国際試合 女子 07/25 14:00 - ポーランド女子 v ベルギー女子 W 3-0
国際試合 女子 07/24 14:30 - ドイツ女子 v ポーランド女子 L 3-2
国際試合 女子 07/19 18:00 - ポーランド女子 v チェコ共和国女子 W 3-0
FIVBネーションズリーグ女子 07/04 07:00 2 [3] ブラジル女子 v ポーランド女子 [2] L 3-2
FIVBネーションズリーグ女子 07/03 07:00 1 アメリカ女子 v ポーランド女子 L 3-1
FIVBネーションズリーグ女子 06/20 08:00 1 [16] 韓国女子 v ポーランド女子 [6] L 3-1
FIVBネーションズリーグ女子 06/19 04:30 1 [6] ポーランド女子 v ドミニカ共和国女子代表 [9] W 3-2
FIVBネーションズリーグ女子 06/18 04:30 1 [6] 日本女子 v ポーランド女子 [7] W 1-3
FIVBネーションズリーグ女子 06/13 08:00 1 [2] トルコ女子 v ポーランド女子 [6] L 3-2
FIVBネーションズリーグ女子 06/12 08:00 1 [6] ポーランド女子 v アメリカ女子 [5] L 1-3
FIVBネーションズリーグ女子 06/11 12:00 1 [4] 中国女子 v ポーランド女子 [5] L 3-0
FIVBネーションズリーグ女子 06/06 15:15 1 [5] ポーランド女子 v ロシア [15] W 3-2
FIVBネーションズリーグ女子 06/05 18:15 1 [9] ベルギー女子 v ポーランド女子 [5] W 1-3
FIVBネーションズリーグ女子 06/04 15:15 1 [8] セルビア女子 v ポーランド女子 [5] L 3-0
FIVBネーションズリーグ女子 05/30 14:30 1 [4] ポーランド女子 v オランダ女子 [10] W 3-1
FIVBネーションズリーグ女子 05/29 14:30 1 [3] ポーランド女子 v ブラジル女子 [5] W 3-2
FIVBネーションズリーグ女子 05/28 14:30 1 [15] ブルガリア女子 v ポーランド女子 [4] W 1-3
FIVBネーションズリーグ女子 05/23 18:30 1 [10] タイ女子 v ポーランド女子 [7] W 0-3
FIVBネーションズリーグ女子 05/22 18:30 1 [9] ポーランド女子 v ドイツ女子 [12] W 3-1
FIVBネーションズリーグ女子 05/21 18:30 1 [3] ポーランド女子 v イタリア女子 [3] L 2-3
モントルーバレーボールマスターズ女子、プレイオフ 05/18 15:15 1 [1] ポーランド女子 v 日本女子 [2] W 3-1
モントルーバレーボールマスターズ女子、プレイオフ 05/17 16:45 2 [1] ポーランド女子 v タイ女子 [2] W 3-0
モントルーバレーボールマスターズ女子、プレイオフ 05/16 16:45 1 [4] ドイツ女子 v ポーランド女子 [3] W 1-3
モントルーバレーボールマスターズ女子、プレイオフ 05/15 14:30 1 [3] 中国女子 v ポーランド女子 [1] L 3-1
モントルーバレーボールマスターズ女子、プレイオフ 05/14 19:15 1 [3] ポーランド女子 v 日本女子 [1] W 3-1
モントルーバレーボールマスターズ女子、プレイオフ 09/08 11:00 31 [3] 中国女子 v ポーランド女子 [3] L 3-1
モントルーバレーボールマスターズ女子、プレイオフ 09/07 16:45 1 [3] ロシア v ポーランド女子 [1] L 3-0
モントルーバレーボールマスターズ女子、プレイオフ 09/06 19:15 1 [4] カメルーン女子 v ポーランド女子 [3] W 0-3
モントルーバレーボールマスターズ女子、プレイオフ 09/05 19:15 1 [1] ブラジル女子 v ポーランド女子 [4] W 2-3
国際試合 女子 08/18 15:00 - ポーランド女子 v スロバキア女子 - View

バレーボールポーランド女子代表(バレーボールポーランドじょしだいひょう、ポーランド語: Reprezentacja Polski w piłce siatkowej kobiet)は、バレーボールの国際大会で編成されるポーランドの女子バレーボールナショナルチームである。

History

1947年に国際バレーボール連盟へ加盟。同年ポーランド女子ナショナルチームが編成された。初めて出場した国際試合はチェコスロバキアに1-3で敗れたが[]、すぐに強豪国の仲間入りをし、1950年代から1960年代にかけてオリンピックで2大会連続銅メダル、世界選手権で3度メダルを獲得した。

1970年以降はメダルからは遠ざかっていたが、2003年欧州選手権で優勝するとその年に開催されたワールドカップではマウゴジャータ・グリンカが活躍し大会MIPを獲得した。2004年のアテネ五輪へは出場できなかったが、ワールドグランプリに初出場した。続く2005年欧州選手権で2連覇を達成した。この結果から同年11月のワールドグランドチャンピオンズカップにヨーロッパ大陸代表として出場し、4位となる。しかし、2006年のワールドグランプリで最下位に終わり、ニエムチック監督が退き、同年の世界選手権には当時のコーチが監督として指揮を渡り15位タイに終わった。

2007年、イタリアを2002年世界選手権優勝に導いたマルコ・ボニッタが代表監督に就任。2007年ワールドグランプリでは予選ラウンドで日本、イタリア、ロシアなどの強豪を降し決勝ラウンドに進出、大会を6位で終えた。欧州選手権は4位に終わったがFIVBのワールドカードに指名され、2007年ワールドカップに出場した。

2008年1月の北京オリンピック欧州予選ではロシアに敗れ2位に終わったものの、同年5月の世界最終予選の切符を取得。5月24日のセルビア戦でフルセットの末に勝利し、40年ぶりのオリンピック出場を果した。同年8月の北京五輪には予選ラウンドでアメリカ、日本とフルセットの激闘を演じるも敗戦し9位で同大会を終えた。

2009年からマトラク監督が就任し、同年のトリノ国際で優勝、ヨーロッパ選手権を地元開催し銅メダルに輝いた。また、2010年のワールドグランプリで予選ラウンドを7勝2敗の3位の成績で3年ぶりに決勝ラウンドへ進出した。決勝ラウンドでは日本に勝利するも6位となった。同年の世界選手権には1次ラウンドで日本、セルビアに敗れて3位通過、2次ラウンドから調子を上げ最終戦で中国を破り9位となった。

2011年以降は主力選手が揃わず苦戦を強いられる。同年ヨーロッパ選手権で5位とメダルに届かず、ロンドンオリンピックへは大陸予選で敗退し、出場権を逃した。