ペルー リーガ1 07/22 00:45 5 [9] シエンシアーノ v スポルトワンカヨ [7] W 1-0
ペルー リーガ1 07/16 22:00 4 [14] クスコFC v シエンシアーノ [10] D 0-0
ペルー リーガ1 07/08 20:30 3 [5] シエンシアーノ v UTCカハマルカ [14] D 2-2
ペルー リーガ1 07/03 23:00 2 [16] セサルバジェホ v シエンシアーノ [11] W 0-3
ペルー リーガ1 06/23 00:00 1 [7] シエンシアーノ v ウニベルシタリオ・デポルテス [17] D 1-1
ペルー リーガ1 06/10 00:00 19 [9] シエンシアーノ v スポーツボーイズ [18] L 0-1
ペルー リーガ1 06/02 01:00 18 [3] スポルティング・クリスタル v シエンシアーノ [9] L 4-2
ペルー リーガ1 05/27 00:00 17 [9] シエンシアーノ v デポルティーボ・ムニシパル [13] W 1-0
ペルー リーガ1 05/21 18:00 16 [15] アトレティコグラウ v シエンシアーノ [9] L 4-0
ペルー リーガ1 05/14 20:30 2 [8] シエンシアーノ v セサルバジェホ [6] D 1-1
ペルー リーガ1 05/10 20:30 7 [10] シエンシアーノ v アリアンサ・アトレティコ [12] W 5-2
ペルー リーガ1 05/07 00:00 15 [13] シエンシアーノ v デポルティーボ・ガルシラーソ [10] D 0-0
ペルー リーガ1 04/30 20:30 14 [10] ADタルマ v シエンシアーノ [14] W 3-4
ペルー リーガ1 04/22 23:00 13 [15] シエンシアーノ v デポルティーボ・ビナシオナル [18] D 1-1
ペルー リーガ1 04/15 00:00 12 [17] FBCメルガール v シエンシアーノ [14] L 1-0
ペルー リーガ1 04/08 23:00 11 [15] シエンシアーノ v カルロス・マンヌッチ [7] W 1-0
ペルー リーガ1 04/02 00:00 10 [3] アリアンサリマ v シエンシアーノ [12] L 2-0
ペルー リーガ1 03/25 01:30 1 [4] ウニベルシタリオ・デポルテス v シエンシアーノ [10] L 3-0
ペルー リーガ1 03/18 23:00 9 [15] シエンシアーノ v ウニオン・コメルシオ [8] W 3-1
ペルー リーガ1 03/12 20:30 8 [19] アカデミア・デポルティーヴァ・カントラオ v シエンシアーノ [13] L 1-0
コパ・スダメリカーナ 03/10 02:00 14 ウニベルシタリオ・デポルテス v シエンシアーノ L 2-0
ペルー リーガ1 03/05 18:00 7 シエンシアーノ v アリアンサ・アトレティコ - Postponed
ペルー リーガ1 02/18 18:00 5 [9] スポルトワンカヨ v シエンシアーノ [10] W 1-3
ペルー リーガ1 02/11 00:00 4 [11] シエンシアーノ v クスコFC [16] W 2-0
ペルー リーガ1 02/04 20:30 3 [8] UTCカハマルカ v シエンシアーノ [11] L DBFA
ペルー リーガ1 01/31 00:00 2 シエンシアーノ v セサルバジェホ - Postponed
クラブ親善試合 01/14 15:45 - クスコFC v シエンシアーノ D Cancelled
クラブ親善試合 01/08 20:00 - シエンシアーノ v マガリャネス W 3-1
ペルー リーガ1 10/30 20:00 19 [19] CDウニベルシダー・サン・マルティン v シエンシアーノ [12] W 1-2
ペルー リーガ1 10/23 23:00 18 [13] シエンシアーノ v FCカルロスステイン [18] W 6-2

Wikipedia - シエンシアーノ

クルブ・スポルティーボ・シエンシアーノ(スペイン語: Club Sportivo Cienciano)はペルー・クスコに本拠地を置くサッカークラブ。シエンシアスCienciasは「科学」を意味するスペイン語である。メルガルとレアル・ガルシラソとデポルティーボ・ガルシラソに対して長い間ライバル意識を持っている。

