ペルー リーガ2 05/19 20:30 1 [4] シエンシアーノ v CDコープソル [4] W 5-2
ペルー プレーオフ 12/18 23:00 3 シエンシアーノ v カルロス・マンヌッチ L 0-1
ペルー プレーオフ 12/15 18:30 2 シエンシアーノ v サントスFCデ・イーカ W 3-2
ペルー プレーオフ 12/11 21:00 1 アリアンサ・ウニベルシダー v シエンシアーノ D 1-1
ペルー リーガ2 12/02 20:00 50 [3] シエンシアーノ v フアンアウリチ [6] W 3-1
ペルー リーガ2 11/25 18:00 50 [6] フアンアウリチ v シエンシアーノ [3] L 2-1
ペルー リーガ2 11/18 20:30 2 [2] カルロス・マンヌッチ v シエンシアーノ [3] L 5-2
ペルー リーガ2 11/11 20:30 2 [3] シエンシアーノ v カルロス・マンヌッチ [2] W 2-0
ペルー リーガ2 11/04 20:30 14 [3] シエンシアーノ v アリアンサ・アトレティコ [7] W 3-0
ペルー リーガ2 11/01 18:00 14 [7] アリアンサ・アトレティコ v シエンシアーノ [3] D 1-1
ペルー リーガ2 10/28 20:30 30 シエンシアーノ v クルトゥラル・サンタロサ W 4-0
ペルー リーガ2 10/21 20:30 29 ロスカイマネスFC v シエンシアーノ D 1-1
ペルー リーガ2 10/14 20:30 28 [2] シエンシアーノ v CDコープソル [11] W 2-1
ペルー リーガ2 09/30 20:30 27 [4] カルロス・マンヌッチ v シエンシアーノ [2] L 5-0
ペルー リーガ2 09/23 20:30 26 シエンシアーノ v ウィリー・セラート W 9-1
ペルー リーガ2 09/16 20:30 25 [14] CDスポルト・ロレート v シエンシアーノ [2] W 0-1
ペルー リーガ2 09/09 20:30 24 [2] シエンシアーノ v アリアンサ・アトレティコ [6] D 1-1
ペルー リーガ2 09/02 18:30 23 [11] アルフレド・サリナス v シエンシアーノ [3] W 0-5
ペルー リーガ2 08/29 20:30 22 [4] シエンシアーノ v デポルティボ・ウアルガヨク [3] W 5-0
ペルー リーガ2 08/26 18:00 21 [5] フアンアウリチ v シエンシアーノ [4] L 1-0
ペルー リーガ2 08/18 20:00 20 [3] シエンシアーノ v ユニオンウアラル [2] W 2-1
ペルー リーガ2 08/12 20:00 19 [1] セサルバジェホ v シエンシアーノ [4] W 2-3
ペルー リーガ2 08/05 20:30 18 [5] シエンシアーノ v スポルト・ビクトリア [14] W 1-0
ペルー リーガ2 07/29 20:00 17 [10] アトレティコグラウ v シエンシアーノ [3] L 4-0
ペルー リーガ2 07/15 20:30 15 [8] サンタローサFC v シエンシアーノ [3] W 0-1
ペルー リーガ2 07/08 20:30 14 [3] シエンシアーノ v ロスカイマネスFC [7] W 4-1
ペルー リーガ2 06/30 20:30 13 [14] CDコープソル v シエンシアーノ [3] L 3-0
ペルー リーガ2 06/23 00:00 12 [3] シエンシアーノ v カルロス・マンヌッチ [8] D 0-0
ペルー リーガ2 06/17 16:00 11 [15] ウィリー・セラート v シエンシアーノ [6] W 0-7
ペルー リーガ2 06/10 20:30 10 [7] シエンシアーノ v CDスポルト・ロレート [11] W 5-0

Wikipedia - シエンシアーノ

クルブ・スポルティーボ・シエンシアーノ(スペイン語: Club Sportivo Cienciano)はペルー・クスコに本拠地を置くサッカークラブ。シエンシアスCienciasは「科学」を意味するスペイン語である。メルガルとレアル・ガルシラソとデポルティーボ・ガルシラソに対して長い間ライバル意識を持っている。

