ペルー リーガ2 06/03 18:00 9 [13] アリアンサ・アトレティコ v シエンシアーノ [7] W 0-4
ペルー リーガ2 05/27 20:00 8 [11] シエンシアーノ v アルフレド・サリナス [7] W 1-0
ペルー リーガ2 05/20 20:30 7 [2] デポルティボ・ウアルガヨク v シエンシアーノ [13] W 1-4
ペルー リーガ2 05/13 20:30 6 [15] シエンシアーノ v フアンアウリチ [7] W 1-0
ペルー リーガ2 05/06 20:30 5 [5] ユニオンウアラル v シエンシアーノ [15] L 1-0
ペルー リーガ2 04/29 20:30 4 [12] シエンシアーノ v セサルバジェホ [2] L 0-4
ペルー リーガ2 04/22 20:30 3 [12] スポルト・ビクトリア v シエンシアーノ [11] L 2-1
ペルー リーガ2 04/15 20:30 2 [11] シエンシアーノ v アトレティコグラウ [4] D 1-1
ペルー リーガ2 11/19 20:30 30 [11] アルフレド・サリナス v シエンシアーノ [3] D 2-2
ペルー リーガ2 11/12 20:30 29 [4] シエンシアーノ v カルロス・マンヌッチ [6] D 1-1
ペルー リーガ2 11/05 20:30 28 CDスポルト・ロレート v シエンシアーノ W 3-4
ペルー リーガ2 10/29 20:45 27 [4] シエンシアーノ v ユニオンウアラル [5] W 8-1
ペルー リーガ2 10/21 20:30 26 [1] スポーツボーイズ v シエンシアーノ [5] W 1-2
ペルー リーガ2 10/15 20:00 25 [7] シエンシアーノ v ウィリー・セラート [13] W 4-1
ペルー リーガ2 10/08 17:00 24 [15] スポーツアンカシュ v シエンシアーノ [8] W 1-4
ペルー リーガ2 10/01 20:00 23 [8] シエンシアーノ v クルトゥラル・サンタロサ [3] W 2-1
ペルー リーガ2 09/16 20:30 21 [2] セサルバジェホ v シエンシアーノ [7] L 2-1
ペルー リーガ2 09/10 20:00 20 [8] シエンシアーノ v CDコープソル [11] W 6-2
ペルー リーガ2 09/03 20:30 19 [12] ディフェンソール・ラ・ボカナ v シエンシアーノ [10] W 1-2
ペルー リーガ2 08/27 20:00 18 [10] シエンシアーノ v ロスカイマネスFC [13] W 3-2
ペルー リーガ2 08/20 20:30 17 [6] スポルト・ビクトリア v シエンシアーノ [10] L 2-1
ペルー リーガ2 08/13 20:00 16 [10] シエンシアーノ v デポルティボ・ウアルガヨク [8] D 2-2
ペルー リーガ2 08/06 20:00 15 シエンシアーノ v アルフレド・サリナス D 1-1
ペルー リーガ2 07/23 20:30 14 [7] カルロス・マンヌッチ v シエンシアーノ [8] L 2-1
ペルー リーガ2 07/16 20:00 1 [12] シエンシアーノ v CDスポルト・ロレート [6] W 1-0
ペルー リーガ2 07/09 20:30 12 [11] ユニオンウアラル v シエンシアーノ [9] L 2-0
ペルー リーガ2 07/02 18:30 11 [9] シエンシアーノ v スポーツボーイズ [1] D 1-1
ペルー リーガ2 06/25 20:30 10 [14] ウィリー・セラート v シエンシアーノ [6] L 5-1
ペルー リーガ2 06/18 20:00 9 [10] シエンシアーノ v スポーツアンカシュ [15] W 4-0
ペルー リーガ2 06/11 20:30 8 [5] クルトゥラル・サンタロサ v シエンシアーノ [9] D 1-1

Wikipedia - シエンシアーノ

クルブ・スポルティーボ・シエンシアーノ(スペイン語: Club Sportivo Cienciano)はペルー・クスコに本拠地を置くサッカークラブ。シエンシアスCienciasは「科学」を意味するスペイン語である。メルガルとレアル・ガルシラソとデポルティーボ・ガルシラソに対して長い間ライバル意識を持っている。

