スケジュール

JFL 04/28 04:00 - ミネベアミツミ vs ヴェルスパ大分 - View

結果

JFL 04/13 04:00 - ホンダFC v ミネベアミツミ L 3-0
JFL 04/07 04:00 - ミネベアミツミ v ソニー仙台FC D 0-0
JFL 03/31 04:00 - Atletico Suzuka Club v ミネベアミツミ W 0-1
JFL 03/24 04:00 - ミネベアミツミ v 栃木シティ L 0-2
JFL 03/17 04:00 - 横河武蔵野FC v ミネベアミツミ L 3-1
JFL 03/10 04:00 - ミネベアミツミ v ラインメール青森 D 1-1
JFL 11/18 04:00 - ブリオベッカ浦安SC v ミネベアミツミ L 4-1
JFL 11/11 04:00 - クリアソン新宿 v ミネベアミツミ L 4-1
JFL 11/05 04:00 - ミネベアミツミ v 高知ユナイテッドSC W 2-1
JFL 10/29 04:00 - ミネベアミツミ v FCマルヤス岡崎 D 0-0
JFL 10/21 04:00 - FCティアモ枚方 v ミネベアミツミ W 0-3
JFL 10/08 04:00 - ミネベアミツミ v 鈴鹿ポイントゲッターズ L 0-1

Stats

 TotalHomeAway
Matches played 23 11 12
Wins 5 3 2
Draws 8 4 4
Losses 10 4 6
Goals for 27 10 17
Goals against 38 12 26
Clean sheets 6 3 3
Failed to score 7 4 3

ミネベアミツミFCMinebeaMitsumi FC)は、宮崎県宮崎市を本拠地とする、ミネベアミツミの子会社・ミネベア アクセスソリューションズの運営する社会人サッカークラブ(実業団)。正式名称は「ミネベアミツミフットボールクラブ」である。

