イタリア セリエA 03/14 14:00 27 [18] トリノ v インテル [1] L 1-2
イタリア セリエA 03/07 14:00 26 [20] クロトーネ v トリノ [18] L 4-2
イタリア セリエA 03/02 17:30 25 [7] ラツィオ v トリノ [17] - Postponed
イタリア セリエA 02/26 19:45 24 トリノ v サッスオーロ - Postponed
イタリア セリエA 02/19 19:45 23 [18] カリアリ v トリノ [17] W 0-1
イタリア セリエA 02/13 14:00 22 [17] トリノ v ジェノア [12] D 0-0
イタリア セリエA 02/06 14:00 21 [7] アタランタ v トリノ [17] D 3-3
イタリア セリエA 01/29 19:45 20 [17] トリノ v フィオレンティーナ [12] D 1-1
イタリア セリエA 01/22 19:45 19 [11] ベネヴェント v トリノ [18] D 2-2
イタリア セリエA 01/16 17:00 18 [18] トリノ v スペツィア [14] D 0-0
コッパ・イタリア 01/12 19:45 4 ACミラン v トリノ L 5-4
イタリア セリエA 01/09 19:45 17 [1] ACミラン v トリノ [17] L 2-0
イタリア セリエA 01/06 14:00 16 [17] トリノ v ヴェローナ [8] D 1-1
イタリア セリエA 01/03 14:00 15 [16] パルマ v トリノ [20] W 0-3
イタリア セリエA 12/23 19:45 14 [3] ナポリ v トリノ [19] D 1-1
イタリア セリエA 12/20 11:30 13 [19] トリノ v ボローニャ [13] D 1-1
イタリア セリエA 12/17 19:45 12 [6] ローマ v トリノ [19] L 3-1
イタリア セリエA 12/12 17:00 11 [18] トリノ v ウディネーゼ [14] L 2-3
イタリア セリエA 12/05 17:00 10 [4] ユヴェントス v トリノ [18] L 2-1
イタリア セリエA 11/30 17:30 9 [18] トリノ v サンプドリア [12] D 2-2
コッパ・イタリア 11/26 13:00 10 トリノ v ヴィルトゥス・エンテッラ W 2-0
イタリア セリエA 11/22 14:00 8 [8] インテル v トリノ [17] L 4-2
イタリア セリエA 11/08 14:00 7 [18] トリノ v クロトーネ [20] D 0-0
イタリア セリエA 11/04 16:00 3 [15] ジェノア v トリノ [19] W 1-2
イタリア セリエA 11/01 14:00 6 [19] トリノ v ラツィオ [11] L 3-4
コッパ・イタリア 10/28 13:00 9 トリノ v レッチェ W 3-1
イタリア セリエA 10/23 18:45 5 [2] サッスオーロ v トリノ [20] D 3-3
イタリア セリエA 10/18 13:00 4 [19] トリノ v カリアリ [17] L 2-3
イタリア セリエA 10/03 16:00 3 ジェノア v トリノ - Postponed
イタリア セリエA 09/26 13:00 2 [15] トリノ v アタランタ [9] L 2-4

Wikipedia - トリノFC

トリノ・フットボール・クラブTorino Football Club S.p.A.)は、イタリア・ピエモンテ州トリノをホームタウンとするプロサッカークラブ。セリエAで優勝7回の実績を持つ古豪である。

History

1906年12月3日にFCトリノ (Foot Ball Club Torino) として創設された。イタリアがファシスト党の独裁下にあった1936年に、イタリア語を使用したACトリノ (Associazione Calcio Torino) へと改められ、その後1970年にトリノ・カルチョ (Torino Calcio) に改称。

1942年から1949年にかけてセリエAで5連覇し、「グランデ・トリノ(偉大なるトリノ)」と呼ばれた。しかし、その最後の優勝は悲劇的なものであった。1948-49シーズンも残りわずかと言う所で首位に立っていたトリノは、ポルトガルのクラブとの親善試合を終えてイタリアに帰る途中、乗っていた飛行機がスペルガの丘に墜落。監督を含めチームのほとんど全員が死亡した(スペルガの悲劇)。この事故以降の4試合はトリノはユースチームで戦い、対戦相手もユースチームで対抗した。この年優勝したのはトリノであったが、1959-60シーズンにはセリエB降格も経験している。

1975-76シーズンにはルイージ・ラディーチェ監督の指揮下、パオロ・プリーチ、レナート・ザッカレッリらを擁し、約27振りのリーグ優勝を果たした。翌1976-77シーズンはリーグ2位、ジュニオール、ドッセーナらが在籍した、1984-85シーズンもリーグ第2位に終わった。

1991-92シーズンにはエンツォ・シーフォらを擁し、UEFAカップ決勝に進出、初のヨーロッパタイトル獲得を目指したが、アヤックスに2-2、0-0と2試合ドローとしながら、レギュレーションにより優勝を逃した。1992-93シーズンは決勝でASローマを破ってコッパ・イタリアを獲得した。

ユヴェントスFCとのダービーマッチは、デルビー・デッラ・モーレ (Derby della Mole) と呼ばれる。ユヴェントスはトリノを中心に全世界的な人気であるが、トリノ市内及び近郊では、トリノの方が人気が高い。

トリノ・フットボール・クラブ(Torino Football Club)は、イタリア・トリノを本拠地とするサッカークラブ。略称はトリノ。

1906年に創立されたトリノは、イタリアでも屈指の古豪クラブであり、セリエAにおいて7度の優勝を誇る。また、コッパ・イタリアも5度、スーペルコッパ・イタリアーナを1度制覇している。

伝統的なホームカラーは「グランデ・トロ」とも呼ばれる、マルーンと白の縦縞のユニフォームである。エンブレムは、クラブの設立当初から、サッカーボールの上に「トリノ」の頭文字である「T」の文字が描かれている。

トリノは、1940年代から1950年代にかけて「グランデ・トリノ」と呼ばれた黄金期を迎え、1946-47シーズンから1948-49シーズンまでセリエA3連覇を達成した。また、1949年5月4日のスペルガの丘の悲劇で多くの選手を亡くしたが、その後もセリエAで優勝を果たし、1970年代にはUEFAカップでも準優勝した。

トリノは、ホームスタジアムであるスタディオ・オリンピコ・ディ・トリノをユヴェントスと共用している。収容人数は約27,994人である。

トリノのライバルは、同じトリノを本拠地とするユヴェントスである。両チームの対戦は「デルビー・デラ・モーレ(Mole Derby)」と呼ばれ、イタリアで最も有名なダービーマッチの一つである。