Wikipedia - タイ・ホンダFC

タイ・ホンダ・フットボールクラブ(タイ語: สโมสรฟุตบอลไทยฮอนด้า, 英語: Thai Honda Football Club)は、タイ王国のバンコクをホームタウンとするサッカークラブ。本田技研工業の二輪車現地法人であるAPホンダがスポンサーに付いていた。

History

1971年(仏滅紀元2514年)、タイ・ホンダFCはAPホンダの従業員のサッカーチームとして誕生した。1995年(2538年)、公式にタイ・ホンダFCが創設された。

2002年、当時5部リーグのNgor Royal Cup(タイ語: ถ้วย พระราชทาน ง)で2位になった。2003年に同4部リーグのKhor Royal Cup(タイ語: ถ้วย พระราชทาน ค)、2004年に同3部リーグのKhǒr Royal Cup(タイ語: ถ้วย พระราชทาน ข)で優勝した。

2005年、タイ・ディヴィジョン1リーグで2位になり、クラブ初のタイ・プレミアリーグ昇格を果たした。

2008年、ディヴィジョン1リーグで降格圏の13位に終わったが、プレミアリーグからディヴィジョン1リーグへ降格が決まったバンコク・バンクFCが撤退したため、降格圏の4チームによる残留プレーオフが実施された。タイ・ホンダは優勝し、ディヴィジョン1リーグ残留を決めた。また、リージョナルリーグ・ディヴィジョン2からディヴィジョン1リーグへ昇格が決まっていたアーミー・ウエルフェアー・デパートメントFCも撤退したため、プレーオフ準優勝のナコーンサワンFCも残留が決まった。

2009年、滝雅美が監督に就任し、タイ・リーグ史上初の日本人監督となった。

2010年、エンブレムはウイングマークが取り入れられた鷲のデザインに変更された。ウイングマークはHondaブランドのオートバイで採用されている。同年、滝が監督を退任。翌2011年はディヴィジョン1リーグ18位でディヴィジョン2に降格してしまう。

2012年、リージョナルリーグ・ディヴィジョン2のバンコク地域リーグで優勝した。しかし、チャンピオンズリーグではグループBの5位に終わり、ディヴィジョン1リーグ昇格を逃した。

2014年、滝が再び監督に就任。バンコク地域リーグで2回目の優勝を果たした。チャンピオンズリーグのグループBでも優勝し、4シーズンぶりのディヴィジョン1リーグ復帰を決めた。優勝決定戦ではグループA優勝のプラチュワップFCに2戦合計1-1(アウェーゴール)で敗れた。

滝が監督を退任してゼネラルマネージャーに就任した2016年はディヴィジョン1リーグ優勝を果たす。10年ぶりにタイ・リーグ1への復帰を果たした2017年にはホンダの工場があるラートクラバン区にちなんで、クラブ名を「タイ・ホンダ・ラートクラバン・フットボールクラブ」(タイ語: ไทยฮอนด้า ลาดกระบัง เอฟซี、英語: Thai Honda Ladkrabang Football Club)に改称した。しかし、この年は滝をはじめとして日本人スタッフのほとんどが退団し、リーグでは16位に終わって1年で再びタイ・リーグ2に降格となった。翌2018年には再びクラブ名をタイ・ホンダに戻した。

2019年シーズン終了後、財政難によってクラブは活動を休止。

タイランド・ホンダFC(タイ語: สโมสรฟุตบอลไทยฮอนด้า)は、タイ中部アユタヤ県をホームタウンとするサッカークラブであり、タイ・リーグ2に所属している。

クラブは2006年にホンダのタイ法人であるタイホンダ株式会社(現・本田技研工業タイランド)をスポンサーとして創設された。2010年にはタイ・ディヴィジョン1リーグ優勝を果たし、翌シーズンタイ・プレミアリーグ初昇格を果たす。その後は中位に甘んじていたが、2016年にはFAカップ初優勝を果たし、翌シーズンのAFCチャンピオンズリーグ初出場権を獲得した。

ホームスタジアムはアユタヤ県にあるホンダ・スタジアム。収容人数は約1万5000人。

クラブのエンブレムは、本田技研工業のロゴマークである「Honda」の文字と、タイ王国の国旗をモチーフにしたデザインになっている。


タイリーグ2におけるクラブの過去成績は次の通りである。

2019年:8位
2020/21年:10位
2021/22年:13位