ペルー リーガ2 05/28 18:30 6 [5] シエンシアーノ v セサルバジェホ [1] D 0-0
ペルー リーガ2 05/20 20:30 5 [9] CDコープソル v シエンシアーノ [5] D 2-2
ペルー リーガ2 05/14 20:30 4 [11] シエンシアーノ v ディフェンソール・ラ・ボカナ [15] W 2-0
ペルー リーガ2 05/06 16:00 3 ロスカイマネスFC v シエンシアーノ L 2-1
ペルー リーガ2 04/29 18:00 2 [10] シエンシアーノ v スポルト・ビクトリア [4] W 3-1
ペルー リーガ2 04/23 20:30 1 デポルティボ・ウアルガヨク v シエンシアーノ - Cancelled
欧州親善試合 04/02 18:00 - クスコFC v シエンシアーノ D 2-2
ワールドクラブ親善試合 04/02 00:00 - クスコ FC v シエンシアーノ D 2-2
ワールドクラブ親善試合 03/26 21:00 - シエンシアーノ v デポルティーボ・ムニシパル W 1-0
ペルー リーガ2 11/27 20:00 - シエンシアーノ v カルロス・マンヌッチ W 2-1
ペルー リーガ2 11/06 20:00 - シエンシアーノ v アカデミア・デポルティーヴァ・カントラオ L 0-1
ペルー リーガ2 10/09 20:30 - シエンシアーノ v ユニオンウアラル W 3-0
ペルー リーガ2 09/25 20:30 - シエンシアーノ v アルフレド・サリナス W 2-1
ペルー リーガ2 09/11 19:50 - シエンシアーノ v スポーツボーイズ W 2-0
ペルー リーガ2 08/28 21:34 - シエンシアーノ v Atletico Torino W 3-0
ペルー リーガ1 11/29 20:30 17 シエンシアーノ v CDウニベルシダー・サン・マルティン W 3-0
ペルー リーガ1 11/22 18:00 16 フアンアウリチ v シエンシアーノ D 2-2
ペルー リーガ1 11/15 18:00 10 シエンシアーノ v アヤクーチョFC D 1-1
ペルー リーガ1 11/07 17:30 15 シエンシアーノ v セサルバジェホ L 0-1
ペルー リーガ1 11/03 20:30 14 デポルティーボ・ムニシパル v シエンシアーノ L 1-0
ペルー リーガ1 11/01 16:15 13 シエンシアーノ v アリアンサリマ W 1-0
ペルー リーガ1 10/28 22:45 12 FBCメルガール v シエンシアーノ L 5-1
ペルー リーガ1 10/16 20:30 9 UTCカハマルカ v シエンシアーノ D 0-0
ペルー リーガ1 10/04 16:15 8 シエンシアーノ v アリアンサ・アトレティコ W 2-0
ペルー リーガ1 09/30 18:15 7 ウニオン・コメルシオ v シエンシアーノ L 3-1
ペルー リーガ1 09/27 18:30 6 シエンシアーノ v スポルティング・クリスタル D 2-2
ペルー リーガ1 09/20 21:00 5 ウニベルシタリオ・デポルテス v シエンシアーノ L 2-1
ペルー リーガ1 09/16 16:00 4 シエンシアーノ v CDスポルト・ロレート W 1-0
ペルー リーガ1 09/13 16:15 3 クスコFC v シエンシアーノ D 1-1
ペルー リーガ1 09/02 16:00 2 シエンシアーノ v スポルトワンカヨ L 0-1

Wikipedia - シエンシアーノ

クルブ・スポルティーボ・シエンシアーノ(スペイン語: Club Sportivo Cienciano)はペルー・クスコに本拠地を置くサッカークラブ。シエンシアスCienciasは「科学」を意味するスペイン語である。メルガルとレアル・ガルシラソとデポルティーボ・ガルシラソに対して長い間ライバル意識を持っている。