2023年にホンダロックSC(株式会社ホンダロックサッカー部)から改称した。

History

2003年以前
宮崎県サッカーリーグ時代には通算11回の優勝を果たしている。
2004年
九州サッカーリーグで初優勝し、JFL昇格を懸けた第28回全国地域リーグ決勝大会に進出するが3位に終わった。当初の昇格条件である2位以内(JFL下位との入れ替え戦出場)に入れなかったが、大塚製薬・ザスパ草津のJリーグ加盟と国士舘大学サッカー部の不祥事によるJFL脱退で3位までが自動昇格となったことにより2005年度からのJFL昇格が決まった。
宮崎県代表として出場した第84回天皇杯ではJ2・コンサドーレ札幌に敗退。
2005年
JFL昇格初戦は浜松市にある本田技研本社のチーム、Honda FCとの「ホンダ・ダービー」となった。このシーズンは15位に終わったが、大串良秀が1シーズン4本のフリーキックによるゴール(JFLタイ記録)を決めるなど、14得点の活躍を見せた。
2006年
前期は16位で折り返したが後期は思うように成績が伸びず、結局年間18位で入れ替え戦へ回り、地域リーグ決勝大会2位のFC岐阜を相手に第1戦0-4、第2戦1-4で連敗、2007年の九州リーグ降格が決定した。
2007年
3年ぶりの九州リーグ参戦となり、1年でのJFL復帰を目指した。最終節前の21節に勝利して首位を守り、この時点で地域リーグ決勝大会の出場権を確保した。しかし最終節のV・ファーレン長崎との試合では、終盤立て続けに2失点し、1-2で逆転負け。その前に行われた試合で勝利を収めていた2位のニューウェーブ北九州に逆転優勝を許すこととなった。最終成績が2位であったため、同年の全国地域リーグ決勝大会には出場したが、予選リーグで初戦グルージャ盛岡に勝利したものの2戦目で最終的に優勝(JFL昇格)したファジアーノ岡山FCに敗退し2位となったため決勝ラウンド進出を逃し、1年でのJFL復帰はならなかった。
2008年
序盤に一時首位に立つものの終盤失速し、3位に終わりリーグ戦での地域リーグ決勝大会の出場権を確保できなかった。しかし、10月の全国社会人サッカー選手権大会において3位になり、本年からこの大会の上位2チームに与えられる地域リーグ決勝大会出場権を繰り上げで獲得した。
11月22日から12月1日にかけて開催された地域リーグ決勝大会では、1次ラウンドA組を2勝1敗の首位で通過し、決勝ラウンドは1勝2敗の3位で終えた この年はJFLから3チームのJリーグ参入が決定したため、3位のホンダロックは入れ替え戦なしで3年ぶりのJFL復帰を達成した。
2009年
3年ぶりのJFL復帰。下馬評ではJFL残留争いだったが、得点こそ少ないものの守備が安定し、一部上位チームよりも少ない失点数で一時は中位まで順位を上げた時期もあった。第89回天皇杯に宮崎県代表として出場、2回戦ではJ2の東京Vから得たPKを前田悠佑が決め、東京Vの攻撃は持ち前の堅い守備で切り抜けて1-0で勝利し、8度目の出場で初めてJリーグクラブを倒し、かつ同大会ではJFL勢で唯一の3回戦進出チームとなった。3回戦ではJ1の名古屋に0-2で敗れた。リーグ戦も13位となり、過去最高順位で2009年を終えた。
2010年
宮崎県内での口蹄疫発生に伴い、感染拡大防止のため宮崎県内で開催しているホームゲームを5月下旬から中止・順延あるいは対戦チームのホームゲームとして開催に変更となった(順延となった試合は8月中に開催された)。また7月の2試合の主催試合も無観客試合(一般ファン立入禁止。会場も非公表→その後2011年2月に会場説明が解禁となり「フェニックスリゾート(シーガイア)イベントスペース」(宮崎市)で開催したと公表)とする処置をとった。詳細は2010年日本における口蹄疫の流行を参照。成績も決定力不足は相変わらずも守備は安定し、前年と同じ13位で終了した。
2011年
1月に口蹄疫からの復興として元日本代表の中田英寿率いる「TAKE ACTION F.C.」と対戦。釘崎康臣、麻生大治郎が得点を挙げ2-2とした。これまでチームに外国籍の選手はそれまでいなかったが、黄大俊(韓国籍)が初めて外国籍の選手での入団(入社)そして、チーム初となる天皇杯のJFLシード権を獲得した(東北大震災の影響により選出方法が変わり、前期7節から開始し、11試合を行なった時点での順位上位2チームにシード権だったため)。シーズン序盤でGK2人がケガにより戦線離脱しGKがいない事態となったが、コーチである川島正士が臨時で現場復帰している。この年、JFL参加してから1度も勝てていなかったHonda FCに後期第9節に3-2で初勝利。シーズン途中で監督の池田竜市が退任、後任にはコーチの城和憲(城彰二の弟)が昇格。前半戦は好調で首位争いに加わっていたが、後期に入ると連敗などで失速。しかし、過去最高位になる8位で終了。この年で長年ホンダロックSCを支えたDFの谷口研二、白川伸也、澤村憲司が現役引退した。
2012年
チームの要であったMF前田悠佑がV・ファーレン長崎、DF小原拓也がFC琉球へ移籍。この年入団セレクションは行われなかったものの、大学生の肝付・串間、セレッソU18から鶴崎を獲得。また各選手のポジションのコンバート(釘崎がFW専念、FW熊元がDFなど)など新体制で臨むものの、開幕から自己ワースト記録の10連敗を喫してしまう。復調の兆しを見せるも天皇杯宮崎県予選決勝にて宮崎産業経営大学に敗退、宮崎県代表として長く出場していたが、記録が途絶えた。リーグ戦は16位となり、本来なら地域リーグ決勝大会3位チームとの入れ替え戦となるが、SAGAWA SHIGA FCの活動休止・JFL脱退のため繰り上げでJFL残留となった。
2013年
川島正士が監督に就任。シーズン当初から低迷し最終節で最下位(18位)に落ちた。しかし、2014年よりJ3リーグ導入に伴い、10チームがJFLからJ3に加盟するためJFL残留となった。
2014年
井戸川一徹が監督に就任。長崎で行われた「長崎がんばらんば国体」サッカー成人の部として諏訪園・串間・宮路・原田・麻生がメンバー入り。35年ぶりの宮崎県勢では優勝に貢献。また、この年で首藤・麻生・山下・原田・釘崎らが現役を引退している(ただし、社業への専念・コーチへの転身などで会社自体には引き続き在籍している者も多い)。リーグ戦は10位で終えた。
2015年
井戸川体制2年目。入団セレクションは行われず、MF山田貴文・岡田峻・坂本翔 FW米良智記が入団。キャッチフレーズは「一途」。リーグ戦は9位で終えた。
2016年
谷口研二が監督に就任。リーグ戦は過去最高となる4位で終えた。
2017年
谷口体制2年目。リーグ戦は8位で終えた。
2018年
谷口体制3年目。リーグ戦は14位で終えた。
2019年
白川伸也が監督に就任。リーグ戦は6位で終えた。
2020年
宮路洋輔が監督に就任。リーグ戦は12位で終えた。
2021年
宮路体制2年目。前半戦、後半戦とも3勝ずつに終わり、リーグ戦は17チーム中16位、同年の規定により全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2021で2位のFC.ISE-SHIMAとの入替戦に出場、3-2で勝利しJFL残留。
2022年
宮路体制3年目。シーズン前半戦には4連勝を記録する等好調な時期もあったが、夏場に6連敗もあるなど浮き沈みの激しいシーズンとなった。しかし前年度は違い、早々に残留を決めることに成功。10位でシーズンを終えた。
シーズン途中の8月4日にはホンダロックが本田技研工業傘下から離れ、ミネベアミツミの完全子会社になる事が発表された。
2023年
1月27日、ミネベアミツミによる完全子会社化に伴い、同日付でサッカー部も「ホンダロックサッカー部(ホンダロックSC)」から「ミネベアミツミフットボールクラブ(ミネベアミツミFC)」へ名称変更。リーグ戦は14位。


