ブラジル セリエA 07/22 21:30 16 [16] バイーア v コリンチャンス [15] D 0-0
コパ・スダメリカーナ 07/19 00:30 5 ウニベルシタリオ・デポルテス v コリンチャンス W 1-2
ブラジル セリエA 07/16 00:00 15 コリンチャンス v グレミオ - Postponed
コパ・ド・ブラジル 07/15 19:30 3 コリンチャンス v アメリカMG W 6-3
コパ・スダメリカーナ 07/12 00:30 5 コリンチャンス v ウニベルシタリオ・デポルテス W 1-0
ブラジル セリエA 07/08 21:30 14 [10] アトレチコミネイロ v コリンチャンス [16] W 0-1
コパ・ド・ブラジル 07/06 00:30 3 アメリカMG v コリンチャンス L 1-0
ブラジル セリエA 07/02 14:00 13 [14] コリンチャンス v ブラガンチーノ [8] L 0-1
コパ・リベルタドーレス 06/29 00:30 6 [3] コリンチャンス v リベルプールFC [4] W 3-0
ブラジル セリエA 06/24 19:00 12 [11] アトレティコ・パラナエンセ v コリンチャンス [15] L 1-0
ブラジル セリエA 06/21 23:00 11 [13] サントス v コリンチャンス [16] W 0-2
ブラジル セリエA 06/10 21:30 10 [16] コリンチャンス v クイアバ [14] D 1-1
コパ・リベルタドーレス 06/07 22:00 5 [2] インディペンディエンテ・デル・バジェ v コリンチャンス [3] L 3-0
ブラジル セリエA 06/03 21:30 9 [19] アメリカMG v コリンチャンス [14] L 2-0
コパ・ド・ブラジル 06/01 00:30 4 コリンチャンス v アトレチコミネイロ W 5-1
ブラジル セリエA 05/28 19:00 8 [18] コリンチャンス v フルミネンセ [5] W 2-0
コパ・リベルタドーレス 05/25 00:30 4 [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v コリンチャンス [4] D 0-0
ブラジル セリエA 05/21 19:00 7 [11] CRフラメンゴ v コリンチャンス [17] L 1-0
コパ・ド・ブラジル 05/18 00:30 4 アトレチコミネイロ v コリンチャンス L 2-0
ブラジル セリエA 05/14 19:00 6 [16] コリンチャンス v サンパウロ [9] D 1-1
ブラジル セリエA 05/11 22:30 5 [2] ボタフォゴ v コリンチャンス [16] L 3-0
ブラジル セリエA 05/10 21:30 10 コリンチャンス v クイアバ - Postponed
ブラジル セリエA 05/08 23:00 4 [17] コリンチャンス v フォルタレザ [4] D 1-1
コパ・リベルタドーレス 05/03 00:00 3 [2] コリンチャンス v インディペンディエンテ・デル・バジェ [3] L 1-2
ブラジル セリエA 04/29 21:30 3 [5] パルメイラス v コリンチャンス [14] L 2-1
コパ・ド・ブラジル 04/27 00:30 9 コリンチャンス v クラブ・ドゥ・レモ W 7-4
ブラジル セリエA 04/23 22:00 2 [18] ゴイアス v コリンチャンス [9] L 3-1
コパ・リベルタドーレス 04/20 00:30 2 [1] コリンチャンス v アルヘンティノス・ジュニオルス [3] L 0-1
ブラジル セリエA 04/16 19:00 1 [14] コリンチャンス v クルゼイロ [11] W 2-1
コパ・ド・ブラジル 04/13 00:30 9 クラブ・ドゥ・レモ v コリンチャンス L 2-0

SCコリンチャンス・パウリスタ (ポルトガル語: Sport Club Corinthians Paulista) 、通称コリンチャンス (Corinthians) は、ブラジル・サンパウロ州サンパウロを本拠地とする総合スポーツクラブである。この項ではサッカークラブを中心に記述する。

History

1910年9月1日、SCコリンチャンス・パウリスタは5人の若い労働者たちによってサンパウロ近郊のボン・レチーロで設立された。クラブ名は1910年の設立当時に、ブラジル遠征で圧倒的な強さを誇っていたイングランドのサッカークラブ、「コリンシアンズFC」に由来する。当初のチームカラーはクリーム色だったが、後に入手が容易な白に変わったという。なお、「コリンチャンス」は「コリント人」という意味で、ニックネームのチモンは「偉大なチーム」の意。

初期のマークは「C」と「P」の組み合わせであった。1919年より代わりにサンパウロ州旗をモチーフに使用するようになり、1939年以降は赤い錨・櫂(オール)と組み合わさって出来た。

1990年代にはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(1990・1998・1999年)とブラジルカップ(1995年)で4度の国内タイトルを獲得。2000年にヴァスコ・ダ・ガマをPK戦で下してFIFA世界クラブ選手権の初代王者となった。2004年にイラン人オーナーのキア・ジョーラブチアン率いる投資ファンド MSI (Media Sports Investment) と資本提携を結び、ヨーロッパのビッグクラブに匹敵する資金力を誇るクラブとなり、2005年に4回目のブラジル全国選手権優勝を手にした。しかし、MSIと経営陣との間では対立が続き、オーナーのキアの逮捕、及び投資に問題があるなど警察沙汰になり2007年に関係は解消された。そのため獲得していた殆どのレギュラー選手が売られ、補欠・ジュニアチームで挑んだ2007年のセリエAでは17位と低迷し、クラブの歴史上初めてのセリエB降格が決定した。2008年にはコパ・ド・ブラジルで決勝進出を果たし、セリエBでも優勝を果たして1年でセリエAへの復帰を決めた。2009年には元ブラジル代表のロナウドを獲得して話題を集め、カンピオナート・パウリスタ、コパ・ド・ブラジルの2冠を達成。2012年にコパ・リベルタドーレスのタイトルを獲得し、同年のFIFAクラブワールドカップ2012では決勝でチェルシーFCを1-0で下して2回目の世界王者となった。

2022年には前項のFIFAワールドカップ2012の世界王者から10周年を記念した、日本語のユニフォームを作成した。シャツには 『Aqui é Corinthians.』を日本語に訳した「これがコリンチャンスです。」を縦書きで書き連ね、各選手の背ネームをカタカナで表示した。

コリンチャンス(ポルトガル語: Sport Club Corinthians Paulista)は、ブラジルのサンパウロにあるプロサッカークラブ。1910年9月1日に創設された。ブラジル全国選手権(セリエA)とサンパウロ州選手権(カンピオナート・パウリスタ)をそれぞれ11回、サンパウロ州リーグ(カンピオナート・パウリスタ)を30回制しており、カンピオナート・パウリスタでは最多優勝記録を保持している。また、コパ・ド・ブラジルを3回、リベルタドーレス杯を1回、FIFAクラブワールドカップを2回制覇している。

コリンチャンスは、1990年代から2000年代にかけて、ロベルト・カルロス、リバウド、ロナウジーニョ、カカ、アドリアーノなど、多くのブラジル代表選手を輩出した。また、2000年には、国際サッカー連盟(FIFA)が選定した20世紀のクラブチームランキングで3位に選ばれた。

コリンチャンスは、ブラジルで最も人気のあるサッカークラブのひとつであり、アレーナ・コリンチャンスを本拠地としている。アレーナ・コリンチャンスは、2014年のFIFAワールドカップブラジル大会の会場のひとつとして使用された。

コリンチャンスのライバルは、サンパウロFC、パルメイラス、サントスFCである。これらのクラブとの対戦は、ダービーマッチと呼ばれ、非常に盛り上がる。