History

1901年、クスコ大学理学部(Colegio Nacional de Ciencias)の学生らによって創設され、地域のリーグ戦やトーナメント戦などに参戦した。1966年、クトゥトゥと呼ばれたエクトル・ラドロン・デ・ゲバラ(Héctor Ladrón de Guevara)はクラブ史上初めてペルー代表のキャプテンを務めた。1972年にはプリメーラ・ディビシオンが開始されたが、シエンシアーノは4年後の1976年に降格した。1988年、ペルーサッカー協会はシエンシアーノに南部地区リーグでプレーするよう求めた。1991年には南部地区リーグで優勝し、1992年には再びプリメーラ・ディビシオンに参戦した。1994年には降格の危機に陥ったが、トップリーグに残留を果たした。

2003年のコパ・スダメリカーナではフレディ・テルネーロ監督に率いられて優勝を果たした。ペルー/ペルー予選ではペルー王者のスポルティング・クリスタルを破り、その後はアリアンサ・リマ(ペルー)、CDウニベルシダ・カトリカ(チリ)、コパ・リベルタドーレスでの優勝経験があるアトレティコ・ナシオナル(コロンビア)、コパ・リベルタドーレスで2度の優勝経験があるサントスFC(ブラジル)を破って決勝に進出した。ペルーのクラブが国際大会の決勝に進出したのは1972年のウニベルシタリオ・デポルテスと1997年のスポルティング・クリスタル(いずれもコパ・リベルタドーレス)以来であり、史上3度目の出来事であった。

決勝では南米屈指のビッグクラブとして知られるCAリーベル・プレート(アルゼンチン)と対戦し、ブエノスアイレスで行われたファーストレグでは3-3と引き分けたが、ホームではカルロス・ルーゴのフリーキックから決勝点を挙げ、2試合合計4-3でCAリーベル・プレートを破って優勝を決めた。本拠地のエスタディオ・ガルシラソの収容人数不足を南米サッカー連盟(CONMEBOL)に指摘されたことから、このセカンドレグは本来FBCメルガールの本拠地として使用されているアレキーパで行われた。過去に国際大会の決勝に進出したペルーのクラブはともに準優勝に終わっており、シエンシアーノはペルーで初めて国際大会を制覇したクラブとなった。2004年のレコパ・スダメリカーナ(南米におけるUEFAスーパーカップのような大会)では、前年のコパ・リベルタドーレスを制して出場権を獲得したボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)をアメリカのフォートローダーデールで破って優勝した。ボカ・ジュニアーズもやはり南米の巨人として知られるが、120分を1-1で終えた後のPK戦を4-2で制してタイトル獲得を決めた。

シエンシアーノはプリメーラ・ディビシオンで年間優勝を飾ったことがない。2001年にはシーズン優勝を果たしたが、年間王者を決める優勝決定戦ではPK戦の末にアリアンサ・リマに敗れている。2006年も同様であり、再び優勝決定戦でアリアンサ・リマに敗れた。2006年から2008年には毎年コパ・リベルタドーレスに出場しているが、いずれもセカンドラウンド(グループステージ)で敗退した。

シエンシア―ノは、ペルーのクスコ州クスコに本拠地を置くサッカークラブである。1901年に創設され、ペルー・プリメーラ・ディビシオンに所属している。

シエンシア―ノは、コパ・スダメリカーナ2013で優勝した実績を持ち、ペルーで最も成功したクラブのひとつである。また、コパ・リベルタドーレスにも数多く出場しており、2011年にはベスト8に進出した。

シエンシア―ノのホームスタジアムは、エスタディオ・インカ・ガルシラソである。収容人数は35,000人で、ペルーで最も大きなスタジアムのひとつである。

シエンシア―ノのユニフォームは、赤と黒を基調としている。赤は情熱と勇気を、黒は力と団結を象徴している。

シエンシア―ノの主なライバルは、クスコに本拠地を置くレアル・ガルシラソである。この2つのクラブは、クスコ・ダービーと呼ばれるライバル関係にある。