History

1901年、クスコ大学理学部(Colegio Nacional de Ciencias)の学生らによって創設され、地域のリーグ戦やトーナメント戦などに参戦した。1966年、クトゥトゥと呼ばれたエクトル・ラドロン・デ・ゲバラ(Héctor Ladrón de Guevara)はクラブ史上初めてペルー代表のキャプテンを務めた。1972年にはプリメーラ・ディビシオンが開始されたが、シエンシアーノは4年後の1976年に降格した。1988年、ペルーサッカー協会はシエンシアーノに南部地区リーグでプレーするよう求めた。1991年には南部地区リーグで優勝し、1992年には再びプリメーラ・ディビシオンに参戦した。1994年には降格の危機に陥ったが、トップリーグに残留を果たした。

2003年のコパ・スダメリカーナではフレディ・テルネーロ監督に率いられて優勝を果たした。ペルー/ペルー予選ではペルー王者のスポルティング・クリスタルを破り、その後はアリアンサ・リマ(ペルー)、CDウニベルシダ・カトリカ(チリ)、コパ・リベルタドーレスでの優勝経験があるアトレティコ・ナシオナル(コロンビア)、コパ・リベルタドーレスで2度の優勝経験があるサントスFC(ブラジル)を破って決勝に進出した。ペルーのクラブが国際大会の決勝に進出したのは1972年のウニベルシタリオ・デポルテスと1997年のスポルティング・クリスタル(いずれもコパ・リベルタドーレス)以来であり、史上3度目の出来事であった。

決勝では南米屈指のビッグクラブとして知られるCAリーベル・プレート(アルゼンチン)と対戦し、ブエノスアイレスで行われたファーストレグでは3-3と引き分けたが、ホームではカルロス・ルーゴのフリーキックから決勝点を挙げ、2試合合計4-3でCAリーベル・プレートを破って優勝を決めた。本拠地のエスタディオ・ガルシラソの収容人数不足を南米サッカー連盟(CONMEBOL)に指摘されたことから、このセカンドレグは本来FBCメルガールの本拠地として使用されているアレキーパで行われた。過去に国際大会の決勝に進出したペルーのクラブはともに準優勝に終わっており、シエンシアーノはペルーで初めて国際大会を制覇したクラブとなった。2004年のレコパ・スダメリカーナ(南米におけるUEFAスーパーカップのような大会)では、前年のコパ・リベルタドーレスを制して出場権を獲得したボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)をアメリカのフォートローダーデールで破って優勝した。ボカ・ジュニアーズもやはり南米の巨人として知られるが、120分を1-1で終えた後のPK戦を4-2で制してタイトル獲得を決めた。

シエンシアーノはプリメーラ・ディビシオンで年間優勝を飾ったことがない。2001年にはシーズン優勝を果たしたが、年間王者を決める優勝決定戦ではPK戦の末にアリアンサ・リマに敗れている。2006年も同様であり、再び優勝決定戦でアリアンサ・リマに敗れた。2006年から2008年には毎年コパ・リベルタドーレスに出場しているが、いずれもセカンドラウンド(グループステージ)で敗退した。

シエンシア―ノは、ペルーのクスコ州クスコに本拠地を置くサッカークラブである。1901年に創設され、ペルー・プリメーラ・ディビシオンに所属している。

シエンシア―ノは、コパ・スダメリカーナ2013で優勝した実績を持ち、ペルーで最も成功したクラブのひとつである。また、コパ・リベルタドーレスにも数多く出場しており、2011年にはベスト8に進出した。

シエンシア―ノのホームスタジアムは、エスタディオ・インカ・ガルシラソである。収容人数は35,000人で、ペルーで最も大きなスタジアムのひとつである。

シエンシア―ノのユニフォームは、赤と黒を基調としている。赤は情熱と勇気を、黒は力と団結を象徴している。

シエンシア―ノの主なライバルは、クスコに本拠地を置くレアル・ガルシラソである。この2つのクラブは、クスコ・ダービーと呼ばれるライバル関係にある。