ブラジル セリエA 09/11 19:00 26 [15] サンパウロ v コリンチャンス [5] D 1-1
ブラジル セリエA 09/04 19:00 25 [4] コリンチャンス v インテルナシオナル [6] D 2-2
ブラジル セリエA 08/30 00:30 24 [4] コリンチャンス v ブラガンチーノ [11] W 1-0
コパ・ド・ブラジル 08/24 22:30 2 フルミネンセ v コリンチャンス D 2-2
ブラジル セリエA 08/21 21:00 23 [15] フォルタレザ v コリンチャンス [4] L 1-0
コパ・ド・ブラジル 08/18 00:30 3 コリンチャンス v アトレティコ・ゴイアニエンセ W 4-1
ブラジル セリエA 08/13 22:00 22 [2] コリンチャンス v パルメイラス [1] L 0-1
コパ・リベルタドーレス予選 08/10 00:30 3 [1] CRフラメンゴ v コリンチャンス [2] L 1-0
ブラジル セリエA 08/06 22:00 21 [16] アヴァイ v コリンチャンス [2] D 1-1
コパ・リベルタドーレス予選 08/03 00:30 3 [2] コリンチャンス v CRフラメンゴ [1] L 0-2
ブラジル セリエA 07/30 22:00 20 [2] コリンチャンス v ボタフォゴ [11] W 1-0
コパ・ド・ブラジル 07/28 00:30 3 アトレティコ・ゴイアニエンセ v コリンチャンス L 2-0
ブラジル セリエA 07/24 21:00 19 [3] アトレチコミネイロ v コリンチャンス [2] W 1-2
ブラジル セリエA 07/21 00:30 18 [3] コリンチャンス v コリチーバ [16] W 3-1
ブラジル セリエA 07/17 00:00 17 [17] セアラー v コリンチャンス [2] L 3-1
コパ・ド・ブラジル 07/14 00:30 4 サントス v コリンチャンス L 1-0
ブラジル セリエA 07/10 19:00 16 [5] コリンチャンス v CRフラメンゴ [8] W 1-0
コパ・リベルタドーレス予選 07/06 00:30 4 [1] ボカジュニアーズ v コリンチャンス [2] W 5-6
ブラジル セリエA 07/02 19:30 15 [6] フルミネンセ v コリンチャンス [2] L 4-0
コパ・リベルタドーレス予選 06/29 00:30 4 [2] コリンチャンス v ボカジュニアーズ [1] D 0-0
ブラジル セリエA 06/25 22:00 14 [2] コリンチャンス v サントス [8] D 0-0
コパ・ド・ブラジル 06/23 00:30 4 コリンチャンス v サントス W 4-0
ブラジル セリエA 06/19 19:00 13 [2] コリンチャンス v ゴイアス [16] W 1-0
ブラジル セリエA 06/16 00:30 12 [5] アトレティコ・パラナエンセ v コリンチャンス [2] D 1-1
ブラジル セリエA 06/11 19:30 11 [2] コリンチャンス v ECジュベントゥージ [19] W 2-0
ブラジル セリエA 06/08 00:30 10 [18] クイアバ v コリンチャンス [1] L 1-0
ブラジル セリエA 06/04 23:30 9 [18] アトレティコ・ゴイアニエンセ v コリンチャンス [3] W 0-1
ブラジル セリエA 05/29 21:00 8 [1] コリンチャンス v アメリカMG [9] D 1-1
コパ・リベルタドーレス 05/27 00:00 6 [2] コリンチャンス v オールウェイズ・レディ [4] D 1-1
ブラジル セリエA 05/22 19:00 7 [1] コリンチャンス v サンパウロ [6] D 1-1

SCコリンチャンス・パウリスタ (ポルトガル語: Sport Club Corinthians Paulista) 、通称コリンチャンス (Corinthians) は、ブラジル・サンパウロ州サンパウロを本拠地とする総合スポーツクラブである。この項ではサッカークラブを中心に記述する。

History

1910年9月1日、SCコリンチャンス・パウリスタは5人の若い労働者たちによってサンパウロ近郊のボン・レチーロで設立された。クラブ名は1910年の設立当時に、ブラジル遠征で圧倒的な強さを誇っていたイングランドのサッカークラブ、「コリンシアンズFC」に由来する。当初のチームカラーはクリーム色だったが、後に入手が容易な白に変わったという。なお、「コリンチャンス」は「コリント人」という意味で、ニックネームのチモンは「偉大なチーム」の意。

初期のマークは「C」と「P」の組み合わせであった。1919年より代わりにサンパウロ州旗をモチーフに使用するようになり、1939年以降は赤い錨・櫂(オール)と組み合わさって出来た。

1990年代にはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(1990・1998・1999年)とブラジルカップ(1995年)で4度の国内タイトルを獲得。2000年にヴァスコ・ダ・ガマをPK戦で下してFIFA世界クラブ選手権の初代王者となった。2004年にイラン人オーナーのキア・ジョーラブチアン率いる投資ファンド MSI (Media Sports Investment) と資本提携を結び、ヨーロッパのビッグクラブに匹敵する資金力を誇るクラブとなり、2005年に4回目のブラジル全国選手権優勝を手にした。しかし、MSIと経営陣との間では対立が続き、オーナーのキアの逮捕、及び投資に問題があるなど警察沙汰になり2007年に関係は解消された。そのため獲得していた殆どのレギュラー選手が売られ、補欠・ジュニアチームで挑んだ2007年のセリエAでは17位と低迷し、クラブの歴史上初めてのセリエB降格が決定した。2008年にはコパ・ド・ブラジルで決勝進出を果たし、セリエBでも優勝を果たして1年でセリエAへの復帰を決めた。2009年には元ブラジル代表のロナウドを獲得して話題を集め、カンピオナート・パウリスタ、コパ・ド・ブラジルの2冠を達成。2012年にコパ・リベルタドーレスのタイトルを獲得し、同年のFIFAクラブワールドカップ2012では決勝でチェルシーFCを1-0で下して2回目の世界王者となった。

2022年には前項のFIFAワールドカップ2012の世界王者から10周年を記念した、日本語のユニフォームを作成した。シャツには 『Aqui é Corinthians.』を日本語に訳した「これがコリンチャンスです。」を縦書きで書き連ね、各選手の背ネームをカタカナで表示した。

コリンチャンス(ポルトガル語: Sport Club Corinthians Paulista)は、ブラジルのサンパウロにあるプロサッカークラブ。1910年9月1日に創設された。ブラジル全国選手権(セリエA)とサンパウロ州選手権(カンピオナート・パウリスタ)をそれぞれ11回、サンパウロ州リーグ(カンピオナート・パウリスタ)を30回制しており、カンピオナート・パウリスタでは最多優勝記録を保持している。また、コパ・ド・ブラジルを3回、リベルタドーレス杯を1回、FIFAクラブワールドカップを2回制覇している。

コリンチャンスは、1990年代から2000年代にかけて、ロベルト・カルロス、リバウド、ロナウジーニョ、カカ、アドリアーノなど、多くのブラジル代表選手を輩出した。また、2000年には、国際サッカー連盟(FIFA)が選定した20世紀のクラブチームランキングで3位に選ばれた。

コリンチャンスは、ブラジルで最も人気のあるサッカークラブのひとつであり、アレーナ・コリンチャンスを本拠地としている。アレーナ・コリンチャンスは、2014年のFIFAワールドカップブラジル大会の会場のひとつとして使用された。

コリンチャンスのライバルは、サンパウロFC、パルメイラス、サントスFCである。これらのクラブとの対戦は、ダービーマッチと呼ばれ、非常に盛り上がる。