History

1901年、クスコ大学理学部(Colegio Nacional de Ciencias)の学生らによって創設され、地域のリーグ戦やトーナメント戦などに参戦した。1966年、クトゥトゥと呼ばれたエクトル・ラドロン・デ・ゲバラ(Héctor Ladrón de Guevara)はクラブ史上初めてペルー代表のキャプテンを務めた。1972年にはプリメーラ・ディビシオンが開始されたが、シエンシアーノは4年後の1976年に降格した。1988年、ペルーサッカー協会はシエンシアーノに南部地区リーグでプレーするよう求めた。1991年には南部地区リーグで優勝し、1992年には再びプリメーラ・ディビシオンに参戦した。1994年には降格の危機に陥ったが、トップリーグに残留を果たした。

2003年のコパ・スダメリカーナではフレディ・テルネーロ監督に率いられて優勝を果たした。ペルー/ペルー予選ではペルー王者のスポルティング・クリスタルを破り、その後はアリアンサ・リマ(ペルー)、CDウニベルシダ・カトリカ(チリ)、コパ・リベルタドーレスでの優勝経験があるアトレティコ・ナシオナル(コロンビア)、コパ・リベルタドーレスで2度の優勝経験があるサントスFC(ブラジル)を破って決勝に進出した。ペルーのクラブが国際大会の決勝に進出したのは1972年のウニベルシタリオ・デポルテスと1997年のスポルティング・クリスタル(いずれもコパ・リベルタドーレス)以来であり、史上3度目の出来事であった。

決勝では南米屈指のビッグクラブとして知られるCAリーベル・プレート(アルゼンチン)と対戦し、ブエノスアイレスで行われたファーストレグでは3-3と引き分けたが、ホームではカルロス・ルーゴのフリーキックから決勝点を挙げ、2試合合計4-3でCAリーベル・プレートを破って優勝を決めた。本拠地のエスタディオ・ガルシラソの収容人数不足を南米サッカー連盟(CONMEBOL)に指摘されたことから、このセカンドレグは本来FBCメルガールの本拠地として使用されているアレキーパで行われた。過去に国際大会の決勝に進出したペルーのクラブはともに準優勝に終わっており、シエンシアーノはペルーで初めて国際大会を制覇したクラブとなった。2004年のレコパ・スダメリカーナ(南米におけるUEFAスーパーカップのような大会)では、前年のコパ・リベルタドーレスを制して出場権を獲得したボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)をアメリカのフォートローダーデールで破って優勝した。ボカ・ジュニアーズもやはり南米の巨人として知られるが、120分を1-1で終えた後のPK戦を4-2で制してタイトル獲得を決めた。

シエンシアーノはプリメーラ・ディビシオンで年間優勝を飾ったことがない。2001年にはシーズン優勝を果たしたが、年間王者を決める優勝決定戦ではPK戦の末にアリアンサ・リマに敗れている。2006年も同様であり、再び優勝決定戦でアリアンサ・リマに敗れた。2006年から2008年には毎年コパ・リベルタドーレスに出場しているが、いずれもセカンドラウンド(グループステージ)で敗退した。

シエンシア―ノは、ペルーのクスコ州クスコに本拠地を置くサッカークラブである。1901年に創設され、ペルー・プリメーラ・ディビシオンに所属している。

シエンシア―ノは、コパ・スダメリカーナ2013で優勝した実績を持ち、ペルーで最も成功したクラブのひとつである。また、コパ・リベルタドーレスにも数多く出場しており、2011年にはベスト8に進出した。

シエンシア―ノのホームスタジアムは、エスタディオ・インカ・ガルシラソである。収容人数は35,000人で、ペルーで最も大きなスタジアムのひとつである。

シエンシア―ノのユニフォームは、赤と黒を基調としている。赤は情熱と勇気を、黒は力と団結を象徴している。

シエンシア―ノの主なライバルは、クスコに本拠地を置くレアル・ガルシラソである。この2つのクラブは、クスコ・ダービーと呼ばれるライバル関係にある。