イタリア セリエA 09/27 18:45 6 [15] ラツィオ v トリノ [9] L 2-0
イタリア セリエA 09/24 18:45 5 [9] トリノ v ローマ [14] D 1-1
イタリア セリエA 09/18 16:30 4 [18] サレルニターナ v トリノ [11] W 0-3
イタリア セリエA 09/03 16:30 3 [17] トリノ v ジェノア [11] W 1-0
イタリア セリエA 08/26 18:45 2 [4] ACミラン v トリノ [12] L 4-1
イタリア セリエA 08/21 16:30 1 [13] トリノ v カリアリ [12] D 0-0
コッパ・イタリア 08/14 19:15 6 トリノ v ACフェラルピサロ W 2-1
クラブ親善試合 08/06 15:00 - ランス v トリノ L 2-1
クラブ親善試合 08/02 17:00 - RCランス v トリノ D 0-0
欧州親善試合 07/28 13:00 - トリノ v モデナ W 2-1
欧州親善試合 07/22 15:00 - ACフェラルピサロ v トリノ W 0-2
イタリア セリエA 06/03 16:30 38 [9] トリノ v インテル [3] L 0-1
イタリア セリエA 05/27 13:00 37 [17] スペツィア v トリノ [10] W 0-4
イタリア セリエA 05/21 13:00 36 [11] トリノ v フィオレンティーナ [10] D 1-1
イタリア セリエA 05/14 10:30 35 [18] ヴェローナ v トリノ [9] W 0-1
イタリア セリエA 05/07 13:00 34 [9] トリノ v モンザ [11] D 1-1
イタリア セリエA 05/03 16:00 33 [20] サンプドリア v トリノ [12] W 0-2
イタリア セリエA 04/29 18:45 32 [10] トリノ v アタランタ [7] L 1-2
イタリア セリエA 04/22 16:00 31 [2] ラツィオ v トリノ [11] W 0-1
イタリア セリエA 04/16 13:00 30 [11] トリノ v サレルニターナ [15] D 1-1
イタリア セリエA 04/08 16:30 29 [11] トリノ v ローマ [5] L 0-1
イタリア セリエA 04/03 18:45 28 [12] サッスオーロ v トリノ [11] D 1-1
イタリア セリエA 03/19 14:00 27 [9] トリノ v ナポリ [1] L 0-4
イタリア セリエA 03/12 11:30 26 [15] レッチェ v トリノ [10] W 0-2
イタリア セリエA 03/06 19:45 25 [11] トリノ v ボローニャ [8] W 1-0
イタリア セリエA 02/28 19:45 24 [8] ユヴェントス v トリノ [9] L 4-2
イタリア セリエA 02/20 19:45 23 [9] トリノ v クレモネーゼ [20] D 2-2
イタリア セリエA 02/10 19:45 22 [6] ACミラン v トリノ [7] L 1-0
イタリア セリエA 02/05 14:00 21 [8] トリノ v ウディネーゼ [7] W 1-0
コッパ・イタリア 02/01 17:00 3 フィオレンティーナ v トリノ L 2-1

Wikipedia - トリノFC

トリノ・フットボール・クラブTorino Football Club S.p.A.)は、イタリア・ピエモンテ州トリノをホームタウンとするプロサッカークラブ。セリエAで優勝7回の実績を持つ古豪である。

History

1906年12月3日にFCトリノ (Foot Ball Club Torino) として創設された。イタリアがファシスト党の独裁下にあった1936年に、イタリア語を使用したACトリノ (Associazione Calcio Torino) へと改められ、その後1970年にトリノ・カルチョ (Torino Calcio) に改称。

1942年から1949年にかけてセリエAで5連覇し、「グランデ・トリノ(偉大なるトリノ)」と呼ばれた。しかし、その最後の優勝は悲劇的なものであった。1948-49シーズンも残りわずかと言う所で首位に立っていたトリノは、ポルトガルのクラブとの親善試合を終えてイタリアに帰る途中、乗っていた飛行機がスペルガの丘に墜落。監督を含めチームのほとんど全員が死亡した(スペルガの悲劇)。この事故以降の4試合はトリノはユースチームで戦い、対戦相手もユースチームで対抗した。この年優勝したのはトリノであったが、1959-60シーズンにはセリエB降格も経験している。

1975-76シーズンにはルイージ・ラディーチェ監督の指揮下、パオロ・プリーチ、レナート・ザッカレッリらを擁し、約27振りのリーグ優勝を果たした。翌1976-77シーズンはリーグ2位、ジュニオール、ドッセーナらが在籍した、1984-85シーズンもリーグ第2位に終わった。

1991-92シーズンにはエンツォ・シーフォらを擁し、UEFAカップ決勝に進出、初のヨーロッパタイトル獲得を目指したが、アヤックスに2-2、0-0と2試合ドローとしながら、レギュレーションにより優勝を逃した。1992-93シーズンは決勝でASローマを破ってコッパ・イタリアを獲得した。

ユヴェントスFCとのダービーマッチは、デルビー・デッラ・モーレ (Derby della Mole) と呼ばれる。ユヴェントスはトリノを中心に全世界的な人気であるが、トリノ市内及び近郊では、トリノの方が人気が高い。

トリノ・フットボール・クラブ(Torino Football Club)は、イタリア・トリノを本拠地とするサッカークラブ。略称はトリノ。

1906年に創立されたトリノは、イタリアでも屈指の古豪クラブであり、セリエAにおいて7度の優勝を誇る。また、コッパ・イタリアも5度、スーペルコッパ・イタリアーナを1度制覇している。

伝統的なホームカラーは「グランデ・トロ」とも呼ばれる、マルーンと白の縦縞のユニフォームである。エンブレムは、クラブの設立当初から、サッカーボールの上に「トリノ」の頭文字である「T」の文字が描かれている。

トリノは、1940年代から1950年代にかけて「グランデ・トリノ」と呼ばれた黄金期を迎え、1946-47シーズンから1948-49シーズンまでセリエA3連覇を達成した。また、1949年5月4日のスペルガの丘の悲劇で多くの選手を亡くしたが、その後もセリエAで優勝を果たし、1970年代にはUEFAカップでも準優勝した。

トリノは、ホームスタジアムであるスタディオ・オリンピコ・ディ・トリノをユヴェントスと共用している。収容人数は約27,994人である。

トリノのライバルは、同じトリノを本拠地とするユヴェントスである。両チームの対戦は「デルビー・デラ・モーレ(Mole Derby)」と呼ばれ、イタリアで最も有名なダービーマッチの一つである。