ブラジル セリエA 02/17 22:00 33 [9] サントス v コリンチャンス [10] L 1-0
ブラジル セリエA 02/14 19:00 36 [2] CRフラメンゴ v コリンチャンス [9] L 2-1
ブラジル セリエA 02/11 00:30 35 [8] コリンチャンス v アトレティコ・パラナエンセ [11] D 3-3
ブラジル セリエA 02/04 00:30 34 [11] コリンチャンス v セアラー [10] W 2-1
ブラジル セリエA 01/28 22:00 30 [17] バイーア v コリンチャンス [9] L 2-1
ブラジル セリエA 01/25 23:00 32 [9] コリンチャンス v ブラガンチーノ [13] L 0-2
ブラジル セリエA 01/22 00:00 31 [9] コリンチャンス v スポルチレシフェ [14] W 3-0
ブラジル セリエA 01/18 22:00 28 [6] パルメイラス v コリンチャンス [9] L 4-0
ブラジル セリエA 01/14 00:30 29 [10] コリンチャンス v フルミネンセ [7] W 5-0
ブラジル セリエA 12/27 19:00 27 [19] ボタフォゴ v コリンチャンス [9] W 0-2
ブラジル セリエA 12/21 23:00 26 [11] コリンチャンス v ゴイアス [20] W 2-1
ブラジル セリエA 12/13 21:15 25 [13] コリンチャンス v サンパウロ [1] W 1-0
ブラジル セリエA 12/03 00:30 24 [9] フォルタレザ v コリンチャンス [11] D 0-0
ブラジル セリエA 11/26 00:30 23 [18] コリチーバ v コリンチャンス [14] W 0-1
ブラジル セリエA 11/22 23:30 22 [15] コリンチャンス v グレミオ [7] D 0-0
ブラジル セリエA 11/14 22:00 21 [11] コリンチャンス v アトレチコミネイロ [2] L 1-2
ブラジル セリエA 11/08 00:00 20 [13] アトレティコ・ゴイアニエンセ v コリンチャンス [11] D 1-1
コパ・ド・ブラジル 11/05 00:30 4 アメリカMG v コリンチャンス D 1-1
ブラジル セリエA 10/31 22:00 19 [13] コリンチャンス v インテルナシオナル [1] W 1-0
コパ・ド・ブラジル 10/29 00:30 4 コリンチャンス v アメリカMG L 0-1
ブラジル セリエA 10/22 00:30 18 [15] ヴァスコ・ダ・ガマ v コリンチャンス [16] W 1-2
ブラジル セリエA 10/18 19:00 17 [14] コリンチャンス v CRフラメンゴ [3] L 1-5
ブラジル セリエA 10/15 00:30 16 [16] アトレティコ・パラナエンセ v コリンチャンス [18] W 0-1
ブラジル セリエA 10/11 23:30 15 [14] セアラー v コリンチャンス [15] L 2-1
ブラジル セリエA 10/07 22:00 14 [14] コリンチャンス v サントス [6] D 1-1
ブラジル セリエA 10/04 00:00 13 [18] ブラガンチーノ v コリンチャンス [15] D 0-0
ブラジル セリエA 10/01 00:30 1 [15] コリンチャンス v アトレティコ・ゴイアニエンセ [13] D 0-0
ブラジル セリエA 09/24 00:30 12 [10] スポルチレシフェ v コリンチャンス [13] L 1-0
ブラジル セリエA 09/17 00:30 11 [15] コリンチャンス v バイーア [16] W 3-2
ブラジル セリエA 09/13 19:00 10 [9] フルミネンセ v コリンチャンス [14] L 2-1

SCコリンチャンス・パウリスタ (ポルトガル語: Sport Club Corinthians Paulista) 、通称コリンチャンス (Corinthians) は、ブラジル・サンパウロ州サンパウロを本拠地とする総合スポーツクラブである。この項ではサッカークラブを中心に記述する。

History

1910年9月1日、SCコリンチャンス・パウリスタは5人の若い労働者たちによってサンパウロ近郊のボン・レチーロで設立された。クラブ名は1910年の設立当時に、ブラジル遠征で圧倒的な強さを誇っていたイングランドのサッカークラブ、「コリンシアンズFC」に由来する。当初のチームカラーはクリーム色だったが、後に入手が容易な白に変わったという。なお、「コリンチャンス」は「コリント人」という意味で、ニックネームのチモンは「偉大なチーム」の意。

初期のマークは「C」と「P」の組み合わせであった。1919年より代わりにサンパウロ州旗をモチーフに使用するようになり、1939年以降は赤い錨・櫂(オール)と組み合わさって出来た。

1990年代にはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(1990・1998・1999年)とブラジルカップ(1995年)で4度の国内タイトルを獲得。2000年にヴァスコ・ダ・ガマをPK戦で下してFIFA世界クラブ選手権の初代王者となった。2004年にイラン人オーナーのキア・ジョーラブチアン率いる投資ファンド MSI (Media Sports Investment) と資本提携を結び、ヨーロッパのビッグクラブに匹敵する資金力を誇るクラブとなり、2005年に4回目のブラジル全国選手権優勝を手にした。しかし、MSIと経営陣との間では対立が続き、オーナーのキアの逮捕、及び投資に問題があるなど警察沙汰になり2007年に関係は解消された。そのため獲得していた殆どのレギュラー選手が売られ、補欠・ジュニアチームで挑んだ2007年のセリエAでは17位と低迷し、クラブの歴史上初めてのセリエB降格が決定した。2008年にはコパ・ド・ブラジルで決勝進出を果たし、セリエBでも優勝を果たして1年でセリエAへの復帰を決めた。2009年には元ブラジル代表のロナウドを獲得して話題を集め、カンピオナート・パウリスタ、コパ・ド・ブラジルの2冠を達成。2012年にコパ・リベルタドーレスのタイトルを獲得し、同年のFIFAクラブワールドカップ2012では決勝でチェルシーFCを1-0で下して2回目の世界王者となった。

2022年には前項のFIFAワールドカップ2012の世界王者から10周年を記念した、日本語のユニフォームを作成した。シャツには 『Aqui é Corinthians.』を日本語に訳した「これがコリンチャンスです。」を縦書きで書き連ね、各選手の背ネームをカタカナで表示した。

コリンチャンス(ポルトガル語: Sport Club Corinthians Paulista)は、ブラジルのサンパウロにあるプロサッカークラブ。1910年9月1日に創設された。ブラジル全国選手権(セリエA)とサンパウロ州選手権(カンピオナート・パウリスタ)をそれぞれ11回、サンパウロ州リーグ(カンピオナート・パウリスタ)を30回制しており、カンピオナート・パウリスタでは最多優勝記録を保持している。また、コパ・ド・ブラジルを3回、リベルタドーレス杯を1回、FIFAクラブワールドカップを2回制覇している。

コリンチャンスは、1990年代から2000年代にかけて、ロベルト・カルロス、リバウド、ロナウジーニョ、カカ、アドリアーノなど、多くのブラジル代表選手を輩出した。また、2000年には、国際サッカー連盟(FIFA)が選定した20世紀のクラブチームランキングで3位に選ばれた。

コリンチャンスは、ブラジルで最も人気のあるサッカークラブのひとつであり、アレーナ・コリンチャンスを本拠地としている。アレーナ・コリンチャンスは、2014年のFIFAワールドカップブラジル大会の会場のひとつとして使用された。

コリンチャンスのライバルは、サンパウロFC、パルメイラス、サントスFCである。これらのクラブとの対戦は、ダービーマッチと呼ばれ、非常に盛り上がる。