 02/12 14:00 24 [9] トリノ v ペスカーラ [20] W 5-3
イタリア セリエA 02/05 14:00 23 [17] エンポリ v トリノ [9] D 1-1
イタリア セリエA 01/29 11:30 22 [9] トリノ v アタランタ [6] D 1-1
イタリア セリエA 01/22 14:00 21 [14] ボローニャ v トリノ [9] L 2-0
イタリア セリエA 01/16 19:45 20 [9] トリノ v ACミラン [5] D 2-2
コッパ・イタリア 01/12 20:00 4 ACミラン v トリノ L 2-1
イタリア セリエA 01/08 14:00 19 [16] サッスオーロ v トリノ [8] D 0-0
欧州親善試合 01/04 14:00 1 トリノ v モンザ W 1-0
イタリア セリエA 12/22 19:45 18 [9] トリノ v ジェノア [12] W 1-0
イタリア セリエA 12/18 14:00 17 [4] ナポリ v トリノ [9] L 5-3
イタリア セリエA 12/11 14:00 16 [7] トリノ v ユヴェントス [1] L 1-3
イタリア セリエA 12/04 14:00 15 [11] サンプドリア v トリノ [7] L 2-0

Wikipedia - トリノFC

トリノ・フットボール・クラブTorino Football Club S.p.A.)は、イタリア・ピエモンテ州トリノをホームタウンとするプロサッカークラブ。セリエAで優勝7回の実績を持つ古豪である。

History

1906年12月3日にFCトリノ (Foot Ball Club Torino) として創設された。イタリアがファシスト党の独裁下にあった1936年に、イタリア語を使用したACトリノ (Associazione Calcio Torino) へと改められ、その後1970年にトリノ・カルチョ (Torino Calcio) に改称。

1942年から1949年にかけてセリエAで5連覇し、「グランデ・トリノ(偉大なるトリノ)」と呼ばれた。しかし、その最後の優勝は悲劇的なものであった。1948-49シーズンも残りわずかと言う所で首位に立っていたトリノは、ポルトガルのクラブとの親善試合を終えてイタリアに帰る途中、乗っていた飛行機がスペルガの丘に墜落。監督を含めチームのほとんど全員が死亡した(スペルガの悲劇)。この事故以降の4試合はトリノはユースチームで戦い、対戦相手もユースチームで対抗した。この年優勝したのはトリノであったが、1959-60シーズンにはセリエB降格も経験している。

1975-76シーズンにはルイージ・ラディーチェ監督の指揮下、パオロ・プリーチ、レナート・ザッカレッリらを擁し、約27振りのリーグ優勝を果たした。翌1976-77シーズンはリーグ2位、ジュニオール、ドッセーナらが在籍した、1984-85シーズンもリーグ第2位に終わった。

1991-92シーズンにはエンツォ・シーフォらを擁し、UEFAカップ決勝に進出、初のヨーロッパタイトル獲得を目指したが、アヤックスに2-2、0-0と2試合ドローとしながら、レギュレーションにより優勝を逃した。1992-93シーズンは決勝でASローマを破ってコッパ・イタリアを獲得した。

ユヴェントスFCとのダービーマッチは、デルビー・デッラ・モーレ (Derby della Mole) と呼ばれる。ユヴェントスはトリノを中心に全世界的な人気であるが、トリノ市内及び近郊では、トリノの方が人気が高い。

トリノ・フットボール・クラブ(Torino Football Club)は、イタリア・トリノを本拠地とするサッカークラブ。略称はトリノ。

1906年に創立されたトリノは、イタリアでも屈指の古豪クラブであり、セリエAにおいて7度の優勝を誇る。また、コッパ・イタリアも5度、スーペルコッパ・イタリアーナを1度制覇している。

伝統的なホームカラーは「グランデ・トロ」とも呼ばれる、マルーンと白の縦縞のユニフォームである。エンブレムは、クラブの設立当初から、サッカーボールの上に「トリノ」の頭文字である「T」の文字が描かれている。

トリノは、1940年代から1950年代にかけて「グランデ・トリノ」と呼ばれた黄金期を迎え、1946-47シーズンから1948-49シーズンまでセリエA3連覇を達成した。また、1949年5月4日のスペルガの丘の悲劇で多くの選手を亡くしたが、その後もセリエAで優勝を果たし、1970年代にはUEFAカップでも準優勝した。

トリノは、ホームスタジアムであるスタディオ・オリンピコ・ディ・トリノをユヴェントスと共用している。収容人数は約27,994人である。

トリノのライバルは、同じトリノを本拠地とするユヴェントスである。両チームの対戦は「デルビー・デラ・モーレ(Mole Derby)」と呼ばれ、イタリアで最も有名なダービーマッチの一つである。