ブラジル セリエA 08/05 22:00 19 [1] コリンチャンス v スポルチレシフェ [6] W 3-1
ブラジル セリエA 08/03 00:00 18 [10] アトレチコミネイロ v コリンチャンス [1] W 0-2
ブラジル セリエA 07/30 19:00 17 [1] コリンチャンス v CRフラメンゴ [5] D 1-1
コパ・スダメリカーナ 07/27 00:45 8 コリンチャンス v パトリオタスFC W 2-0
ブラジル セリエA 07/23 19:00 16 [10] フルミネンセ v コリンチャンス [1] W 0-1
ブラジル セリエA 07/20 00:00 15 [17] アヴァイ v コリンチャンス [1] D 0-0
ブラジル セリエA 07/15 22:00 14 [1] コリンチャンス v CAパラナエンセPR [14] D 2-2
ブラジル セリエA 07/13 00:45 13 [5] パルメイラス v コリンチャンス [1] W 0-2
ブラジル セリエA 07/08 22:00 12 [1] コリンチャンス v ポンチプレッタ [11] W 2-0
ブラジル セリエA 07/02 19:00 11 [1] コリンチャンス v ボタフォゴ [7] W 1-0
コパ・スダメリカーナ 06/29 00:45 8 パトリオタスFC v コリンチャンス D 1-1
ブラジル セリエA 06/25 19:00 10 [2] グレミオ v コリンチャンス [1] W 0-1
ブラジル セリエA 06/22 22:30 9 [1] コリンチャンス v バイーア [14] W 3-0
ブラジル セリエA 06/18 14:00 8 [3] コリチーバ v コリンチャンス [1] D 0-0
ブラジル セリエA 06/15 00:45 7 [1] コリンチャンス v クルゼイロ [6] W 1-0
ブラジル セリエA 06/11 19:00 6 [1] コリンチャンス v サンパウロ [7] W 3-2
ブラジル セリエA 06/08 00:45 5 [11] ヴァスコ・ダ・ガマ v コリンチャンス [3] W 2-5
ブラジル セリエA 06/03 22:00 4 [3] コリンチャンス v サントス [15] W 2-0
ブラジル セリエA 05/28 19:00 3 [20] アトレティコ・ゴイアニエンセ v コリンチャンス [9] W 0-1
ブラジル セリエA 05/21 19:00 2 [15] ヴィトーリア v コリンチャンス [13] W 0-1
ブラジル セリエA 05/13 22:00 1 [3] コリンチャンス v シャペコエンセ [3] D 1-1
コパ・スダメリカーナ 05/11 00:45 7 CFウニベルシダ・デ・チレ v コリンチャンス W 1-2
ブラジル カンピオナート・パウリスタ 05/07 19:00 1 [1] コリンチャンス v ポンチプレッタ [2] D 1-1
ブラジル カンピオナート・パウリスタ 04/30 19:00 1 [2] ポンチプレッタ v コリンチャンス [1] W 0-3
ブラジル カンピオナート・パウリスタ 04/23 19:00 2 コリンチャンス v サンパウロ D 1-1
コパ・ド・ブラジル 04/20 00:45 10 コリンチャンス v インテルナシオナル・デ・ラジェス SC L 4-5
ブラジル カンピオナート・パウリスタ 04/16 22:00 2 サンパウロ v コリンチャンス W 0-2
コパ・ド・ブラジル 04/13 00:45 10 インテルナシオナル・デ・ラジェス SC v コリンチャンス D 1-1
ブラジル カンピオナート・パウリスタ 04/09 19:00 3 [1] コリンチャンス v ボタフォゴSP [2] W 1-0
コパ・スダメリカーナ 04/06 00:45 7 コリンチャンス v CFウニベルシダ・デ・チレ W 2-0

SCコリンチャンス・パウリスタ (ポルトガル語: Sport Club Corinthians Paulista) 、通称コリンチャンス (Corinthians) は、ブラジル・サンパウロ州サンパウロを本拠地とする総合スポーツクラブである。この項ではサッカークラブを中心に記述する。

