ポーランド IIリーガ | 04/23 15:00 | 27 | ラドミアックラドム v KS ROW 1964リブニク | D | 1-1 | |
ポーランド IIリーガ | 04/03 13:00 | 24 | ラドミアックラドム v コトフィッツァ・コウォブジェク | L | 0-1 | |
ポーランド IIリーガ | 03/26 11:00 | 23 | レギオノヴィア・レギオノヴォ v ラドミアックラドム | D | 1-1 | |
ポーランド IIリーガ | 03/19 14:00 | 22 | ラドミアックラドム v グリフベジヘロボ | W | 2-1 | |
ポーランド IIリーガ | 03/12 12:00 | 21 | ブレキトゥニ・スタルガルト v ラドミアックラドム | L | 1-0 | |
ポーランド IIリーガ | 03/05 14:00 | 20 | ラドミアックラドム v ラコフ・チェンストホヴァ | W | 1-0 | |
ポーランド IIリーガ | 11/28 12:00 | 19 | スタル・スタロバ・ボラ v ラドミアックラドム | W | 2-3 | |
ポーランド IIリーガ | 11/21 14:00 | 18 | ズニチプルシュクフ v ラドミアックラドム | L | 4-2 | |
ポーランド IIリーガ | 11/15 12:00 | 17 | ラドミアックラドム v MKSプシュツァ・ニエポウォミツェ | D | 0-0 | |
ポーランド IIリーガ | 11/07 17:00 | 16 | ポロニアビトム v ラドミアックラドム | L | 2-1 | |
ポーランド IIリーガ | 10/31 12:00 | 15 | ラドミアックラドム v GKSティヒ71 | W | 1-0 | |
ポーランド IIリーガ | 10/24 12:00 | 14 | Olimpia Zambrow v ラドミアックラドム | L | 3-1 | |
ポーランド IIリーガ | 10/18 12:00 | 13 | ラドミアックラドム v ヴィスワプワヴィ | L | 1-2 | |
ポーランド IIリーガ | 10/10 14:00 | 12 | スタル・ミェレツ v ラドミアックラドム | D | 1-1 | |
ポーランド IIリーガ | 10/04 13:00 | 11 | ラドミアックラドム v シアルカ・タルノブジェク | W | 4-0 | |
ポーランド IIリーガ | 09/26 15:00 | 10 | KS ROW 1964リブニク v ラドミアックラドム | W | 0-3 | |
ポーランド IIリーガ | 09/05 16:00 | 7 | コトフィッツァ・コウォブジェク v ラドミアックラドム | D | 0-0 | |
ポーランド IIリーガ | 08/30 14:00 | 6 | ラドミアックラドム v レギオノヴィア・レギオノヴォ | L | 1-2 | |
ポーランド IIリーガ | 08/26 16:00 | 5 | グリフベジヘロボ v ラドミアックラドム | W | 0-1 | |
ポーランド IIリーガ | 08/21 15:00 | 4 | ラドミアックラドム v ブレキトゥニ・スタルガルト | W | 2-0 | |
ポーランド IIリーガ | 08/16 15:00 | 3 | ラコフ・チェンストホヴァ v ラドミアックラドム | L | 3-2 | |
ポーランド IIリーガ | 08/08 15:00 | 2 | ラドミアックラドム v スタル・スタロバ・ボラ | W | 2-0 | |
ポーランド IIリーガ | 08/02 15:00 | 1 | ラドミアックラドム v ズニチプルシュクフ | D | 0-0 | |
欧州親善試合 | 07/22 09:00 | - | ラドミアックラドム v モータールブリン | W | 1-0 |
ラドミアク・スプウカ・アクツィイナ(Radomiak Spółka Akcyjna (Radomiak S.A.)、通称ラドミアク・ラドム(Radomiak Radom)は、ポーランド中東部、マゾフシェ県の都市ラドムをホームタウンとする、ポーランドプロサッカーリーグ(エクストラクラサ)に加盟するプロサッカークラブ。愛称はグリーンズ(Greens)。
1910年、サイクリング、テニス、スケート、体操のセクションと共に、帝政当局から許可を得てラドムスポーツ協会が設立された。1年後、サッカーチームは最初の試合を行い、ワルシャワチームに5対2で敗北した。なおこの試合では、選手たちはそれぞれの個人の服を着用し、普通の靴を履いてプレーしていた。第一次世界大戦で活動を中断した後の1921年、スポーツ協会の構造が崩壊し、ラドムスキーコウォスポルトウェ(協会の活動継続者)とチャルニの2クラブに分かれた。
1924年、ワルシャワ地区のクラスBに昇格。1年後、トップクラスに昇格。1928年、ポーランドサッカー協会により創立された、ラドム、キエルツェ、チェストンホバ、ザグウェンビエを地域とする新たなサッカー地区で1932年、翌年1932年に地区2位の成績を残した。その後、1939年からの第二次世界大戦により、多くの有力選手やクラブに携わる人々が死亡した。
6年ぶりとなる戦後最初のゲームは、ブラックカウンシルに1対3で敗北した。1954年、クラスBに降格。これにより大幅に資金が削減されたこともあり、クラブは1960年代半ばに活動を休止。1945年に設立されたラドミアク・ラドムが伝統を引き継いだ。
1945年4月7日、「バタ」スポーツクラブが設立された。同年7月13日、ラドミアクスポーツクラブに名前が変更された。当時靴工場のマネージングディレクターを務めていたウウォジミェシュ・スキビンスキがクラブの名誉会長となった。彼がクラブ名、紋章、白、緑の色を決定した。
1967年、ラドムスポーツクラブとラドミアクスポーツクラブが合併し、ラドムスポーツクラブ「ラドミアク」が誕生した。1969年と1972年に第2リーグに昇格したが、どちらも1シーズンで降格となった。再度昇格した1976/1977シーズンでは5位、1982/1983シーズンは秋季ラウンドチャンピオン、春季は第2グループ3位となった。
1983/1984シーズンに、第2リーグ首位でシーズンを終え、第1リーグへの昇格を果たした。初の第1リーグ昇格であるこのシーズンは当時の会長リシャルト・アントニエヴィッチの積極的な補強の効果もあり、秋のラウンドの後では5位となったが、春から大幅に勝ち点を落とした結果、15位となり第2リーグ降格となった。
第2リーグに降格後の数年間は下降傾向を止めることができず、1989年には第3リーグに降格、さらに1991年には第4リーグに降格した。その後も昇格と降格を繰り返した。
2008年、協会は債務のために破産を宣告され、代わりに株式会社が設立された。チームは新しい第4リーグ(以前の第5リーグに相当)でプレーするライセンスを取得し、史上初めて第5リーグティアでの試合に参加した。2008/2009シーズンに1位でシーズンを終え直接第3リーグに昇格した。2年後、2010/2011シーズンに1位でシーズンを終え第2リーグに昇格した。その後第3リーグに降格することもあったが、2018/2019シーズンには第1リーグに昇格した。そして遂に2021/2022シーズンに第1リーグで1位となり、36年ぶりにエクストラクラサに昇格した。