イタリア セリエA 04/28 10:30 34 [1] インテル v トリノ [10] L 2-0
イタリア セリエA 04/21 13:00 33 [9] トリノ v フロジノーネ [18] D 0-0
イタリア セリエA 04/13 16:00 32 [9] トリノ v ユヴェントス [3] D 0-0
イタリア セリエA 04/06 18:45 31 [18] エンポリ v トリノ [9] L 3-2
イタリア セリエA 03/30 14:00 30 [11] トリノ v モンザ [10] W 1-0
イタリア セリエA 03/16 14:00 29 [13] ウディネーゼ v トリノ [11] W 0-2
イタリア セリエA 03/08 19:45 28 [7] ナポリ v トリノ [10] D 1-1
イタリア セリエA 03/02 19:45 27 [10] トリノ v フィオレンティーナ [7] D 0-0
イタリア セリエA 02/26 17:30 26 [6] ローマ v トリノ [10] L 3-2
イタリア セリエA 02/22 19:45 21 [10] トリノ v ラツィオ [8] L 0-2
イタリア セリエA 02/16 18:00 25 [10] トリノ v レッチェ [13] W 2-0
イタリア セリエA 02/10 19:45 24 [16] サッスオーロ v トリノ [10] D 1-1
イタリア セリエA 02/04 11:30 23 [10] トリノ v サレルニターナ [20] D 0-0
イタリア セリエA 01/26 19:45 22 [17] カリアリ v トリノ [10] W 1-2
イタリア セリエA 01/13 14:00 20 [12] ジェノア v トリノ [10] D 0-0
イタリア セリエA 01/07 14:00 19 [11] トリノ v ナポリ [8] W 3-0
イタリア セリエA 12/29 17:30 18 [5] フィオレンティーナ v トリノ [10] L 1-0
イタリア セリエA 12/23 14:00 17 [10] トリノ v ウディネーゼ [17] D 1-1
イタリア セリエA 12/16 19:45 16 [11] トリノ v エンポリ [18] W 1-0
イタリア セリエA 12/10 11:30 15 [12] フロジノーネ v トリノ [10] D 0-0
イタリア セリエA 12/04 19:45 14 [12] トリノ v アタランタ [8] W 3-0
イタリア セリエA 11/27 19:45 13 [8] ボローニャ v トリノ [12] L 2-0
イタリア セリエA 11/11 19:45 12 [9] モンザ v トリノ [12] D 1-1
イタリア セリエA 11/06 19:45 11 [13] トリノ v サッスオーロ [14] W 2-1
コッパ・イタリア 11/02 20:00 5 トリノ v フロジノーネ L 1-2
イタリア セリエA 10/28 16:00 10 [10] レッチェ v トリノ [15] W 0-1
イタリア セリエA 10/21 16:00 9 [14] トリノ v インテル [2] L 0-3
イタリア セリエA 10/07 16:00 8 [4] ユヴェントス v トリノ [11] L 2-0
イタリア セリエA 10/02 16:30 7 [11] トリノ v ヴェローナ [14] D 0-0
イタリア セリエA 09/27 18:45 6 [15] ラツィオ v トリノ [9] L 2-0

Wikipedia - トリノFC

トリノ・フットボール・クラブTorino Football Club S.p.A.)は、イタリア・ピエモンテ州トリノをホームタウンとするプロサッカークラブ。セリエAで優勝7回の実績を持つ古豪である。

History

1906年12月3日にFCトリノ (Foot Ball Club Torino) として創設された。イタリアがファシスト党の独裁下にあった1936年に、イタリア語を使用したACトリノ (Associazione Calcio Torino) へと改められ、その後1970年にトリノ・カルチョ (Torino Calcio) に改称。

1942年から1949年にかけてセリエAで5連覇し、「グランデ・トリノ(偉大なるトリノ)」と呼ばれた。しかし、その最後の優勝は悲劇的なものであった。1948-49シーズンも残りわずかと言う所で首位に立っていたトリノは、ポルトガルのクラブとの親善試合を終えてイタリアに帰る途中、乗っていた飛行機がスペルガの丘に墜落。監督を含めチームのほとんど全員が死亡した(スペルガの悲劇)。この事故以降の4試合はトリノはユースチームで戦い、対戦相手もユースチームで対抗した。この年優勝したのはトリノであったが、1959-60シーズンにはセリエB降格も経験している。

1975-76シーズンにはルイージ・ラディーチェ監督の指揮下、パオロ・プリーチ、レナート・ザッカレッリらを擁し、約27振りのリーグ優勝を果たした。翌1976-77シーズンはリーグ2位、ジュニオール、ドッセーナらが在籍した、1984-85シーズンもリーグ第2位に終わった。

1991-92シーズンにはエンツォ・シーフォらを擁し、UEFAカップ決勝に進出、初のヨーロッパタイトル獲得を目指したが、アヤックスに2-2、0-0と2試合ドローとしながら、レギュレーションにより優勝を逃した。1992-93シーズンは決勝でASローマを破ってコッパ・イタリアを獲得した。

ユヴェントスFCとのダービーマッチは、デルビー・デッラ・モーレ (Derby della Mole) と呼ばれる。ユヴェントスはトリノを中心に全世界的な人気であるが、トリノ市内及び近郊では、トリノの方が人気が高い。

トリノ・フットボール・クラブ(Torino Football Club)は、イタリア・トリノを本拠地とするサッカークラブ。略称はトリノ。

1906年に創立されたトリノは、イタリアでも屈指の古豪クラブであり、セリエAにおいて7度の優勝を誇る。また、コッパ・イタリアも5度、スーペルコッパ・イタリアーナを1度制覇している。

伝統的なホームカラーは「グランデ・トロ」とも呼ばれる、マルーンと白の縦縞のユニフォームである。エンブレムは、クラブの設立当初から、サッカーボールの上に「トリノ」の頭文字である「T」の文字が描かれている。

トリノは、1940年代から1950年代にかけて「グランデ・トリノ」と呼ばれた黄金期を迎え、1946-47シーズンから1948-49シーズンまでセリエA3連覇を達成した。また、1949年5月4日のスペルガの丘の悲劇で多くの選手を亡くしたが、その後もセリエAで優勝を果たし、1970年代にはUEFAカップでも準優勝した。

トリノは、ホームスタジアムであるスタディオ・オリンピコ・ディ・トリノをユヴェントスと共用している。収容人数は約27,994人である。

トリノのライバルは、同じトリノを本拠地とするユヴェントスである。両チームの対戦は「デルビー・デラ・モーレ(Mole Derby)」と呼ばれ、イタリアで最も有名なダービーマッチの一つである。