History

1910年9月1日、SCコリンチャンス・パウリスタは5人の若い労働者たちによってサンパウロ近郊のボン・レチーロで設立された。クラブ名は1910年の設立当時に、ブラジル遠征で圧倒的な強さを誇っていたイングランドのサッカークラブ、「コリンシアンズFC」に由来する。当初のチームカラーはクリーム色だったが、後に入手が容易な白に変わったという。なお、「コリンチャンス」は「コリント人」という意味で、ニックネームのチモンは「偉大なチーム」の意。

初期のマークは「C」と「P」の組み合わせであった。1919年より代わりにサンパウロ州旗をモチーフに使用するようになり、1939年以降は赤い錨・櫂(オール)と組み合わさって出来た。

1990年代にはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(1990・1998・1999年)とブラジルカップ(1995年)で4度の国内タイトルを獲得。2000年にヴァスコ・ダ・ガマをPK戦で下してFIFA世界クラブ選手権の初代王者となった。2004年にイラン人オーナーのキア・ジョーラブチアン率いる投資ファンド MSI (Media Sports Investment) と資本提携を結び、ヨーロッパのビッグクラブに匹敵する資金力を誇るクラブとなり、2005年に4回目のブラジル全国選手権優勝を手にした。しかし、MSIと経営陣との間では対立が続き、オーナーのキアの逮捕、及び投資に問題があるなど警察沙汰になり2007年に関係は解消された。そのため獲得していた殆どのレギュラー選手が売られ、補欠・ジュニアチームで挑んだ2007年のセリエAでは17位と低迷し、クラブの歴史上初めてのセリエB降格が決定した。2008年にはコパ・ド・ブラジルで決勝進出を果たし、セリエBでも優勝を果たして1年でセリエAへの復帰を決めた。2009年には元ブラジル代表のロナウドを獲得して話題を集め、カンピオナート・パウリスタ、コパ・ド・ブラジルの2冠を達成。2012年にコパ・リベルタドーレスのタイトルを獲得し、同年のFIFAクラブワールドカップ2012では決勝でチェルシーFCを1-0で下して2回目の世界王者となった。

2022年には前項のFIFAワールドカップ2012の世界王者から10周年を記念した、日本語のユニフォームを作成した。シャツには 『Aqui é Corinthians.』を日本語に訳した「これがコリンチャンスです。」を縦書きで書き連ね、各選手の背ネームをカタカナで表示した。

コリンチャンス(ポルトガル語: Sport Club Corinthians Paulista)は、ブラジルのサンパウロにあるプロサッカークラブ。1910年9月1日に創設された。ブラジル全国選手権(セリエA)とサンパウロ州選手権(カンピオナート・パウリスタ)をそれぞれ11回、サンパウロ州リーグ(カンピオナート・パウリスタ)を30回制しており、カンピオナート・パウリスタでは最多優勝記録を保持している。また、コパ・ド・ブラジルを3回、リベルタドーレス杯を1回、FIFAクラブワールドカップを2回制覇している。

コリンチャンスは、1990年代から2000年代にかけて、ロベルト・カルロス、リバウド、ロナウジーニョ、カカ、アドリアーノなど、多くのブラジル代表選手を輩出した。また、2000年には、国際サッカー連盟(FIFA)が選定した20世紀のクラブチームランキングで3位に選ばれた。

コリンチャンスは、ブラジルで最も人気のあるサッカークラブのひとつであり、アレーナ・コリンチャンスを本拠地としている。アレーナ・コリンチャンスは、2014年のFIFAワールドカップブラジル大会の会場のひとつとして使用された。

コリンチャンスのライバルは、サンパウロFC、パルメイラス、サントスFCである。これらのクラブとの対戦は、ダービーマッチと呼ばれ、非常に盛り上がる。