ブラジル セリエA 11/25 00:00 35 [12] コリンチャンス v バイーア [17] L 1-5
ブラジル セリエA 11/12 19:00 34 [3] グレミオ v コリンチャンス [14] W 0-1
ブラジル セリエA 11/09 22:00 33 [13] コリンチャンス v アトレチコミネイロ [6] D 1-1
ブラジル セリエA 11/05 19:00 32 [4] ブラガンチーノ v コリンチャンス [12] L 1-0
ブラジル セリエA 11/01 22:00 31 [15] コリンチャンス v アトレティコ・パラナエンセ [7] W 1-0
ブラジル セリエA 10/29 21:30 30 [14] コリンチャンス v サントス [16] D 1-1
ブラジル セリエA 10/26 00:30 29 [11] クイアバ v コリンチャンス [15] W 0-1
ブラジル セリエA 10/25 23:00 30 コリンチャンス v サントス - Postponed
ブラジル セリエA 10/22 21:30 28 [14] コリンチャンス v アメリカMG [20] D 1-1
ブラジル セリエA 10/20 00:30 27 [8] フルミネンセ v コリンチャンス [15] D 3-3
ブラジル セリエA 10/08 00:00 26 [13] コリンチャンス v CRフラメンゴ [5] D 1-1
コパ・スダメリカーナ 10/04 00:30 2 フォルタレザ v コリンチャンス L 2-0
ブラジル セリエA 09/30 21:30 25 [10] サンパウロ v コリンチャンス [11] L 2-1
コパ・スダメリカーナ 09/27 00:30 2 コリンチャンス v フォルタレザ D 1-1
ブラジル セリエA 09/22 23:00 24 [14] コリンチャンス v ボタフォゴ [1] W 1-0
ブラジル セリエA 09/19 00:00 15 [14] コリンチャンス v グレミオ [3] D 4-4
ブラジル セリエA 09/14 22:00 23 [8] フォルタレザ v コリンチャンス [14] L 2-1
ブラジル セリエA 09/03 19:00 22 [14] コリンチャンス v パルメイラス [2] D 0-0
コパ・スダメリカーナ 08/30 00:30 3 エストゥディアンテスLP v コリンチャンス D 3-3
ブラジル セリエA 08/27 00:00 21 [13] コリンチャンス v ゴイアス [15] D 1-1
コパ・スダメリカーナ 08/23 00:30 3 コリンチャンス v エストゥディアンテスLP W 1-0
ブラジル セリエA 08/20 00:00 20 [12] クルゼイロ v コリンチャンス [14] D 1-1
コパ・ド・ブラジル 08/16 22:30 2 サンパウロ v コリンチャンス L 2-0
ブラジル セリエA 08/13 19:00 19 [14] コリンチャンス v コリチーバ [18] W 3-1
コパ・スダメリカーナ 08/09 00:30 4 ニューウェルズ v コリンチャンス D 0-0
ブラジル セリエA 08/05 21:30 18 [12] インテルナシオナル v コリンチャンス [14] D 2-2
コパ・スダメリカーナ 08/02 00:30 4 コリンチャンス v ニューウェルズ W 2-1
ブラジル セリエA 07/29 21:30 17 [15] コリンチャンス v ヴァスコ・ダ・ガマ [20] W 3-1
コパ・ド・ブラジル 07/26 00:30 2 コリンチャンス v サンパウロ W 2-1
ブラジル セリエA 07/22 21:30 16 [16] バイーア v コリンチャンス [15] D 0-0

SCコリンチャンス・パウリスタ (ポルトガル語: Sport Club Corinthians Paulista) 、通称コリンチャンス (Corinthians) は、ブラジル・サンパウロ州サンパウロを本拠地とする総合スポーツクラブである。この項ではサッカークラブを中心に記述する。

History

1910年9月1日、SCコリンチャンス・パウリスタは5人の若い労働者たちによってサンパウロ近郊のボン・レチーロで設立された。クラブ名は1910年の設立当時に、ブラジル遠征で圧倒的な強さを誇っていたイングランドのサッカークラブ、「コリンシアンズFC」に由来する。当初のチームカラーはクリーム色だったが、後に入手が容易な白に変わったという。なお、「コリンチャンス」は「コリント人」という意味で、ニックネームのチモンは「偉大なチーム」の意。

初期のマークは「C」と「P」の組み合わせであった。1919年より代わりにサンパウロ州旗をモチーフに使用するようになり、1939年以降は赤い錨・櫂(オール)と組み合わさって出来た。

1990年代にはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(1990・1998・1999年)とブラジルカップ(1995年)で4度の国内タイトルを獲得。2000年にヴァスコ・ダ・ガマをPK戦で下してFIFA世界クラブ選手権の初代王者となった。2004年にイラン人オーナーのキア・ジョーラブチアン率いる投資ファンド MSI (Media Sports Investment) と資本提携を結び、ヨーロッパのビッグクラブに匹敵する資金力を誇るクラブとなり、2005年に4回目のブラジル全国選手権優勝を手にした。しかし、MSIと経営陣との間では対立が続き、オーナーのキアの逮捕、及び投資に問題があるなど警察沙汰になり2007年に関係は解消された。そのため獲得していた殆どのレギュラー選手が売られ、補欠・ジュニアチームで挑んだ2007年のセリエAでは17位と低迷し、クラブの歴史上初めてのセリエB降格が決定した。2008年にはコパ・ド・ブラジルで決勝進出を果たし、セリエBでも優勝を果たして1年でセリエAへの復帰を決めた。2009年には元ブラジル代表のロナウドを獲得して話題を集め、カンピオナート・パウリスタ、コパ・ド・ブラジルの2冠を達成。2012年にコパ・リベルタドーレスのタイトルを獲得し、同年のFIFAクラブワールドカップ2012では決勝でチェルシーFCを1-0で下して2回目の世界王者となった。

2022年には前項のFIFAワールドカップ2012の世界王者から10周年を記念した、日本語のユニフォームを作成した。シャツには 『Aqui é Corinthians.』を日本語に訳した「これがコリンチャンスです。」を縦書きで書き連ね、各選手の背ネームをカタカナで表示した。

コリンチャンス(ポルトガル語: Sport Club Corinthians Paulista)は、ブラジルのサンパウロにあるプロサッカークラブ。1910年9月1日に創設された。ブラジル全国選手権(セリエA)とサンパウロ州選手権(カンピオナート・パウリスタ)をそれぞれ11回、サンパウロ州リーグ(カンピオナート・パウリスタ)を30回制しており、カンピオナート・パウリスタでは最多優勝記録を保持している。また、コパ・ド・ブラジルを3回、リベルタドーレス杯を1回、FIFAクラブワールドカップを2回制覇している。

コリンチャンスは、1990年代から2000年代にかけて、ロベルト・カルロス、リバウド、ロナウジーニョ、カカ、アドリアーノなど、多くのブラジル代表選手を輩出した。また、2000年には、国際サッカー連盟(FIFA)が選定した20世紀のクラブチームランキングで3位に選ばれた。

コリンチャンスは、ブラジルで最も人気のあるサッカークラブのひとつであり、アレーナ・コリンチャンスを本拠地としている。アレーナ・コリンチャンスは、2014年のFIFAワールドカップブラジル大会の会場のひとつとして使用された。

コリンチャンスのライバルは、サンパウロFC、パルメイラス、サントスFCである。これらのクラブとの対戦は、ダービーマッチと呼ばれ、非常に盛り上がる。