History

1901年、クスコ大学理学部(Colegio Nacional de Ciencias)の学生らによって創設され、地域のリーグ戦やトーナメント戦などに参戦した。1966年、クトゥトゥと呼ばれたエクトル・ラドロン・デ・ゲバラ(Héctor Ladrón de Guevara)はクラブ史上初めてペルー代表のキャプテンを務めた。1972年にはプリメーラ・ディビシオンが開始されたが、シエンシアーノは4年後の1976年に降格した。1988年、ペルーサッカー協会はシエンシアーノに南部地区リーグでプレーするよう求めた。1991年には南部地区リーグで優勝し、1992年には再びプリメーラ・ディビシオンに参戦した。1994年には降格の危機に陥ったが、トップリーグに残留を果たした。

2003年のコパ・スダメリカーナではフレディ・テルネーロ監督に率いられて優勝を果たした。ペルー/ペルー予選ではペルー王者のスポルティング・クリスタルを破り、その後はアリアンサ・リマ(ペルー)、CDウニベルシダ・カトリカ(チリ)、コパ・リベルタドーレスでの優勝経験があるアトレティコ・ナシオナル(コロンビア)、コパ・リベルタドーレスで2度の優勝経験があるサントスFC(ブラジル)を破って決勝に進出した。ペルーのクラブが国際大会の決勝に進出したのは1972年のウニベルシタリオ・デポルテスと1997年のスポルティング・クリスタル(いずれもコパ・リベルタドーレス)以来であり、史上3度目の出来事であった。

決勝では南米屈指のビッグクラブとして知られるCAリーベル・プレート(アルゼンチン)と対戦し、ブエノスアイレスで行われたファーストレグでは3-3と引き分けたが、ホームではカルロス・ルーゴのフリーキックから決勝点を挙げ、2試合合計4-3でCAリーベル・プレートを破って優勝を決めた。本拠地のエスタディオ・ガルシラソの収容人数不足を南米サッカー連盟(CONMEBOL)に指摘されたことから、このセカンドレグは本来FBCメルガールの本拠地として使用されているアレキーパで行われた。過去に国際大会の決勝に進出したペルーのクラブはともに準優勝に終わっており、シエンシアーノはペルーで初めて国際大会を制覇したクラブとなった。2004年のレコパ・スダメリカーナ(南米におけるUEFAスーパーカップのような大会)では、前年のコパ・リベルタドーレスを制して出場権を獲得したボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)をアメリカのフォートローダーデールで破って優勝した。ボカ・ジュニアーズもやはり南米の巨人として知られるが、120分を1-1で終えた後のPK戦を4-2で制してタイトル獲得を決めた。

シエンシアーノはプリメーラ・ディビシオンで年間優勝を飾ったことがない。2001年にはシーズン優勝を果たしたが、年間王者を決める優勝決定戦ではPK戦の末にアリアンサ・リマに敗れている。2006年も同様であり、再び優勝決定戦でアリアンサ・リマに敗れた。2006年から2008年には毎年コパ・リベルタドーレスに出場しているが、いずれもセカンドラウンド(グループステージ)で敗退した。

シエンシア―ノは、ペルーのクスコ州クスコに本拠地を置くサッカークラブである。1901年に創設され、ペルー・プリメーラ・ディビシオンに所属している。

シエンシア―ノは、コパ・スダメリカーナ2013で優勝した実績を持ち、ペルーで最も成功したクラブのひとつである。また、コパ・リベルタドーレスにも数多く出場しており、2011年にはベスト8に進出した。

シエンシア―ノのホームスタジアムは、エスタディオ・インカ・ガルシラソである。収容人数は35,000人で、ペルーで最も大きなスタジアムのひとつである。

シエンシア―ノのユニフォームは、赤と黒を基調としている。赤は情熱と勇気を、黒は力と団結を象徴している。

シエンシア―ノの主なライバルは、クスコに本拠地を置くレアル・ガルシラソである。この2つのクラブは、クスコ・ダービーと呼ばれるライバル関係にある。