ミネベアミツミは、大阪府吹田市に本拠地を置く社会人サッカークラブである。JFLに所属している。

前身の三洋電機サッカー部は、1972年に創部。1988年に単独チームとして日本サッカーリーグ2部に参加し、1993年に1部昇格を果たした。しかし、1996年に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の参入を逃し、1997年に廃部となった。

2002年、三洋電機工業のサッカー部OBを中心とした有志によって、ミネベアミツミサッカー部が創設された。2003年に近畿サッカーリーグに加入し、2006年にJFL昇格を果たした。

ミネベアミツミは、2008年にJFLで初優勝を果たした。しかし、Jリーグ昇格を目指して挑んだJFLチャンピオンシップでは、Honda FCに敗れ、昇格を逃した。

2010年、ミネベアミツミはJFLで2度目の優勝を果たした。しかし、JFLチャンピオンシップでは、カマタマーレ讃岐に敗れ、再び昇格を逃した。

2011年、ミネベアミツミはJFLで3度目の優勝を果たした。そして、JFLチャンピオンシップで栃木SCを破り、悲願のJリーグ昇格を果たした。

ミネベアミツミは、2012年にJ2リーグに初参戦した。しかし、1年でJFLに降格した。

2013年、ミネベアミツミはJFLで4度目の優勝を果たした。そして、JFLチャンピオンシップでツエーゲン金沢を破り、J2リーグに復帰した。

ミネベアミツミは、2014年と2015年はJ2リーグで中位に甘んじた。しかし、2016年にJ2リーグで3位に入り、J1リーグ昇格プレーオフに進出した。しかし、アビスパ福岡に敗れ、昇格を逃した。

2017年、ミネベアミツミはJ2リーグで5位に入り、再びJ1リーグ昇格プレーオフに進出した。しかし、名古屋グランパスに敗れ、昇格を逃した。

ミネベアミツミは、2018年と2019年はJ2リーグで中位に甘んじた。

ミネベアミツミは、2020年シーズンから、本拠地を吹田市にある万博記念競技場に移転した。

ミネベアミツミのチームカラーは、青と白である。

ミネベアミツミのホームスタジアムは、吹田市にある万博記念競技場である。

ミネベアミツミのライバルは、ガンバ大阪、セレッソ大阪、京都サンガF.C.などである。